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○大神山神社奥宮 (平成19年7月8日)
参道の最後、神門をくぐると最後の長い石段がありその向こうには大きな唐破風が見える。大神山神社奥宮(おおがみやま)だ。
ここは明治の神仏分離まで大山寺(だいせんじ)の本尊である大智明権現が祀られていた、いわば大山寺の本堂といってもいいものだ。
天台宗の古刹、大山寺は、寺伝によれば金蓮上人(こんれん、きんれん)が養老2年(718年)に地蔵菩薩を安置した庵を結んだのが初めとされる。
縁起によると、出雲玉造(いずもたまつくり)の猟師、依道(よりみち)が猟の途中で金色の狼を追って大山まで来た。そして後を追って洞窟に入ったところ、洞窟では老尼が地蔵菩薩を守って修行していた。それを見た依道は欲深い自分を恥じて出家し、後に金蓮上人と呼ばれるようになったとされる。
猟師の名前は俊方(としかた)で、ある日鹿を追って大山に入り、ようやく射止めたところ、近寄ってみると地蔵の額に矢が刺さっていた。そこで、殺生の罪を後悔して金蓮と改め庵を結んで地蔵菩薩を祀ったのが開山ともされる説もある。
金蓮上人は修行していると、ある日、南の空に光り輝く雲が釈迦如来の姿となった。そこに釈迦如来を安置したのが南光院だという。また、庵で法華経を読誦(どくじゅ)していると西の空に阿弥陀如来が現れ金蓮上人は自らの遷化の近いことを悟りその場所にお堂を建てて西明院と名づけたともいう。大山寺、三院の三つの僧侶集団にそれぞれ縁起があったようだ。
後に、地蔵菩薩がこの大山に現れたのが大智明権現(だいちみょうごんげん)であるとされて大山寺の本尊となる。大山の三院、つまり中門院の大日如来、南光院の釈迦如来、西明院の阿弥陀如来、その全てをまとめるものとして、地蔵菩薩である大智明権現があった。その大智明権現が祀られていたのがこの建物だ。
中世以後崇拝を集めたが、残念ながら明治の神仏分離で大智明権現は仏でなく神であるとされ、大国主命を祀る大神山神社の奥宮とされた。
長い参道を歩き、歩きつかれたところに現れる石段。誰でもゆっくり登ることになるが、一歩一歩進むに連れて拝殿正面が目の前に迫ってくる。
山陰だけでなく外へも名をとどろかせていた大山寺の元本堂、さすがに壮大な社殿だ。
拝殿と奥の本殿をつないだ、いわゆる権現造。桧皮葺の屋根に拝殿正面は立派な唐破風が付く。
しかし、普通の権現造とは違っているので一見すると権現造とは見えない。
正面の拝殿は左右に長く伸びている。廊下のような構造で翼廊と呼ばれる。その両翼の長さは約50m。その長廊には大神山神社となるまでは八大竜王、八幡菩薩、不動明王、役行者などの像が安置されていたという。もちろん今は空っぽだ。
拝殿と本殿の間も一般的な権現造に比べてかなり長い。それはまるで拝殿の後ろに左右の翼廊のようなものをくっつけたような、いわゆる尾廊のように見える。
全体の形は平等院鳳凰堂に似ていなくもない。
左右の両翼は石段を登ってきたものに対しての視覚的な威圧感などを考えても悪くはないが、建物のバランスとしては後ろに少々長すぎるのが欠点だ。もとが寺だったためか装飾に少々欠けるのも残念だ。
しかし、壮大な建築には違いない。これだけの規模の社寺建築はそんなに多く残っていない。権現造としても最大級のものになる。
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