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「素」 第十八番 須佐神社
国道54号線を南へ進み、掛合(かけや)から県道39号湖陵掛合線(こりょう)を西に向かうと、国道184号線と合流する手前3km程の場所に須佐神社(すさ)がある。
実はこのルート、国道54号線には出雲神話街道、県道39号線にはドラゴンロードというすごい名前が付けられている。
一度走ってみればわかるが、道にはドラゴンを連想させるものは何もない。須佐神社は素戔嗚尊(すさのお)縁の神社であり、その須佐神社の前を通る道に素戔嗚尊の八岐大蛇退治(やまたのおろち)から名前が付けられたのだろうとは容易に想像できる。
国道の方の出雲神話街道というのは、出雲が神話の里であり、そこへ向かう主要道であることから付けられたのだろうが、今後混乱が起きないだろうかと少し心配だ。と、いうのも歴史的な出雲街道は別にあるからだ。
現在の国道と同じではないが、おおよそ、山陽道から国道179号線で津山(つやま)を経て国道181号線で山陰道に入り松江に至るルートが、一般的には出雲街道と呼ばれる参勤交代の道だ。出雲神話街道は出雲街道ではないのだ。
もっとも、現代の出雲神話街道が旧出雲街道と全く無縁かといえば、そうでもない。江戸時代には同じ街道名が複数あって、出雲街道も例外ではない。旧山陰道と三次(みよし)間の国道54号線がトレースする旧道も出雲街道と呼ばれていた。
街道の命名の問題はともかく、神話の地を神話街道と龍の道で走るのは悪い気はしない。
須佐神社をこの前に訪れたのは4年前だったが、何も変った様子はない。須佐川に沿って少し開けた地にひっそりと佇んでいる。多分、風土記の時代からここの風景は大きくは変っていないのだろう。変ったことといえば、ゆかり館という温泉リゾート施設が近くに建ったことくらいなのかも知れない。
境内に進むと右手は町に沿った道路で左側は川。左右共に広がりがないために深い社叢の中にある訳ではないが、古木や巨木で囲まれているために森の中に鎮座する社のような印象を受ける。参拝者がほとんどいないのも更に落ち着いた印象を与える。川向こうの温泉リゾートもそれ程賑やかでないのも喧騒がなくて良い。
出雲国風土記によると、素戔嗚尊がここを訪れた時に、この地は小さいが良い所なので自分の名を木や石にはつけないようにしようと言って御魂を鎮め置いた。それで須佐と呼ばれるとある。少しわかり難いが、狭いけれど良い場所なので、些細なものではなく地名自体に自分の名前を付けたという意味だ。
出雲国神仏霊場でも、この神社のシンボルに素戔嗚尊の「素」を用いている。
記紀では素戔嗚尊は乱暴な神として描かれる。そのため素戔嗚尊は凄まじく荒ぶる状態を神格化したものだという説があるが、風土記の記事からはそれはうかがえない。そのまま読めば、素戔嗚尊の名前は「すさ」だったことになる。つまり、「すさのお」は「すさ」の「おう」、須佐の王としか解釈できない。どちらが正しいかはわからないが、今は風土記の立場で理解している。
何時来ても思うのは同じことだ。肥沃で開けた場所でもない、自ら小さく狭い場所と言っている、むしろ山間の寒村の地が、何故、記紀神話において大きな比重を占める素戔嗚尊の本貫地なのかということだ。
須佐神社には七不思議と伝えられるものがあるが、それよりもよほど不思議だ。
後ろに森を従えて拝殿と本殿が建っている。本殿はもちろん典型的な大社造。一辺4m程で、なかなか立派な社だ。
本殿背後には樹齢1200年とされる巨大な杉が聳えている。加賀藩から帆掛け舟の帆柱にと所望された時に須佐の国造がこれを断った逸話が書れている。この杉の他にも巨木が社の背後にあり、それが境内を落ち着いた印象にしている。
裏の末社に珍しいものを発見した。大きさは1m程で巨大な神棚のような祠なのだが、覆屋で大切に守られていて、しかも比翼造になっている。社殿形式から明らかに美保神社(みほ)だ。覆屋で守られた祠は見る機会が少ない。何かのいわれがあるのかも知れないが、不明だ。本家は出雲国神仏霊場にも入っているので、いずれお邪魔することになるだろう。
境内に入って右手に塩井(しおのい)と呼ばれる小さな池がある。素戔嗚尊がここから潮を汲んでこの地を清めたと伝えられる。池は日本海に続いていて潮の干満に従って水面が上下し、満潮の時は周辺の地面に塩をふくと説明してあるが、日本海まで直線距離でも10kmある。さすがにつながっていないだろう。
このような、遥か彼方の海や川につながったとされる池は全国に見られるようだ。東大寺のお水取り、修ニ会では小浜(おばま)の遠丹生(おにゅう)から、お水送りがなされる。
塩井は須佐神社の七不思議の一つだ。
相生(あいおい)の松は枯れたという説明板が本殿の裏にあった。神馬(しんめ)はもちろん既に生きてはいない。落ち葉の槙(まき)は神紋となって残るのみ。残りの、影無桜(かげなしさくら)、星滑(ほしなめら)、雨壺(あまつぼ)はどうやら離れた場所にあるらしい。
須佐神社の七不思議といっても、なんだが神社とはあまり関係なさそうだ。七つにするために集めたからだろうか。
鳥居の前、道を隔てて天照大神(あまてらす)を祀る天照社がある。社が須佐神社正面に完全に向かい合うように配置されているのは、記紀での素戔嗚尊と天照大神の因縁を物語るのだろうか。双方が睨み合うというより、封じていると思うのは考えすぎだろうか。
天照社の鳥居近くに、出雲地方独特の荒神と思われる瑞垣で囲まれた一画があり、中にとぐろを巻いた蛇の小さな石像が置かれている。八岐大蛇を意味しているようだ。
素戔嗚尊に退治されたいわば素戔嗚尊の下僕のような八岐大蛇が、正面に対峙する須佐神社と一緒になり天照大神を封じているような配置だ。
江戸の仇を長崎で討つ、というか、高天原の恨みを須佐で晴らしているのかも知れない。高天原は追放されたが、出雲では、須佐では、お前の好きなようにはさせないぞと。
天照社が神明造ではなく、出雲地方の大社造になっているのもやはり意味深だ。
帰りの国道9号線でリュックを背負った野宿風の老夫婦が歩道を歩いているのとすれ違った。少なくとも山陰地方に巡礼の風習は聞いたことがないが。
退職を機に徒歩での帰郷を決意した夫婦が、自宅の東京から島根の浜田まで、1006kmを徒歩で掻破し、7月2日日本橋を出発して8月8日、38日間かけてゴールしたというニュースを見たのは、数日後だった。
こちらは192kmを二輪で走ったのみ。ずいぶんと違う。
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