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「知」 第八番 美保神社
中海(なかうみ)の北岸を国道431号線で東へ走り、鳥取県の弓ヶ浜半島へ渡る境水道大橋への分岐をそのまま直進し橋を頭上に見上げながら県道2号境美保関線を更に東へ向かう。
この道は海沿い、しかも海面に近い入り組んだ海岸線で、車では少しカーブが厳しい所が多いがバイクではとても快適だ。調子に乗ってスピードの出しすぎに注意しなければならないほどだ。
美保関(みほのせき)は島根半島の東が日本海に少し突き出た端に位置する。民謡ファンなら関の五本松でよく知られているが、観光ではそれほど成功しているとは思えない。
漁船の停泊する港に入ると数件の土産物屋と大きな石製鳥居が目に入る。
神社は海に面して建っていて参道が海であることが分る。海岸沿いや湖畔にある神社ではよく眼にする配置だ。
美保神社には磯の香りが漂う。
拝殿の後ろに巨大な比翼大社造(ひよくたいしゃつくり)の本殿が聳える。何時見ても華麗だ。独特な構造で美保造(みほづくり)とも呼ばれる。
大社造の社殿を左右に二棟継げて、正面に二棟分の向拝を付ける。切妻妻入の建物が二棟なので建物を前や後から見ると屋根が「M」の字になる。両方の屋根が合わさる場所には樋がある。その下が室内になっているのか濡れ縁の延長なのかは内部構造を知らないので不明だが、屋根を二つ継げるとその部分の建築上の処理は難しくなる。雨漏りの原因になるのだ。宇佐八幡(うさはちまん)に代表される八幡造は、美保造と90度違うが、切妻平入を前後に二つ継げたようになっていて、その継ぎの屋根部分にやはり樋を設けるが、同じような構造上の弱点に苦心している。
祭神に関してはかなり謎が多いのだが、向かって右に三穂津姫命(みほつひめ)、左に事代主神(ことしろぬし)を祀るとされる。二神を同等に祀るために、敢えてこのような複雑な造りにしたものと思われる。
美保神社は去年の夏に周辺の末社を含めてかなり廻った。その時に個人的な興味のある参拝はほぼ尽くした。今回はのんびりと心ゆくまで華麗な社殿を楽しむことにする。
出雲国神仏霊場で美保神社は「知」の文字で代表されている。しかし、三穂津姫命も事代主神も特に知恵や知識の神様ではない。三穂津姫命なら大物主神(おおものぬし)の后ということで「大」、あるいは稲穂の神とも見なされるので「稲」か「穂」、事代主神なら漁業の神様とされるので「釣」とか「漁」、あるいは「船」などが相応しいのだが。
「知」と美保関との関係を考えると、久延毘古命(くえびこ)しか思いつかない。
古事記によれば、大国主命(おおくにぬし)が美保関にいると、海の向こうから小さな神がやって来た。それは後に二神協同で国造りをすることになる少彦名命(すくなひこな)なのだが、その時は誰も知らなかった。ただ一人、久延毘古命だけが答えた。
久延毘古命は案山子の神で歩くことは出来ないが、この世界のことを全て知っている神だと記される。
この話には事代主神も三穂津姫命も登場しない。しかし、これ以外に「知」と結びつける話を知らないのだ。
美保神社は歴史的にみると出雲国風土記に載る美保社がその始まりなのは間違いない。ところが風土記には事代主神、三穂津姫命ともに登場しない。祭神として記されないのではなく、風土記そのものに出てこないのだ。古代出雲で信仰された神ではないということだろう。
一方、所造天下大神大穴持命、つまり大国主命の姫御子の御穂須須美命(みほすすみ)が鎮座するので美保と呼ぶという地名説話が載る。このことから、美保神社は単純に美保の地で信仰されていた地方神、美保の神様を祀る神社だったと考えてよいだろう。
特別な祭神ではなく産土を祀る、「美保」の神社なら、美保の地と関係する久延毘古命の話から「知」をとっても問題ないということだろうか。自分でも納得はしてないのだが。
境内裏の末社に境外末社である糺社がここに遷って同座となっていた。この糺社が久延毘古命を祀る。やはり久延毘古命の「知」なのか。
境内右手の一番前に、瑞垣で囲ってある丸い石がある。船御魂を祀るものか。
回廊には奉納絵馬や写真が掛けられている。その中に、南極観測船「砕氷艦しらせ」昭和60年9月10日参拝奉納の写真を見つけた。やはり、海運の神様だ。日付は調べてみると進水の時でも、初航海の時でもないので、この年の越冬隊員に地元かこの近くの人が参加していたのかも知れない。
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