同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

日々雑感

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四国初心者遍路

三連休を利用して、ついに四国遍路をスタートしました。
7−8年前から出かけたかったのですが、なかなか機会が取れませんでした。今回、ほとんど思いつきで出かけてみました。
もちろん、一気に回れるわけではありません。まずははじめの一歩といったところです。

徳島までの行きかえりに時間がかかるうえに、年齢的に少々体力が不足してます。バイクを使っているにもかかわらず、ほとんど歩き遍路に近いペースです。

ようやく、徳島市周辺を回れたところです。この調子では四国が回り終えるのは10年はかかりそうです。そういえば、中国三十三観音も4年かかってます。

正直なところ本当に疲れましたが、精神的には充電させてもらいました。
それにしても歩き遍路の人が多いです。本当にすごいです。

三十三ヶ所結縁開帳

週末の土日を利用して、奈良と秘仏開扉に行ってきました。車です。

今年は西国巡礼中興の祖、花山法王の千年忌ということ、普段は見られないことが多い各札所の本尊などが結縁開帳として順次開帳されることになってます。
それの皮切りにと出かけてみました。

まず、奈良に入って週末までの奈良国立博物館の特別展、西国三十三所、観音霊場の祈りと美を見学しました。これも、西国三十三ヶ所の結縁開帳に連動した企画です。

一番の目玉の、京都清水寺奥院の秘仏、千手観音坐像はもちろんすばらしいものでした。その他に、竹生島経が出展されていていて見た目は地味な経紙だったのが意外だったりしました。
それにしても、いつも思うのですが、東京国立博物館と奈良国立博物館は特別展が充実していて、近くでいつでも見学に行ける人たちは恵まれているなあと、羨ましいです。

今日は、三十三ヶ所、勝尾寺の御開帳を拝観して帰りました。
2m程のしっかりした、千手観音立像で、立派なものでした。

これから、秘仏公開が順次行われるので、休日の予定が大変になりそうです。

ネット生活復活

やっとネット生活が復活しました。

それまでも最近はいろいろと調子が悪くて、そろそろ危ないかもと思っていた、我が家のPCが先日ついに立ち上がらなくなりました。

ネットが使えなくなって、メールも確認できない状態が続いていましたが、今日、夕方新しいマシンが到着。ようやくネット生活に戻れました。

新品のマシンは気持ちいいのですが、一方、これから新しいPC環境を使いやすく整備しないといけないと思うと、少々気持ちが重いです。
本当に使い勝手がよくなるのはいつの日でしょうか。

何はともあれ、このPCは結構早くて快適です。

今度は宍道湖中海

中国三十三観音霊場の旅が終わりました。
次は、宍道湖中海周辺の旅の2007年、つまり、去年分を開始しようと思ってます。

少しリアルタイムに近づけたい希望はあるのですが、しかし、相変わらず日々に時間が取れない状態が続いてます。
どこまでスピードアップが出来るか。

人間五十年

「人間五十年、下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者の有るべきか」

織田信長がこの幸若舞、敦盛を舞って、上洛してくる今川義元の大群に向かって出陣し、捨て身の奇襲で桶狭間で奇跡的な勝利を手にした、と伝えられていることは、事実かどうかは別にしてよく知られています。

「昔は人生五十年と言われていたが、今は・・・」などという会話でこの話を持ち出す、人生五十年と間違えている人がいるようです。「人生」ではなく「人間」です。
多分、織田信長の逸話が強烈で、しかも、戦国時代の平均寿命が40-50歳程度とされていることも関係しているのでしょう。信長は実際に48歳で明智光秀に討たれているはずです。

「人間」を「人生」と勘違いしている人は、「下天」も「天下」と思い込んでいるふしがあります。下天をこの世の中のことと思っているのではないでしょうか。
つまり、人生の50年はこの世の中に比べて短くちっぽけなもので、夢幻のようなものだという解釈です。
しかし、あくまでも「下天」で「天下」ではないのです。
これも、多分、信長の天下統一のスローガンである「天下布武」の朱印が頭にあるからだろうと思います。

仏教の世界観では、宇宙の中心に須弥山という巨大な山が聳えていて、その山の上とさらに空中上に天人が住む世界があるとされています。
天人世界の一番下が須弥山の頂上近くで、そこには四天王が住んでいます。そこを四天王衆天と呼ぶのですが、そこを下天と言います。天界で一番下ということです。
その下天では、一日が人間界の50年とされています。

つまり、幸若舞、敦盛の言いたいのは、人間界の50年は下天に比べれば一日に過ぎない、夢や幻のようなものだということですね。
儚いという点では似てはいますが、人の一生が50年でそれを夢幻と言っているのではなく、人間界、つまり、この世の中すべてが儚いものだと言っているわけです。仏教の無常観と通じるものでしょう。

こんなことを思ったのは、先日、とうとう自分にとっての50年が過ぎてしまったからです。
長かったとも短かったともどちらとも感じますね。
しかし、これが一日だとすると、下天の生活は少し長すぎる気がします。
ちなみに、下天では住人の寿命は500年だそうです。一日が人間界の50年で500歳。これはさすがにいくらなんでも長すぎるでしょう。

余分ですが、天界に住む天人もいくら長くても寿命に限りがあることは確かです。人にとって無限に思えても、やはり永遠ではありません。そういう点ではやはり夢幻といえないこともないです。
敦盛の後ろ部分の「ひとたび生を得て、滅せぬ者の有るべきか」は、そういことも含んだ句なのでしょうね。


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