同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

大国主命の舞台 その3
中山神社(束積中山神社)(平成19年10月13日)

「大きな袋を肩にかけ・・・」童謡唱歌、大黒様。因幡の白兎の歌で、これを知っていれば因幡の白兎の神話も分るのだろうが、最近は小学校で歌う機会もないらしく、話を知らない人も多いようだ。むしろ歌を知っていると、年が分かってしまう。

大国主命(おおくにぬし)の兄弟、八十神(やそがみ)達は、稲羽(いなば)の八上比売(やかみひめ)を妻にしたいと揃って求婚に出かけた時に、末弟の大国主命を荷物運びの従者として連れて行った。途中に皮を剥がれて丸裸の兎がいるのを見て、八十神は海水を浴びて風に当たると良いと言った。その通りにした兎が、塩が乾いて皮膚が裂けかえって苦しんでいる所へ、後からやって来た大国主命は兎に泣いている理由を聞いた。
淤岐島(おきのしま)にいてこちら渡ることが出来なかったので、ワニに仲間の多さを競争しようと言って、ワニに島からこちらの岬まで列になって並ばせて、その上を走りながら数えて渡った。最後に地面に降りようとしたところで、渡るために騙したのだと口をすべらしてしまい、一番端のワニに捕まって剥がされてしまった。そこへ八十神がやって来て、言われるとおりにしたところ、更に傷ついてしまった。兎はこのように答えた。
そこで大国主命は、河口の水で身を洗い蒲(がま)の花を取って敷いてその上に転がるように教えた。その通りにすると兎の身は元通りになり、八十神が八上比売を得ることは出来ずに大国主命が娶れると予言し、その通りになった。

以上が、古事記に記される白兎の話の概容だ。この後帰る途中で、八上比売の求婚の件で恨みをかった八十神に大国主命は焼き殺されることになる(2007年、大国主命の舞台3、赤猪岩神社)。

JR山陰本線、中山口駅(なかやまぐち)近くで国道9号線から外れて県道239号線で船上山(せんじょうざん)方面へ向かうと3km程で道端に神社の社叢が見えてくる。
中山神社(なかやま)。古事記を研究した本居宣長は白兎の舞台としてこの中山神社を紹介しているらしい。
古事記では物語の舞台は稲羽気多(いなばのけた)の岬とされている。現在では鳥取市から国道9号線を海岸沿いに10km程西へ行った、その名も白兎海岸(はくと)が広く知られていて、伝説も一般的には因幡の白兎(いなば)と呼ばれる。もちろん、そこは白兎神社もあり、最近では大国主命と八上比売の縁を取持ったと言う事から、縁結びで人気が出ているらしい。
それに対して、こちらは伯耆の白兎(ほうき)という。残念ながらほとんど知られてない。

鳥取県西部、旧国伯耆国、中山の束積(つかつみ)に住んでいた白兎は川をのぼる鱒(ます)の背を借りて川を行き来していたが、誤って背を踏み外して溺れ、流木に捕まって隠岐島(おきのしま)まで流された。どうしても帰りたいとワニ(鰐)をだまして戻ったが、皮を剥がされて苦しんでいるところを大国主命に助けられた、という話が入り口に掲げてある。
古事記の話の前半になっていて、隠岐島の兎が何故島を渡って本土へ来たかったのかという理由になっているところが面白い。

また、溺れてた時に流れていた木に助けられたため「木の枝川」呼ぶようになったとされる。現在の甲川(きのえがわ)だ。甲川は大山(だいせん)から流れ神社の直ぐ西を通って日本海に注ぐ。
束積に戻って来た時に休んだ岩が「兎の腰掛岩」としての残っているそうだが、これは調べたが場所が分らなかった

神社の境内は県道に面しているので横からも入れるが、正面参道は道から少し入った場所にある。
原生林そのままの森が残っているように見えるが、植林された杉も多く、参道は杉並木の風情を呈している。田圃と道路で囲まれているが社叢は深く残っていて、木々は高く薄暗く鬱蒼とした風景だ。

中山神社という大きな額のある流造の拝殿。本殿は小ぶりの一間社流造。
本殿の基部、亀腹の所に亀のような彫刻がある。尻尾に髭か苔があり、長寿を表現する亀のようだ。亀趺ではないようだが自信はない。
それにしても何故亀なのか。まさか兎と亀の話とは関係ないだろう。

村人が白兎を祀った素兎神社(しろうさぎ)は、元は兎の遊び場とされる所にあったのをここに再建したとある。兔を祀った神社は県道に近い場所にある小社のようだ。標識もないので確信は持てないが、他には祠らしいものが見当たらない。
Netの観光案内HPでは「サギの宮」として祀られているとある。サギではなくウサギではないのか。何だか妙だ。素兎神社が何故サギの宮になったのか。
ウサギがサギに変わると言うと、昔話のカチカチ山を思い出した。あの話は兎が狸を泥舟に乗せて沈めてしまう所で終わるのだが、一般的ではないが続きがある。
親を殺された狸の子が兎に仇討ちを仕掛け、とうとう兎を倒すと言う物だが、最後に真っ二つに切られた兎は、上半身が黒い鳥となり下半身が白い鳥となって飛び去った。白い鳥が鵜、黒い鳥が鷺。つまり「ウサギ」が「ウ」と「サギ」に分けられるというオチだ。他愛もない駄洒落だ。
まさか、ここの兎も二つに分れて鵜は飛んで行ってしまったという事ではないだろうが。

実は一番の謎は古事記の記事自体にある。
素兎神社を「しろうさぎ」と読むのだが、古事記でも確かに兎を「素兎」と記している。時に「裸兎」ともあるが、どちらにせよ「白兎」ではないのだ。
本居宣長も、「この兎が白いとはどこにも書いてない。素とは裸のことだろうか。シロとは読まず他の読み方があるのだろうか。」と悩んでいるらしい。
ウサギと言えば誰でも白いウサギを思い浮かべるが、そもそも、現在良く見かける白い兎は明治になって輸入されたもので、在来種である日本の野兎は茶色のはずだ。白い冬毛になることもあるが、大国主命は蒲の花を敷いて転がるように教えるのだから初夏のはずで冬ではない。つまり、兎が白いとは考え難いということになる。
一方で、本居宣長の時代には既に「シロ」ウサギと読まれているので、かなり古くから「しろうさぎ」と読まれていたのは間違いない。
これは結構有名な疑問点で既に様々な人が考察している。ここではこれには突っ込むことはしない。長くなりすぎる。

正面の鳥居の横に記念碑らしいものが建っている。元弘帝とあるので後醍醐天皇(ごだいご)ゆかりのもののようだ。ここにも後醍醐天皇の足跡があったとは。
読めない部分があるのだが和歌ではなさそうだ。韻が合わない。
後日調べて判明した。
後醍醐天皇が船上山から伯耆国を見渡してこの辺りを「美なるかな、実(げ)にや国の中山」と褒めたという故事があるそうだ。それが、石碑に刻まれていたのだ。

半年周期

記事の更新が中断してほぼ半年。その前も半年ほど中断。ここ1年、ほとんど休んでいます。
半年周期でアップを繰り返していることになします。

中断前がH19年分で、このまま年を越すと記事が3年前と言うことになりそうで、少しあわててます。
ネタはあるのですが、まとめる時間がないのが苦しいですね。
今年もいろいろありましたし。

ともかく、一つ載せます。時間的な余裕は改善してませんが。

全1ページ

[1]


.
同行二輪
同行二輪
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事