同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

宍道湖中海巡礼記2004

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

上淀廃寺

イメージ 1

○古代幻想、淀江(伯耆古代の丘公園界隈) 上淀廃寺 (平成16年10月31日)

天神垣神社の前の道へ戻りさらに進んでゆくと少し谷間になったところに上淀廃寺がある。5-6年前に来た時は発掘跡と説明板だけだったが公園化の工事が行われていた。

平成3年4月11日、地方の廃寺で初めて壁画が出現した。しかも法隆寺の金堂壁画と並ぶ国内最古の仏教壁画であると大変な話題となった。
歴史、美術、仏教など各方面に衝撃を与えた発見で学術的には価値の高い遺跡なのだが、見つかった壁画は小さな破片にすぎないので門外漢には印象が弱い。観光客うけもしないだろう。ただここが古代重要な地であったことを再認識させるには十分だ。今ではどこにでもある地方都市の一つに過ぎないが。

このあたりの田圃は整然と区画されて当時の条理遺構によるらしい。寺の建築はその条理に沿っている。出土した瓦等から創建は683年説が有力とされる。
しかし683年は古い。天武天皇の時代で壬申の乱から10年程しか経っていない。その時代既に条里制まで敷かれていることもここが中央と密接に関連していた主要土地であったことをうかがわせる。

発掘の結果、金堂の東に塔が南北に三つ並ぶという独特の伽藍形式を呈することがわかった。変わった形式の理由が様々に考えられている。現地に立って見ると土地が斜面なので堂宇設計の関係で珍しい形になったとしか思えない。
三つの塔が一直線に並ぶ姿は三尊像を思わせる。少し想像をしてみた。
もし三尊形式を重ね合わせているのなら東に立つことから中央の塔に安置されるのは薬師如来だろう。並びからは北と南になるが、中央の左右は何か。薬師の脇侍には日光、月光が多いが三塔の規模はほぼ同じ大きさらしいので菩薩を安置した三尊形式では少し大きすぎる。如来を置きたい。創建された時代を考えると当時多かった釈迦如来と弥勒如来をあてるのはどうだろう。釈迦、薬師、弥勒の三尊は過去、現世、来世に対応できるし悪くないと思う。
時代が下れば来世といえば阿弥陀如来となるが白鳳期には阿弥陀信仰は盛んではないのでここは弥勒の方が良さそうだ。

金堂跡に隣接する斜面上の遺構は付属施設で豪族の館かと考えられている。これだけ密着して建物があるというのは強力な檀越であり、もちろんこの辺りの首長だったと想像される。寺を造営出来るくらいの力があったということだ。
工事も発掘もお休み中で子供が遊んでいる。調査が終わったところは整備中で、その周りはまだ発掘中だ。田圃から一層の土が剥ぎ取られ発掘跡がむき出しになり浅い穴がいくつも掘り出されている。立ち入り禁止になっていないので近寄って観察した。
初めて実際の発掘現場を間近で見たが発掘された穴の部分とその周辺と一体どこが違うのか。全然わからない。本当にこれが古代の掘っ立て柱の跡なのか。発掘担当者が勝手に掘って作ってるのではないだろうか。まさかそんなことはないだろうが、それにしても周囲との違いが見えなかった。発掘をするのは難しそうだ。

公園として整備しつつあるところを見ると、この辺り一帯を古代の丘公園とともに観光の呼び物にしたいという強い思いはあるようだ。後ろに続く山の向こうには日本でも有数の巨大弥生集落である妻木晩田遺跡もある。歩いて回るには少し遠くて途中には普通の田舎集落しかないというのが少々難点になるが一大古代ゾーンとして整備できないこともない。もちろん成功させるには一工夫も二工夫も必要だが。

妻木晩田は弥生時代で、向山古墳群は後期古墳時代、上淀廃寺は白鳳時代なので7-800年あるいは1000年近い時代の開きがある。古代と言って一まとめにするには時代が広すぎるのだ。この点が宣伝にとって難しい点となる。キャッチコピーがつくりにくい。
しかし、古代史に興味のない一般の人にとっては古すぎて竪穴式住居も白鳳壁画も大して違いはないのかも知れない。

向山古墳群

○古代幻想、淀江 (伯耆古代の丘公園界隈) 向山古墳群 (平成16年10月31日)

岩屋古墳のある丘陵には古墳が集中していて向山古墳群と呼ばれる。前方後円墳や方墳、円墳などの説明看板を見ながら散歩する。草に覆われて少々崩れているので正直説明がないと形がどうなっているのか定かでない。
この丘は古代に湊であった淀江の町や日本海を眺めるのに本当に良い場所にある。権力者は眺望の良い場所をよく知っていたのだ。権力示威構造物を作るならどこからでも見える場所でなければ意味がない。

隣接した伯耆古代の丘公園の物産館には観光客がいるのだが古墳は全然人気がない。古墳群の散策路では誰にも出会うことがなかった。

丘を挟んで道の反対側には伯耆古代の丘公園が整備されている。駐車場からは小道を登って行き峠を越えると古代集落が出現しタイムスリップしたような感じになるように作られていて個人的には気に入っている。公園内には物見矢倉や竪穴式住居、帆立貝式古墳などが再現されている。体験施設なども併設されているのだが多くの一般人を惹きつけるほどの魅力ある施設ではない。全国各地にある史跡公園の一つに過ぎない。お金を払ってまで入りたいと思わせるほどのものではないのでぜひ無料にすべきだろう。

古代の丘公園に足を向ける人は少ないし道を隔てた歴史民族資料館はもっと人気がない。観光客が一番多いのは駐車場の前にある物産館「白鳳の里」だ。
少し足を伸ばすと一時期有名になった上淀廃寺もある。町はここら一帯を文字通り「白鳳の里」として観光の中心にしたいようだが流行っているのは土産売り場だけという状態だ。せめて古代の丘公園と民族資料館は入場券をセットにするなりの工夫がなければ苦しいだろう。やはりいっそのこと全て無料でどうだろう。

岩屋古墳

イメージ 1

○古代幻想、淀江(伯耆古代の丘公園界隈) 岩屋古墳 (平成16年10月31日)

民族資料館の前まで戻り道を少し行くと岩屋古墳の案内板がある。道端から柿畑横の畦道を登ってゆくと開いた横穴石室が見える。石室の入り口は崩れないように鉄枠で補強されているが入りたい気持ちはあまり起こらない。

円墳部へよじ登ると隣接した伯耆の丘公園内にある弥生時代の楼閣とその向こうに広がる日本海がよく見える。
古代はこの丘陵の近くまで潟湖として海岸が迫っていたはずだ。入り江となった良好な港湾を背景に日本海沿岸の各地、北九州、更には朝鮮半島との交易を行い巨大な勢力を持った地方豪族の存在したことが偲ばれる。
この湊を利用する船はいつもここの丘陵部にある古墳群を見上げ、この地の支配者の存在を知ったはずだ。海岸線に近いところに築かれた古墳は船舶への権力誇示が重要な目的の一つとなっていると考えてよい。

セイタカアワダチソウが前方部に生い茂っている。圧倒的な力を誇示した埋葬者の墳丘も今は海の向こうからやって来た在来種で覆われている。
セイタカアワダチソウ。北米原産の帰化植物。高さが2-3mにもなる。最初は観賞用として渡来したとされるが、第二次世界大戦後に急激に分布域が広がる。
大きさといい派手な色といい日本の秋には似合わない。どうしても好きになれない花だ。この花がススキなどを圧倒して群生しているのを見ると植物体系まで米国の軍門に屈したような気がしてやるせない。誰か一掃してくれないものか。

気を取り直して古墳の説明板に目を向ける。後円部にかなり大きな造出しが付いているのが知れる。
造出し(つくりだし)というのは普通は前方部と後円部の境のくびれた所に作られた小さな張り出し部分を指す。祭祀の場だったのではないかと考えられている。
この古墳では造出しが後円部に付いていてしかも大きい。小さな前方部といってもよい程の大きさがある。造出しと呼ぶよりむしろ福岡県八女市にある岩戸山古墳の別区のようだ。別区も造出しの一形態なのかも知れないが詳しい知識はない。とにかく通常の形とは変わっている。ただ実物は古墳の形が崩れていて造出しははっきりしない。

日本書紀によると継体朝に北九州で筑紫君磐井の乱があったとされる。
古代朝鮮半島には日本の植民地的な任那と呼ばれる国があったと記紀は記す。継体21年(527)新羅に併呑されていた任那の一部を回復するため大和朝廷は近江毛野を派遣する。これに対して新羅は北九州を支配する豪族である筑紫君磐井に賄賂を贈り毛野軍の進行の妨害を要請した。
当時磐井は大和朝廷に朝貢をせずに独立していて、朝鮮半島の高麗、百済、新羅などと日本の国主として貿易や使節派遣を独自に行っており朝廷に従っていなかったといわれている。
磐井の反乱に対して翌年継体22年(528)朝廷は物部麁鹿火を大将軍として征討軍を派遣し磐井を討った。

筑後国風土記逸文によれば磐井は生前に自分の墳墓を造っていたとする。墓には衙頭(がとう)という広場が付いていた。
衙頭には石製のいろいろな像が置かれていた。立っている人、座ってうつむく人、猪か豚、そして馬。猪を盗んだ者を裁判する様子を現しているらしい。磐井が独自の裁判権を持ち朝廷に属していないことを誇示したものと考えられている。
岩戸山古墳は前方後円墳で後円部に別区と呼ばれる広場が付いていて、そこに石人、石馬などが並んでいるためこれが衙頭で磐井の墓で間違いないとされる。

磐井の墳墓は他に類を見ない別区を持ちそこに石製の馬が置かれている。そしてここ淀江には別区のような造出しを持つ古墳があり石馬がある。磐井は朝鮮半島との交流があったといわれれているが石馬も大陸文化との関連が示唆されている。ここの岩屋古墳からの出土品にも環頭太刀など大陸文化の特色のあるものがあるらしい。
淀江は古代に朝鮮半島との交易で栄えていたことを想像させる。

物部大連麁鹿火が磐井を斬った後、朝廷軍の兵士は石人や石馬の一部を破壊したとされる。確かに馬の首がなかったり一部が壊れているそうだ。むろんここの石馬が完品でないのとは関係がないとは思うが。

天神垣神社

イメージ 1

○古代幻想、淀江(伯耆古代の丘公園界隈) 天神垣神社 (平成16年10月31日)

元の道に戻って上淀廃寺への小道をさらに進むと天神垣(あめのかみがき)神社への石段が現れる。参道を登ると途中に東屋がありそこに記念碑と石馬に関する説明がある。

石馬というのは読んで字の如く石で出来た馬のことだ。全長1.5mほどで足は途中で失われていてる。頭の部分も磨耗なのか最初からなのか目鼻などはっきりせず結構つるっとしていて体も丸っこい形なので、全体にぬいぐるみのようなシルエットになっている。なんとなくかわいらしい感じだ。
最初は先の石馬谷古墳の側に石馬大明神として祀られていたが、廃仏毀釈か一村一社令の影響なのか知らないが明治に廃絶したためここへ移されていた。
ここへ移されたのは文化的歴史的に価値があり保存しなければならないという理由からではなく、単に地元住民が長年慣れ親しんで祀ってきた石馬がうち捨てられるのが忍びなかったということのようだ。貴重な考古学的遺物と再認識されるのはその後のことだ。今では国の重要文化財となり淀江町歴史民族資料館に展示されているのでここは記念碑だけになっている。

石馬は石製の埴輪の一種とされるが実際のところ何なのかは不明だ。明確な記録もない。石馬谷古墳から出土したとされているがこれも定かではない。古墳の葺石とか出土品の中の石製品が石馬と同じ石で作られているとされるので古墳と関連するものなのは確からしい。

参道を上り詰めると新しい小さな社殿が現れる。方二間の妻入りの本殿に縋破風付き平入りの拝殿。どこにでもありそうな村の鎮守といった造りだ。
変わっているのは境内隅に瑞垣で囲まれた御神木と思われる立ち木があり、そこに藁でできた大蛇がいることだ。調べてみるまで全く知らなかったが八朔祭りと呼ばれるものがあり、その大蛇らしい。藁で長く編んだ縄の大蛇を作って供え、その後胴体で綱引きをする祭りとのことだ。八岐大蛇を素盞嗚尊が退治したことに由来するのだろうか。素盞嗚尊は蘇民将来と同一と考えられているので藁の縄ということから茅の輪くぐりの意味もありそうだ。実際はさまざまな伝承と風習が入り混じり形作られたものだろう。

ここの社名は天神と付いているのに少彦名命が祀られている。もと天満宮と呼ばれていたともいう。天神や天満宮といえば菅原道真と決まったものだがどうして少彦名命なのだろうか。実に不思議だ。

石馬谷古墳

イメージ 1

○古代幻想、淀江(伯耆古代の丘公園界隈) 石馬谷古墳 (平成16年10月31日)

秋も深まってきた平成16年10月31日、再び孝霊山の麓を訪問した。楽々福の件で淀江に興味が湧いたことも理由の一つだ。日吉神社が予想外に立派だったこともある。

国道9号線を走っていると上淀廃寺への案内板があるのでそれにしたがって行くと淀江町歴史民族資料館の前にある「伯耆古代の丘公園」に着く。上淀廃寺はすぐ近くにあるし、周辺には古墳も集中し古代史ファンの興味尽きない場所といえる。

上淀廃寺に向かう小道の傍に少し判りにくいが石馬谷古墳の説明板がある。一応ベンチが置いてあったりして公園になっている気配があるのだが、全体が草に埋もれていて手入れは今一つだ。誰も一休みしようと思わないだろう。それ以前に夏草を踏み分けながらベンチへ近づく気にならない。

丘に向かって小道を登る。先日の台風23号の爪痕が行く手を邪魔する。遊歩道の所々で両側の竹やぶから竹が折り重なるように倒れていて道を塞いでいる。風に強いはずの竹が倒れていることから台風の強さを再認識した。それにしても歩き難い。

登って行くと名前の通り「谷」間のようになっている少し開けた空き地に着く。そこに山の斜面を利用した前方後円墳らしき古墳がある。ここも草が生い茂っていてとても寂しい。
後円部によじ登ると頂上には竪穴の跡と思われる浅く窪んだところが見られる。
古墳の隣に石馬が祀られていたそうだが、それがどこだったのか確認することはできない。もちろんその石馬にちなんで古墳の名前が付けられているのだ。
石馬が元あった場所と伝えられているので来てみたのだが、よほどの物好き以外は誰も訪れそうになかった。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.
同行二輪
同行二輪
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事