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いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

中国観音霊場(第5回)

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地御前神社

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○地御前神社 (平成17年5月29日)

国道2号線バイパスまで戻りさらに超えて国道2号線に出て宮島方面に向かう。地御前という地区のあたりで町中へ入り地名の由来となった地御前神社を探す。少々迷ったが地御前小学校の先に何とか見つけた。

本殿裏に接するようにJR山陽本線が走り拝殿前には今来た旧道、そしてその道端に鳥居があり、その鳥居の先には広島電鉄宮島線と国道2号線が通る。境内が道路と線路に挟まれて切り取られている。要するに道路と線路脇の空き地に社殿が取り残された格好だ。この状態を無理してこじつければ交通の神様にふさわしいといえなくもないか。

地御前神社は厳島神社外宮とされ宮島の厳島神社を内宮とするのに対応する。宮島は古来島全体が神聖な神の住む島とされ人は住むことが禁じられていて容易に参拝することがかなわなかった。そこで遙拝のためにこの神社が建立されたとされる。庶民はこちらにしか参れなかったのだが今では旅行客は宮島にしか行かない。宮島は世界遺産にも登録されて全国的に有名なのに対してこちらは知る人ぞ知る社となっている。例に漏れず宮島は何度も訪れたがここは初めてだ。

舞殿のような板張りで壁のない前殿とその後ろに朱塗り蔀戸の本殿がある。前殿の階は中央ではなく向かって右寄り、つまり建物の左についていて本殿へも左側でつながり、正面が向かって右に片寄っている。見方を変えれば建物の右側へもう一棟伸ばしたような格好ともいえる。
本殿の左側、向かって右が大宮本殿で厳島神社の本社に相当し、右側客人本殿が厳島摂社客神社に相当して、全体で厳島神社の縮小型と解されているとのことだ。

鳥居の前は広電と国道を挟んで海が広がる。昔は多分鳥居の直前まで波打ち際だった思われる。厳島神社と同じで海から船で参拝することを考えてあるようだ。管弦祭では宮島から出帆した御座船が地御前神社まで来てまた帰ってゆく。
国道を走るとき注意していれば鳥居も社殿も見えるはずだがなかなか気がつき難い。また、見つけたところで線路があるのでそこから入ることはできない。

瀬戸内海の向こうに宮島が望める。望めることは望めるが遥拝所としては少し離れすぎている印象をぬぐえない。このあたりの海岸から見えるのは宮島のかなり北側で厳島神社は見えない。神社のあるのは島の西側の少し入り江になった場所なので、ここからは角度が外れてしまうのだ。もっと島に近いフェリー乗り場のある宮島口が遥拝所としては最適に思える。
こんな風に考えてしまうのは今の厳島神社を中心にして考えてしまうからだろうか。本来は宮島全体が崇拝対象であって島を遥拝できればどこでもよかったのかも知れない。

地御前神社と厳島神社、さらに宮島の最も高い山である弥山の山頂がほぼ南北に一直線に並ぶ。これは偶然でなくそのようにデザインされてそれぞれの社殿が建てられているという説がある。しかし、地御前神社は東を向き、厳島神社は北西を向く。初めから計算されていたのなら、どうして建物の向きまで揃えなかったのか。南北軸にそって神社が配置されているというのには社殿の向きが統一されてないのがどうにも気になる。

速谷神社

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○速谷神社 (平成17年5月29日)

朝7時出発。午後に向かって行楽客も増えるし納経所も遅くまで開いてないので、札所巡りは午前中をいかに有効に使うかがポイントになる。要するに早起きでスタートしないといけないということだ。

国道2号線もこの時間だと車は少ない。市街地を抜けて宮島へ向かって走る。西広島バイパスは車の流れもスムーズだ。途中、廿日市で国道433号線に入って1kmあまりで速谷神社へ到着。ここともう一つ予定している地御前神社へ寄り道するのは移動途中にあるからといった理由だけではない。次の札所大聖院のある宮島の厳島神社と少なからず関係しているので時間が許せば立ち寄りたいと思っていた社なのだ。大聖院と厳島神社はもちろん密接に関連している。

広島、安芸の一宮は宮島の厳島神社だが古来ここ速谷神社は厳島神社と同格かむしろ上に位置していた。厳島神社が一宮としての地位を確立するのは平清盛が社殿を今のように整えて崇敬した頃からで、それまでは速谷神社が一宮とされていた時期もある。そこでどのような社なのか一度参拝しなければと思った訳だ。

道路から石の大鳥居が見えて誰でも一目でわかる。予想外に大きな神社だ。予想外といのうは失礼だがこれほど立派だとは想像していなかった。一宮の地位を追われてからきっと勢いは振るってなくて寂しいだろうと思っていたのだ。

木立に囲まれた参道を進み楼門をくぐると広い境内に出る。少し広すぎると感じるほどだ。さすがは旧一宮。
拝殿は千鳥破風に唐破風向拝をつけたかなり大きな社殿で本殿は三間社流造のようだ。古そうな建物ではない。少し近年の整備がされすぎていて時代が感じられない。周囲の社叢が薄いのも残念だ。そのせいかどことなく護国神社のような新しく創建された国家神道神社の雰囲気が漂う。

主祭神は飽速玉男命(あきはやたまお)。天孫降臨に付随した天湯津彦命(あめのゆつひこ)の五世の孫とのことだ。天孫降臨は天照大神の孫である瓊瓊杵尊が高天原から高千穂峰に降りたという神話のことだが飽速玉男命も天湯津彦命も聞き覚えがない。少なくとも瓊瓊杵尊に一緒に遣わされた五伴緒(いつとものお)と呼ばれる五神の中にはいない。記紀を通じても登場しないはずだ。

少し調べた結果、どうやら先代旧事本記で饒速日命(にぎはやひのみこと)の降臨に随伴した一人が天湯津彦命らしい。そして、飽速玉男命は安芸国造の祖とされているようだ。
饒速日命は記紀にも登場し瓊瓊杵尊より早くこの日本に降り立っていたという。その饒速日命を祖先にもつという輝かしい伝承を持つのが物部氏だ。
そうするとこのあたりは物部の支配地だったのだろうか。古代安芸に関する伝説は記紀では乏しい。また本宗家の物部氏は蘇我氏との戦いに敗れ滅亡したため氏族の伝承の多くが失われている。安芸と物部をつなぐものが残されていない。

物部氏は大和朝廷においては強力な軍事氏族だったとされる。
中国山地を越えた島根県大田市には物部と関連するその名もずばりの石見一宮物部神社がある。大和朝廷が奈良盆地から瀬戸内、山陰と勢力拡大をした時に安芸から中国山地を越えて石見に進出し出雲を平定したとすれば、その侵攻軍の主力である物部氏の足跡ということも考えられそうだ。

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○第十一番、潮音山、向上寺 (平成17年5月28日)

県道363号線を海まで下り突き当たりのしまなみフェリーに乗船する。フェリーというと大袈裟で渡し舟というほうがぴったりくる。まるで筏のようだ。
信号待ちか遮断機を待つように道から直接乗り込んで、そのまま向島まで5分足らず。バイクから降りる間もない。またがったまま110円を払っているともう着いてしまった。
乗船代は大人100円、小児50円と船内に表示してあるが二輪の値段が分からない。
「いくらですか?」と船内で運賃を集める車掌のような人に訪ねると、「110円」とのこと。210円を渡すと「110円です。」と100円を戻された。何と二輪は10円なのだ。自転車だろうとリッターバイクだろうと10円。バイクから軽自動車と同じ通行料を徴収する道路公団も見習って欲しいものだ。

向島ICからしまなみ海道へ乗って因島大橋を渡りそのまま因島を通過して、更に生口橋を渡って生口島北ICで生口島に下りる。県道81号生口島循環線を耕三寺を目印に走る。フェリーを降りてからは海沿いや交通量の少ない道で実に快適なツーリングロードで気持ちがいい。

耕三寺はあまりに有名な西の日光。絢爛豪華ら伽藍が立ち並ぶ。日光陽明門を再現した孝養門、平等院鳳凰堂を模した本堂、夢殿1/2の八角円堂、室生寺五重塔をモデルとした五重塔。その全てが原色彩色され、まさしく現代に出現したこの世の浄土。ただ、有名寺院建築の良いとこ取りで少々やりすぎの感はある。
一度は見る価値がある瀬戸田町一の観光寺院だが初めてではないので今回は遠慮する。
耕三寺の隣には平山郁夫記念館もありこちらも新しい観光名所。ここも訪問済みで今回は素通りする。

道なりに走ると瀬戸田港の海岸に突き当たる。海岸沿いを役場を過ぎて進むと向上寺三重塔の案内看板が出るが駐車場はない。仕方なく道の端に停めさせてもらう。
狭い漁師町の路地を抜けて右手に神社を見ながら登る。

参道途中に山門がありその前に観音堂があるがここは札所所ではない。そこから落ち着いた木立の中、門を通して見る参道には趣がある。平山郁夫のしまなみ海道五十三次スケッチポイントの説明があった。やはり風情のある景色なのだ。同じ構図で記念写真を撮ってしまう。

門をくぐると左手に鳥居があるのだが何故か石垣に向かって建っている。つまり鳥居の向こうには石垣しかないのだ。説明もなければ扁額もない。崖が磐座なのだろうか。単なる石垣にしか見えない。不思議な鳥居だ。

境内に本堂はない。本堂どころか伽藍がない。空き地が広がっている。その隅に鐘楼と庫裏があるだけだ。庫裏の前に札所を示す小坊主の案内板がある。玄関で声をかけさせてもらうと奥さんが出てこられた。どうやら納経はここでいいらしい。
御本尊がどこにおられるか尋ねると玄関奥の仏間に安置してあるとのこと。お願いをしてお勤めをさせていただく。
本尊は秘仏なので厨子の前にかわいらしいお顔のお前立ちがおられる。仏間とはいえ普通の奥の間なので須弥壇があるわけでもなく田舎の民家の仏壇とそれほど変わらない。

国宝三重塔は丘の上にすっくと立つ。石段の下から見上げるためにすっきりとした姿勢に見える。間近で見るとどっしりしているのだがやはりどことなく少し線が細い。
朱塗りがやや剥げていてくすんでいるので、かえって派手さが抑えられて落ち着いた感じを受ける。細部の意匠などはかなり凝っているので原色だとやや華美な印象になりそうだ。

塔の立つ丘は公園になっている。潮音山公園というらしい。あまり手入れが行き届いているとは言い難い。夏草が繁りブランコも錆びている。
山頂から塔の上層越しに瀬戸内を見下ろす構図は一枚の絵を見るようで美しい。その位置も平山郁夫のスケッチポイントになっていた。

鶯が鳴いている。暑くてへとへとになった体にそよぐ風がさわやかだ。千光寺と比べて人気がなく静かで落ち着くが如何せん堂宇がないのが寂しすぎる。

伽藍は明治6年の火災で失われ直ぐに本堂は古材で再建したが老朽化によってそれも解体されたとのことなので堂宇がなくなってから何十年も経つようだ。境内の真ん中に本堂伽藍復興の寄進のお願いがある。平成15年、2003年に創建600年を迎えるにあたり伽藍復興を進めている旨が記されているのも少し寂しい。今年平成17年、今日現在再建の気配は全く感じられない。資金繰りがままならないのだろう。仮本堂とされる建物も一般住宅を改良した庫裏にすぎない。
向上寺が伽藍を失った寺とはここへ来るまで知らなかった。
一度参道を下りかけたが途中でいたたまれなくなり急遽再建募金に匿名でわずかだが納志をさせてもらった。それが単なる自己満足にすぎないことは承知している。しかしどうしてもそのまま立ち去るのがしのびなかったのだ。

石段途中に南無大師遍昭金剛のおいずるの老人が座って涼をとっていた。どこから来たのか。お互いに挨拶をかわして通り過ぎる。

島の北にあるフェリー乗り場に行く。窓口は無人だ。勝手に自販機で切符を買うようになっている。二輪は排気量で区分されている。旅客代340円と750cc以上の490円の切符を買う。ひょっとすると二輪の排気量は400cc用の切符でもわからなかったのではないだろうか。そんなことを考えるようでは巡礼する者として失格かも。
待合室で遠くからフェリーが近づくのをのんびりと眺めていた。

フェリーで三原の須波へ。島から本州へ戻ってきた。
相変わらず瀬戸内海のフェリーはバイクの固定もなくただ普通にサイドスタンドで立てるだけ。全く揺れない。乗船時間は20分なので車は乗ったままの人が多い。客室内に入ってみたが他に2人しかいなかった。

三原市内から国道2号線を西へ向かう。さすがに交通の大動脈だけに混雑している。途中仏通寺入り口交叉点というものを発見。春には北から入ったが車で行くならこちらからの道がよさそうだ。便数は少ないもののバス路線でもあるし。
国道は渋滞はしていないが流れが遅い。いつになったら広島へ着けるのか予想が全くたたなくない。しかたないので本郷ICから山陽自動車道を使った。広島東ICから下りて走っているといつの間にか広島高速1号線に入っていてそのまま広島市内に突入。

朝から約290km走って本日の宿に到着。
法華クラブは試験以来だ。昔のことでホテルのことは記憶にない。部屋の様子も全然覚えていない。懐かしく感じるかと思ったがホテルに到着しても何の思いでも蘇らなかった。
部屋の照明が非常に明るい。当時は暗くて受験勉強に困ったことだけを覚えている。
風呂は大浴場があった。温泉ではないが手足を伸ばして入る風呂は疲れが取れて本当にありがたい。やはり個人的に旅の宿に求めるのは部屋の大きさより風呂の大きさだ。

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○第十番、大宝山、権現院、千光寺 (平成17年5月28日)

千光寺にも車で行くには山側からまわらなければならない。海側の市街地からは歩けば登れるしロープウェーを使う方法もある。
千光寺と千光寺公園はさすがに尾道を代表する観光地だけに人が多い。さっきの奥の院とはえらい違いだ。
駐車場は有料で二輪を勝手に路上駐車できる環境ではない。整理係のおじさんの誘導に従いおとなしく100円を払って停める。臨時交番の前なので少なくとも荷物の心配はなさそうだ。

千光寺公園は広い。売店にイラストマップが置いてあるのだが縮尺と方角がいい加減でこれが役に立たない。どうして観光案内のマップはどこもイラストでしかも描かれる距離が適当なのだろう。どうせなら正確な地図のほうが役立ちそうな気がする。せめて最低限所要時間や高低差はわかるようにして欲しいものだ。

公園から歩いて進むとまず観音堂に到着する。西国三十三ヶ所をまとめてお参りできるお堂となっている。一ヶ所で済むのでお手軽だ。西国巡礼を思い出しながら挨拶をした。

西国寺がいくら西国一の寺だと称しても現代の尾道を代表する寺といえばやはり千光寺しかない。さすがに本堂は目を見張るものがある。何がすごいかというと観光客の圧倒的な多さだ。これまで廻ってきた中国霊場でこれほど人であふれている本堂に出会ったことがない。

本堂は崖からせり出すような懸け造りで海に向かって建つ。本尊は秘仏だが千手観音のお前立ちがおられる。写真は撮り放題。いくらお前立ちとはいえ少し失礼な感じがする。礼拝対象というより観光記念写真用オブジェのようだ。本堂に土足で上がることができるのもどうかと思う。
本堂からは尾道の町が良く眺められて本堂というより展望台の一角に何かが祀ってあるような様子だ。お札売り場のおばさんが「ここが千光寺本堂です。よくお参りくださいました。」と時々叫んでいるが、その声ががないと本堂とは知らずに通り過ぎるかもしれない。もちろんおばさんは商売のほうにより熱心だ。
あまりに観光客でごった返していてお勤めがやりにくいのは困ったものだ。この程度の喧騒が気になるようではまだまだ修行が足りないようだ。もっとも、修行などしてないのだが。

納経所は大師堂のところにある。お札やお守り売りのおばさんが番をしていてその人に納経帳を手渡すと奥の納経師に手渡してくれる。未だかつて経験したことのないシステムだ。グッズ売りのほうに力が入っているのがわかる。

尾道には多くの文人墨客が訪れていている。有名なところとして暗夜航路や放浪記の舞台にもなった。そのため公園に「文学のこみち」という文学碑めぐりのできる遊歩道が完備されていて、山の麓から続いている。しかし、それぞれの文学碑を見て作品を思い出したり何か感じたりするような人はどれくらいいるのだろう。自分を含めてそれほど文学を趣味とする観光客は多くはなさそうだ。
それより普通の人にとっては尾道といえばロケの町か。古い町並みと坂の町。大林宣彦監督作品は有名だ。ロケ地巡りも観光の主力になっている。

驚音楼という鐘楼堂がある。日本の音風景100選とのことだが梵鐘はともかく派手な造りの鐘楼堂だ。ここからは寺の町尾道が一望できる。角度の関係なのだろうかお寺が本当に良く見えるスポットだ。

千光寺は岩の上に如意宝珠があり夜ごとに光を放ち海上を照らすことから名づけられ、また尾道が古くは玉の浦と呼ばれたのもそこからくるとの伝説がある。
その岩とされる玉の岩。高さ15m、周囲50mあるそうだ。上に宝珠が据えられている。もちろん新しく作られたものだ。夜は光で照らされライトアップされるということだがそこまでするかと疑問を感じる。だいたい、玉を照らすのではなく玉が海を照らすという言い伝えのはずだ。逆だ。
玉の岩は一応ご神体だろう。しかし、岩の上をロープウェーが通っている。そんなことでいいのだろうか。浄土寺の奥の院にしてもどうも尾道は古寺社が多い割りに磐座の扱いが粗略な印象を受ける。お寺に市民が多くお参りしているのだが本当に信仰心が厚い土地柄なのかどうかよくわからない。文学のこみちの文学碑も巨石に掘られているところをみると磐座は現在ではあまり大切にはされてないようだ。

ここの堂宇の立ち並ぶのは崖と言ってもよい山の頂上付近。周囲には巨岩が沢山あり多くに名前も付けられている。三重岩、夫婦岩、鏡岩など。さらには岩を鎖で登る石鎚山もあるが実物に登山したことがあるので200円払って登る気はない。

浄土寺には巨石群の奥の院があった。西国寺の裏山にも巨石があるらしい。そして千光寺は寺全体が巨石に囲まれ由来も巨石にまつわる。尾道の寺は磐座信仰から発展している。全ての寺がそうだとはいえないが少なくとも町を代表する3つの寺院全てが磐座と関連していることを考えると尾道という町は磐座から出来た町といってもよさそうだ。
西国寺からは正面に向島の断崖巨石の岩屋山が見える。その位置と方角から明らかに岩屋山を意識して寺院設計を行っている。もちろん岩屋山も磐座とされる。寺が遥拝所としての機能も持ち合わせていたのではないだろうか。
磐座の町尾道、巨石信仰の町尾道。新しいキャッチコピーにならないか。

浄土寺、奥の院

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○浄土寺、奥の院 (平成17年5月28日)

よく見ると浄土寺の境内から見上げた展望台と奥の院の甍は町のいろいろな所から目にできる。一度町の北の国道2号バイパスのあたりまで戻ってから道を探す。何とか進入路を見つけて入って行くと道幅は急に狭くなり山道になった。考えてみれば山の上を目指すのだから山道になるのは当然だ。それでも道が細くなると心細くなってきてしまう。

登りきると行き止まりで駐車場になっている。事前に地図で調べたときには麓の浄土寺から登って来られるようなルートが載っていたが途中にそんな分かれ道はなかった。多分今来た道以外に車ではこれそうにない。
どうやら歩けば寺から登れるようだ。途中の小道には三十三観音石仏や山頂近くには摩崖仏があるらしい。30-40分とのことだ。

頂上周囲は公園といえばいえなくもない。単なる道路の一部といえばそれも正しい。奥の院の建物を探して危うく山を下りるところだった。こんなに中途半端でなくもう少し整備しておいて欲しい。

進んで行くといたるところ巨岩がある。いくつもいくつも地面に無造作に転がっている。あまり見慣れない風景だ。
100m程歩くと頭上にせり出していて落ちてきそうな巨大な岩が出現する。岩の下を抜けると岩陰には薬師が安置してあり、その向こうに目指す浄土寺奥の院があった。
お堂は単なる収蔵庫のようなコンクリート製の建物で扉は完全に閉まっている。中を覗くこともできない。

お堂に古さが感じられないのは残念だが眺望は絶景だ。尾道水道、向島、尾道大橋から延びる高速道路、尾道市街が一望にできる。

さらに上には展望台がある。展望台周囲にも巨石が転がっているが良く見るといくつか岩の上に楔を打ち込むための穴が規則正しく開けられているのがわかる。石を切り出すつもりだったのだ。中には岩の上部が切り出された跡になっているものもある。多分築城に使う石の切り出しが行われたのではないだろうか。しかし、そのままにされているものがあるところを見るとここは石切には不便だったのだろう。

それにしてもこの山頂の巨石群は明らかに磐座で浄土寺の奥の院とされるずっと前から御神体として信仰の対象になっていたもののはずだ。そんな大切なものを切り出したりしていいのだろうか。尾道の町衆は平気だったのだろうか。どうも釈然としない。

途中で娘を連れた親子連れに出会った。駐車場の東屋にシートとお弁当が置いてあったのでその持ち主だ。天気も良いし地元の人がお昼を持ってちょっと来てみたという感じだ。他には人の気配がない。来る人もいるのだ、と思ったが、もっとも向こうもこちらの事を少々変な奴と見ているだろう。

お弁当を見て空腹感が強まった。そろそろ昼食を考えねば。

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