|
○神社紀行 上山狭神社(平成17年11月27日)
少し暖かい日を見つけて出かけた。平成17年11月27日、今年もこれで走り納めか。
安来の南、広瀬(ひろせ)から県道45号安来木次線(やすぎきすき)を南西に走る。以前に訪れた山狭神社(やまさ)を過ぎて更に山に向かう。広瀬から約7Km、上山狭の集落に着く。
県道は集落の外にある新道なので中学校の前で旧道に入り少し戻るとここにももう一つの山狭神社がある。
長い石段の参道を眼にした時にある程度予想したが、大きな社殿と境内で驚いた。
毎度毎度あっちこっちで社が大きいと驚いてばかりいる気がする。観光案内などに紹介されない神社は小さいだろうという先入観があるからだ。どうしても村の鎮守のような規模を想像してしまう。勝手な思い込みは改めなければと思うのだが、いつまでたっても直りそうにない。
山裾の斜面を切り開いた境内は明るい。大きな注連縄の飾られた拝殿と大社造の本殿。村の鎮守の規模を遥かに超えている。
拝殿横に山狭神社式年遷宮の概容が記されている。平成15年に20年目の遷宮を行ったようだ。本殿の向かって右に小さな元宮神社という社がある。名前からこれが遷宮の元宮と思われる。伊勢神宮と同じに20年毎に正式に遷宮を定期的に行っているとは考え難いが由緒正しそうな社だ。
ここ上山狭と4kmほど離れて以前参った下山狭とに山狭神社がそれぞれあり、近距離に同じ名前の社が計二つあることになる。出雲国風土記に夜麻佐社(やまさのやしろ)というのが記載されていてそれが山狭神社に比定されるのは間違いない。しかし、二つの山狭神社の意味するものは何だろうか。
風土記に記される社は下山狭の神社だと書かれたものをどこかで読んだことがある。手元のいくつかの道路地図などでも下山狭に山狭神社と記されているが、こちらの上山狭には何もかかれていない。どうやら下山狭のほうが有名なようだ。
また、下山狭の社は里宮に、上山狭のほうは奥宮に分かれたとする説もあるらしい。
実はここの地名は宮内という。何度も出会っているが宮内の地名は古くから大きな神社のある場所に存在する。一方、下山狭には古来より社があったことを示すような地名がない。
地名から考えると出雲国風土記の夜麻佐社は下山狭よりむしろここに比定されるのがよさそうだ。二つあるのはやはり里宮と奥宮だったと考えてよいのではないだろうか。
実は出雲国風土記には何故か同じ名前の社が記されていることがある。夜麻佐社もそうで、二度書かれている。それを二つの山狭神社にあてはめることもできるようだ。しかし、他に二度出てくる社には比定すべき神社が二重にあるわけではないので風土記の記載に若干の疑問を感じる。載っているのが二度ではなく何度も同じ名前の社が列挙してある例もあり神社の記載に関しては何か未整理のままのような気がするのだ。
山狭神社には伊邪那美命(いざなみ)が祀ってあるらしい。神社の裏は天狗山でその反対側の麓には熊野神社がある。八雲町の熊野神社は出雲大社にその座を奪われるまで古くは出雲の一の宮とされた由緒ある出雲地方有数の古社だ。
伊邪那美命を祀る社と熊野神社、それに挟まれた天狗山は比婆山の候補地になりうる。これは久しぶりに熊野神社へ行って謎めぐりをする必要がありそうだ。しかし、春になって暖かくなってからだ。
|