同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

小豆島八十八(発心)

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予定

○予定

ホテルに戻り買出しのためにコンビニの場所を聞く。周辺には見あたらなかったがやはり近くにはないようだ。車で行くなら郊外型のスーパーマーケットがあるとのこと。地図で道を教えてもらい着いてみると今日迷った土庄東港のスーパーマルナカだった。

隣接する中華屋でセットメニューの夕食を摂る。朝食や軽食ペットボトルなどを購入した。
宿を探すときほとんどが食事付きだったが確かに安く外食できるお店が少ない。土庄の繁華街へ向かえば食堂もあるのだろうが基本的に食べ物にあまりこだわらないので目に付いたところで済ませてしまう。小豆島は観光が重要産業なのでリゾートホテルが主力になっているようだ。お遍路のように費用を切り詰めたい人は遍路宿を使わないとちょっと厳しい環境といえる。

ビジネスホテルなので部屋は広くないが静かに寝られればいいのでこれも特に気にならない。大浴場があり広い湯船でゆったりのんびり出来たのがとてもよかった。疲れが一気にとれるようだ。

お風呂に入った後、あらためてゆっくりと巡拝案内書「遍路」をながめた。巡拝モデルコースが上陸場所の港別と廻る交通手段別にそれぞれ載っている。
土庄港に昼頃上陸してマイクロバスおよびタクシーを使う場合が今回のバイク遍路では相当する。所々迷ったりしいているから多少遅れているだろうとは想像していたが、標準的な予定を見て驚いた。
一日目は何と26ヶ所を打つ予定になっている。現在8ヶ所、お寺の数だけでも5ヶ寺も少ない。モデルコースの三分の二しか消化してないことになる。ここまで遅いとは思いもよらなかった。さらに追い討ちをかけるように衝撃的な予定表は続く。なんと打ち終わって島を離れるのは四日目の午後一時頃のフェリーの予定となっている。

「うーっむ!このペースじゃとても廻りきれん。島四国を甘く見ていたか。」
このままだと予備日としていた四日目の日曜日を丸一日使うはめになりそうだ。バイクの初心者の中年オヤジが夜の高速を走らなくても楽に帰宅できる計画のはずだったが大きく出遅れたことになる。どうする。
帰りが夜になってもあくまでも全て打ち終えるか?
いや、今のペースでは最終日を一日使っても無理かもしれない。
いっそのことお寺だけ廻って朱印だけでもそろえるか?
当初より全ての札所を廻るつもりだったし、そのつもりでやってきた。集印だけが目的ではないので庵堂を飛ばすのは全く意味がない。第三者から見たときどうかは判らないが少なくともスタンプラリーのつもりで廻っているわけではない。

しばらく思案して結局は遅くても昼頃には島を離れる予定にした。やはり素人ライダーが疲れた体で夜道を走って帰るのは危険だとの判断からだ。それに今回は全部を廻りきれなくてもまたあらためてくればいい。札所は逃げないのだから。何より安全第一。
打ち終えるかどうか判らないが、心に余裕を持ってマイペースで廻ろうと決める。急いでも仕方がない。
それにしても自家用車だと二泊か三泊だとネットで調べた時には出ていた。本当に二泊で廻れるのだろうか。少なくとも初めてのお遍路が自力で廻るのは二泊では難しそうだ。全てタクシーを使えば可能かも知れない。

七十一番、滝の宮堂

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○七十一番、滝の宮堂

せっかく長勝寺で行き方を教えて頂いたが聞いただけでわかるくらいなら苦労はしない。結局は案内書の地図を頼りに到着した。ただ奥さんの話では滝湖寺さんは少し閉門が早いかも知れないとのことだった。時間的にそのあたりが今日の打ち止めになりそうなペースだ。
典型的な村のお堂。もともとは牛馬の守護であったそうだ。ご本尊は薬師如来。家畜の守護は馬頭観音や地蔵菩薩と相場が決まっていると思っていたので意外だ。

馬頭観音は憤怒形相の観音様で頭頂に馬の頭がついている。そのお姿から牛馬の守護と考えられるようになった。もちろん本来は馬の仏様ではない。馬が草をモクモクと食べるように凡夫の煩悩を食べ尽くすといった意味がある。草を食べるということなら牛でも羊でもよさそうだが何故か馬だ。
地蔵菩薩はこの世の輪廻である六道の全ての衆生を救われるという。六道とは天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六つを指す。動物は多分畜生道に属するのだろうから家畜も救ってくださるということだろう。
薬師如来は名前から想像できる通り薬と病に関連した仏で左手に薬壷を持っておられる。もちろん私たちの病気や体の不具合を癒してくださる。扱う対象は人専門だと思っていた。牛や馬も人と同じお薬師さんに健康を願うというのは飼っている動物を家族としてあつかう気持ちの現われだろうか。そんなことを考えると家畜への思いやりが感じられて心がなごむ。

そうこうしている間にいよいよ夕方が近づく。長勝寺の奥さんの言葉が思い出される。納経所の開いている時間にお寺を廻って近くの庵堂はその後にゆっくりまわろうと先に七十二番の滝湖寺へ向かう。
むやみに急いだり廻る効率を考えたりすることは本来のお遍路の主旨から少々外れているのだろうがそのことに気がついてない。ただ真面目に時間を有効に使って打とうとしているだけなのだが、後で冷静になってみると実に愚かだ。

薄暗くなってきた夕暮れの中、滝湖寺に到着。お堂の扉は開いているが中は明かりも消してあり人の気配がない。念のため呼んでみるがもちろん返事はない。今日はもうここは無理なようだ。
まだ五時には時間があるのでここはあきらめて近くにある別のお寺を目指す。このあたりは全く懲りない行動だ。
七十五番大聖寺。ここは本堂の扉自体が閉まっている。どうやら五時前には閉まり始める所が多いようだ。今はお遍路さんが少ない時期だから早く閉門していたのかも知れない。
結局今日のところはタイムアップ。
現在位置を何とか確認してようやくホテルへ向かうルートを理解した。一番の問題は幹線道路へ出ることだ。島自体はそれ程大きくないので、主要道路にさえ出られれば後は道なりに走っていれば土庄に着くので迷うことなく宿へ帰ることが出来る。
自宅を出発してからの本日の走行距離220km。走り回っているようだが、そのほとんどは家から岡山のフェリー乗り場までの距離だ。

七十番、長勝寺

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○七十番、長勝寺

案内書に従い六十九番を打ち終えてそのまま道を登って行く。相変わらず道は広いとはいえない。後で地図を確認したところ、海岸沿いの県道253号まで戻って行ったほうが道路事情は良いようだ。遍路案内の道順は距離は確かにかなり短そうだが土地鑑のないお遍路が車で廻るのには必ずしも向いてない。

長勝寺でも例によって庫裏に御朱印をお願いに行く。若い奥さんが出てこられた。大抵は納経所にいるのは年配の人なので若奥さんなのは意外に感じる。よく考えれば墨書する必要がなく朱印だけなので誰でもいいわけだ。この後の寺でも若奥さんが御朱印を捺して下さることがたびたびあった。

「オートバイですか。朝は雨が大変だったでしょう。」
先ほどの松林寺でも似たようなことを訊ねられた。小豆島は朝方はひどい土砂降りだったそうだ。その豪雨の中をバイクで廻っていると思われたのだ。幸いなことに島に上陸した時には既に雨は上がっていたので雨に降られることもなかった。

さらにここでも全てのお堂も廻っているのか訊ねられた。お寺だけ廻って納経帳を朱印で埋める人がよほど多いのだろうか。この疑問はここでも聞きそびれて結局謎のまま残ってしまった。確かに庵堂はたった一人でおつとめをして次へ廻るのだけなので張り合いがないのかも。しかし、朱印の頂けない札所は素通りというのは、それはどうなんだろうか。やはり釈然としない。

「全部を廻られているんですね。いままでどこを廻ってこられました?」
困った。島全体を考えずにただ案内書の通りに走っているので廻ってきた地名が分からない。
「さあ・・・。土庄を出てグルッとまわって土庄に戻って。それからこっちへ来ました。」
何とも要領を得ない、情けない答えだ。それでも嫌な顔一つせずに
「それじゃあ、前島のほうから廻られたんですね。そうすると次へは・・・」
丁寧に道を教えて頂く。

最初に打ったところは前島というらしい。出発してから土庄に戻った時にその島を一周していたのだ。迂闊にも海峡を渡ったのに島だったことに気がついていなかったのだ。それもこれも海峡が狭すぎるからだ。しかし、海峡に文句を言っても始まらない。
渡ってきた海峡は前島の土庄と小豆島本島の淵崎の間に横たわるので土淵海峡と名前がつけられている。役場に行けば世界一狭い海峡の横断証明書を発行してもらえるらしい。村おこしの一環だろうがお役所も意外に粋なことをするものだ。

六十九番、瑠璃堂

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○六十九番、瑠璃堂

島を廻っていると火の見櫓を時々目にする。最近見かけないので懐かしさを覚える。しかし現在でも残っているのは島にとって水の確保が切実な問題であることを表しているのだろう。周囲を海に囲まれながら水に苦労する島の不便さがしのばれる。

四海漁港で火の見櫓の手前に札所を示す案内板があり「二輪のみ可」の表示があるので、その路地を入る。まもなく舗装はしてあるが畦道状態となり急に細くなる。しかも直角に曲っている。
どうやら二輪というのは自転車のことを指しているのだと気がついた。まあ原付なら何とかなるかも知れない。しかし、愛車のCB400SFは二輪とはいえ中型車、とても曲りきれない。全く無理だ。

免許を取る時に通った自動車教習所のクランクも狭いと思ったがここに比べたら大通りのようなものだ。当たり前だが教習所のクランクは普通に乗ったままで曲れた。ここは降りてハンドルをいっぱいにきって押しても一度では曲れない。たとえここを切り返して曲ってもその先に細い路地が待っている。
どう考えてもこの道をこのバイクで進むのは無謀だ。退却を決断したがそれから大変だった。

バックしようにも少し入ってしまったので大通りまで距離がある。その上押して歩くにも支障がある。道幅はバイクの隣に立つのがやっとの広さしかないのだ。
右側は水路になっているし左は畑で道より一段低い。おまけに道は少し水路側に傾斜している。もしバイクを倒してしまったら起こすのにとっても苦労する状況だ。多分一人では起こせないだろう。
大声で助けを呼びたかったが、世間体もありここはグッと我慢。
結局、曲がり角のところを利用して何度も何度も切り返しやっとのことで方向転換をすることが出来た。無事Uターンが完了したのはきっとお大師様のおかげに違いない。

ひとつ先の路地に別の案内板があった。普通車が入れるように案内書には書いてある。こちらは広い。広いといっても車同士のすれ違いは民家の庭に入らせてもらわないと無理な程度だ。もちろん車ならUターンも苦労すること確実だ。

高台に向かっての登り道で片方はガードレールもない崖になっている。すれ違いで避けようとして崖から落ちる危険性はないのだろうか。
山の斜面に立つ集落の軒先を縫う細い道沿いに小さなお堂がある。小高いところなので小江の漁港と瀬戸の島々が望めて見晴らしはいい。お堂前に駐車スペースはないのでやはり車で入ると難儀するだろう。
それにしてもここまで、最初に入り込んだ小道でどうやって来るのだろう。どこにもそれらしい道が見えないのだが。

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○六十七番、瑞雲堂(釈迦堂)、六十八番、松林寺

松林寺への途中に「瑞雲堂。改築中につき松林寺へ」の表示がある。改修中では仕方がない。道も狭そうだったのでお堂へ参ることは止めさせてもらった。
松林寺へはスムーズに到着し、瑞雲堂のご本尊も境内のお堂に移してあったのでそこでお勤めをする。
改修中でご本尊がおられないことは甘露庵でも表示してあれば良かったのに、と思ったが、ひょっとすると表示されてたのだろうか。

何しろ初めての遍路で要領も悪いし心にも余裕がなく、いろんなことを見落としながら走っている。さらに初日ということもあり頭の中には次の札所のことしかない。周囲が全く目に入ってないのだ。とにかく打つことで精一杯といった感じだ。
出発前は、心に余裕、ゆっくり遍路、と決めていたが実際に行動し始めたとたんにそんな心構えはどこかへすっ飛んでしまった。急かされるように次の札所へ向かう始末だ。何事も頭で考えるのと実行するのとは大違いということなのだろう。反省すべき点である。良い経験だ。

本堂はきれいで最近の改築のようだった。ここの納経所にも誰もいないので庫裏のほうへまわるとご住職らしい方がおられたので声をかける。
「いつから廻っておられます?」「今日からです。」
「お堂も廻っとられるんですか?」「・・・はい・・・。」
「大変ですね」「・・・???」
一瞬質問というか会話の意味が理解できなかった。どうやら、集印できるお寺だけでなく全ての庵堂も廻るのはご苦労なことです、といった意味らしい。お遍路なのだからお寺もお堂も庵も全部を廻るものと信じていたのでかなり意表を突かれた。
集印のためだけなら納経所のある三十ヶ寺ですむのでひょとすると庵堂は打たない人もいるのかもしれない。しかしそんなことで良いのだろうか。疑問を抱きつつ次へ向かう。

お茶のペットボトルを接待として頂く。朝の涼しさはどこへやら、蒸し暑くなっていたのでありがたかった。

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