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いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

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比婆山

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伊邪那美命と比婆山 その9

比婆山(平成20年8月2日)

伊邪那美命御陵として一部の古代史ファンに人気の比婆山から、世間で広く受け入れられている比婆山に向かう。もっとも一般的な知名度では、ヒバゴンの里のほうが高いかも知れない。
安来から向かう主要ルートは国道180号線に出て生山(しょうやま)から183号線で広島県に入る道だろうが、土地鑑を利用して県道を使い、少し近道をする。

安来の久米神社を後に、そのまま県道9号安来伯太日南線をひたすら南下。山間の村々を継ぐ典型的な田舎道。所々狭い場所もあるが車の往来は少ないのでのんびり流すのも悪くない。最後に急なヘアピンの坂を下ると国道183号線に合流する。
県境を越え、備後落合を抜けて比婆山へのアクセスである県道254号比婆山公園線に入る。

比婆山は島根、鳥取、広島の県境にあるが、北側からのアプローチはあまり便が良くない。良く整備されている南の広島県側に大きく回りこむため山陰からは意外に遠い。ちょっとそこまでのつもりが勢いで結構なツーリングになってしまった。

県道に入った後は、川に沿うように山の中へ入って行く。もっとも国道からの入り口も既に中国山地のど真ん中なのだが。
川の名前は熊野川と言う。ここでも比婆、熊野、伊邪那美命の組み合わせが揃う。記紀が広まるにつれて、どこでもこの三つのセットが類型化しているのが分かる。

途中の看板に「比婆山陵」と書かれている。伊邪那美命の御陵ということを意識した表示だ。
比婆山は単独の独立峰ではなく連峰の総称だ。最高峰の立烏帽子山(たちえぼしやま)の他に竜王山、池ノ段、烏帽子山などからなる。烏帽子山の南の峰に伊邪那美命の御陵とされる場所があり、その峰を特に比婆山御陵と呼ぶことがある。

「伊邪那美命(いざなみみこと)は出雲国(いずものくに)と伯伎国(はくきのくに)との境比婆の山に葬(かく)しまつりき」と古事記に記されている。出雲国は現在の島根県東部、伯伎国は旧国名の伯耆国で今の鳥取県西部。要するに島根県と鳥取県の境にある比婆山に葬ったということだ。そこでここの比婆山が伊邪那美命御陵とされるようになった。
厳密には比婆山は島根県と広島県との境界で鳥取県との境界ではない。しかし、古代の国境は現代の県境とは一致しないし、何時の時代でも同じで固定していたわけでもないので、大体の位置さえ合えば問題ないのだ。

比婆山は連峰で峰が連なるため登山道はいくつかあり、伊邪那美命御陵へのルートも複数ある。一般的なのは烏帽子山の東山麓の広島県民の森から登る道だ。登山道は良く整備されていて危険は全くないのだが、比婆山連峰は標高1200m台なので登頂はそれなりに疲れる。
しかし、この熊野川沿いの県道を竜王山登山口の方向に進むと、何と立烏帽子山の山頂へ標高差が100mもない場所にある小さな駐車場まで到着出来る。竜王山まで行くと数十メートルの高低差で頂上に達する。
立烏帽子駐車場を使うと、尾根沿いにハイキング気分でブナ原生林を抜けて伊邪那美命御陵へ歩ける。途中には黄泉の国から伊邪那岐命を追いかけてくる伊邪那美命と雷神たちを防いだと古事記に記される千引石(ちびきいわ)などもあり、山好きにも、原生林好きにも、そして古代史好きも楽しく過ごせる。
比婆山を探訪し御陵を見たい人には実にラクチンなアプローチだ。駐車場までの道が険しく車同士の離合が困難だという点を除けば。

問題の御陵だが、以前の記憶とその時のスナップによれば、前には小さな祠があり、その後ろにブナ林と笹林に埋まる円形の小高い高まりにあるイチイの老木に囲まれた巨石で、周囲は鎖で囲まれている。さすがに宮内庁の管轄ではないらしいが、むやみに笹林に踏み込む人はいないようだった。
かなり昔なので記憶があやふやになっているが、約60mの円墳ともされるが、古墳というより磐座(いわくら)にしか見えなかった。

実は、比婆山が伊邪那美命御陵と見なされるようになったのは古代からではないらしい。現在の比婆山系が比婆山と呼ばれるのはそれ程古くは溯れないのだ。
古くは伊邪那美命の御陵があるので美古登山(みことやま)と呼ばれたとされるが、多分順番が逆だろう。「みことやま」の名前から伊邪那美命に結びつき比婆山となったはずだ。初めから御陵があったのなら山の名前は比婆山だったはずだからだ。

何時頃から美古登山や比婆山と呼ばれるようになったのか、手がかりはあまりないが、少なくとも記紀が完成した頃ではないはずだ。
記紀とほぼ同時代の出雲国風土記には国境の山の名がいくつも記されるが、比婆山も美古登山もない。記紀と出雲国風土記には記される伝承にほとんど重なりがないことは有名だが、さすがに地名として伯耆国との境に比婆山があれば載せるだろう。
風土記に載る山で、伯耆、つまり鳥取県との境で一番大きなのは鳥上山(とりかみ)で、現在の船通山とされる。これが古事記に記される伊邪那美命が葬られたとされる比婆山の位置に一番近いのだが、記紀では鳥上山は素戔嗚尊の八岐大蛇退治という別の場面で登場する。
古代の国の境界が厳密でないので、島根、鳥取、広島との県境あたりまで範囲を広げてみると、風土記の室原山は三国山と考えられ、鳥取、島根、広島の県境にあるが、比婆山より少し東になる。御坂山(みさか)は少し西で島根県と広島県の境の猿政山に比定される。
一応、風土記の遊託山(ゆたやま)が烏帽子山に比定されていてこれが現在の比婆山系ということになるのだが、風土記にはどこにも比婆山も美古登山も出てこない。もちろん伊邪那美命の伝説の述べられない。

簡単な記述はあるが、その記される場所にはそのものはない、と言うのは、どこか邪馬台国にも似ている。まあ、歴史書の記載と神話を同じレベルで考えるのは乱暴だが、十人十色の説が飛び交っている。百家争鳴と言うよりも、各自勝手に自説を展開しているといったところだ。

峰にある磐座の巨石が何時しか貴人の墓所であるとされ、某「命(みこと)」の墓ということから美古登山となり、記紀の周知によって位置的に近い伊邪那美命が葬られた比婆山へと変ったということだろうか。

すっかり山中の細い道となった熊野川沿いの県道から、比婆山陵と熊野神社への案内板の分岐を折れると間もなく巨大なコンクリートの鳥居の神社、熊野神社が現れる。

比婆山御陵まではここからもアプローチできるが、今日は登る予定はない。思わず遠くまで来てしまい時間もない。それに御陵まで行くなら立烏帽子山駐車場を使う。軽登山やトレッキングは好きだが、交通機関が使えるところはフルに利用する手技だから。
実際の現地確認を第一としている立場としては、古い記憶だけで比婆山のことを考えたりするのは少しずるく後ろめたい気がするのだが、時間と体力の関係上仕方がないと、自分を言い訳のように納得させるのだった。

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