同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

小豆島八十八(修行)

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七十九番、薬師庵

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○七十九番、薬師庵

小豆島はその形を牛とも羊とも形容される。子犬というたとえもあるようだ。言われてみればそんな風にも見える。
西を向いていて、最初に札所を廻った前島が頭、南に二つ突き出た半島が前足と後ろ足となる。ただ後ろ足には膝のあたりから西に向かって田ノ浦が突き出していて関節に病気がありそうだ。この牛は足が不自由かもしれない。そうではなくて田ノ浦が後ろ足で突き出た半島は尻尾だろうか。それは見立てが少し苦しい。
足以上に問題なのはちょうど首にあたる部分が土淵海峡で切れていることだ。これはちょっと縁起が悪いかもしれない。

県道26号線は、牛の喉元あたりに位置する土庄から北北東へ大観音の前を通過し島を横切って肩の付け根の場所で島の北岸に達する。その後は海岸線に沿って島を東へ周る。そしてお尻にある福田港で道はそのまま国道436号線と名前を変えて南下して行く。本日予定の札所は多くがこのルート沿いに点在している。

金剛寺を過ぎてから快適な海岸道路をのんびりと東に向かっている。特に牛の背中から尻の辺りにかけては海を眺めながら小さなアップダウンを繰り返すツーリングにもってこいの気持ちのいい適度なワインディング道路だ。季節なのか時間なのか車の姿もほとんどない。風を受けながら文字通りの快走。しかも明け方の雲は全てどこかへ消えて真っ青な空と海が眼前に現れては消える。
「きれいだ。気分爽快!」
思わず叫んでしまいたくなる。もうこうなるとお遍路なのか単なるツーリングなのか区別がつかない。

楽しんで走っている最中に薬師庵が道端に突然出現して慌ててストップした。小さなお堂なのだが鐘撞き堂がある。
ふと道の真中に小さな赤いものが目に入った。沢蟹のようだ。道をゆっくり横断中だ。蟹にしては急いでいるのだろうか。都市部なら間違いなく轢かれてしまうがここでは車もなかなか来ない。おつとめをしている間に何事もなく無事に渡り終えていた。

七十八番、雲胡庵

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○七十八番、雲胡庵

県道沿いに「大阪城残石記念公園」を発見しちょっと休憩。

豊臣秀吉が大阪城を築くときに小豆島から石垣に使う石を運ばせたという。切り出された石の一部は築城が終わったため運ばれることなくにここに放置されたので残念石というらしい。

大阪城石垣の巨石は有名だ。全てが小豆島から秀吉が運ばせたものではないが、京橋門桝形「肥後石」や大手門桝形「大手見付石」などはそうらしい。どうやって200トンもあるという石を運んだのだろう。実際に眼にするととても人力だけで動かせそうな大きさではない。昔の人はすごかった。
大阪城は徳川家康に冬の陣、夏の陣と攻められて完全に破壊されているので石垣も秀吉時代のもではなく家光のころに造り直されている。そのため今残っている石垣に使われている石は小豆島産ではないという説もあるそうだ。

大阪城で名前のついている石垣の岩ほどは大きくないが、ここにある石もかなり巨大だ。重機もトレーラーもない時代に切り出したり運び出すのは容易ではない。確かに、これだけの石なのだから、ここまで苦労して持ってきたのに使われないのは残念という気持ちはもっともだ。しかし、切り出す前に石垣が完成しそうかどうか、まだ石が必要かどうかは判断できそうな気もする。

石を引いて運ぶときに使った修羅などを見学して戻ると、駐車場でたまたま道の向こう側に雲胡庵の案内板を発見。ここで停まらなかったら見落としていたかも知れない。

狭い農村の道へ入る。
庵とはいえ隣に庫裏があって小さいながらお寺といってもよさそうだ。ここのように管理者がいるような庵の格付けはどうなっているのだろう。お寺と称してはいけないのだろうか。住んでいるのは住職さんではないのだろか。疑問は多い。

ここでおつとめをしようとして数珠がなくなっていることに気がつく。前の札所に忘れてきたようだ。途中で落としたかもしれない。
特別な数珠ではないのだが、なくて元々と藤原寺まで戻ってみる。すると本堂の椅子にあった。無事に戻ってきたのもお大師さんのおかげと感謝する。それとも納経代を奮発したご利益か。

番外霊場、藤原寺

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○番外霊場、藤原寺

奥の院を除くと唯一の番外霊場。お寺なので納経してもらえるが番外なのでここのお寺のただ一つだ。

お寺なのだが境内は狭く庵堂と言ってもいいくらいこじんまりとしている。そしてなんとご朱印はセルフサービスになっている。自分で押してくださいと本堂内の横に書き置きと共に朱印が置いてある。

「本当に自分で押してもいいのだろうか。」
何かものすごく神聖なものを手にするようで妙に緊張してしまう。もちろん御朱印に直接触れたのはこれが初めてだ。捺す頁も間違えないようにしないと取り返しがつかない。少しどきどきしながら、そして慎重に押した。あっけなかった。
まあ、物理的には単なるハンコにすぎない。複雑な気持ちだ。
納経代は150円だがコインが500円玉しかない。さすがに踏み倒すことは憚られるので奮発した。

今日は今までのところ寺を中心に順調に打ち進んでいる。おつとめにかかる時間の短縮化の他に札所を探すペースも格段に上がっている。案内書の地図の見方にも慣れたのだ。
遍路道は車が通れる道路を中心に書いてあるのだが、やはり歩き遍路向きに作ってある。最短の道順のようなので地元タクシーならその通りで廻れるだろうが初めての人には狭い道が多い。
「幹線道路を中心に走って札所へ向かう路地を入る。打ち終わったら近道に思えても部落内の道をなるべく通らない。いったん幹線道路に戻って次の札所に向かう。」
この方法が土地鑑のない車遍路にはベストだと判った。

実はこの方法に至るまでには事情がある。案内書の地図には赤いナベブタのような記号が札所への分岐となる所々の交差点に付けてある。昨日は一日中これを信号機の表示だと勘違いしていたが、本当は札所の案内板があるという記しだった。ひどい勘違いだ。最初の松風庵を見つけるのに時間がかかったのはこの地図上の標しが信号機を表すと思い込んで見当違いの場所でうろつきまわっていたからなのであった。その後も分岐点を間違えること数限りなし。それはそうだろう。勝手に信号機のある交差点を曲っているのだから。
昨夜ホテルで落ち着いて案内書を見ていてようやく理解した。記憶をたどってみるとそう言えば霊場会でおじさんが地図上の赤いしるしについて説明していたような気がする。てっきり信号機だと思い込んでいたので上の空でしか聞いていなかった。

普通はロードマップでは信号機のある交差点を重要な目印として使うのでその表示があるはずだとの先入観もあったようだ。ちゃんと聞いてない自分が悪いのだがもう少し車向きの表示を取り入れて欲しい。
この地図には信号機のある大きな交差点などの重要な道路上の情報が何もない。縮尺もばらばらなのでせめて分岐点までの距離が入っていればどんなに助かることか。改訂の予定はなさそうだがもしもの折には是非とも考慮願いたいものだ。
ロードマップではないといわれればそれまでだが。

主要道には分岐場所で札所への案内板が出ているのでそれさえ見つければ大丈夫だと知ったが、少々小さく見落としやすいし反対側からしか見えないように取り付けてあったりするので油断はできない。

よく見ると案内板以外にも廻るための道しるべがいろいろ出ている。
札所の近くでは注意すると小さな遍路みちの表示があったりひっそりと石標があったりする。もっともこれらの表示は小さすぎるし石標はすりへっていて読みにくい。あまりに見立たないのでバイクで走っていると確認できない。徒歩でなければ入れない道に表示されていることもある。

ようやく到着しても小さなお堂だとそこが本当に札所なのか無関係のお堂なのか建物だけでは区別は困難なことがある。そのときは間違いなく札所であることを確認できるものが本堂の前にある。小坊主が札所の名前を持って立っているのだ。もちろん本当の人ではなく小坊主の看板だ。
この確認方法は絶対確実なので特に人の姿のない庵堂では効果絶大だが、最大の欠点はお堂の前まで到着しないと確認できないことだろう。

ここの札所よりしばらくは島の北側の海岸に沿った県道26号線を利用して廻る。

七十六番、金剛寺

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○七十六番、金剛寺

今日は各札所でのおつとめが非常にスムーズだ。次に何をしたらいいか考えてまごまごすることが少なくなったこともある。

納札には日付と住所氏名を昨夜のうちにあらかじめ書いておいた。胸のポケットにろうそくと線香、もちろん納札を数ヶ寺分入れておく。線香はそのままポケットに入れると折れてしまうのでメモ用紙で直径1cm、長さ10cmほどの筒を作ってポケットに入れその中に差す。これを「線香ホルダー」と名付けた。それ程のものではないが必要は発明の母だ。
これらの準備のおかげでいちいちカバンから線香とろうそくを取り出し納札に名前を書くという手間が省け札所で必要なものを瞬時に取り出せるようになった。

おつとめのスタイルも一定した。
最初はその時々で本尊名だけだったりとか般若心経もあげたりとか決まってなかった。開経偈、般若心経、御本尊名か大師宝号、廻向文という、かなり簡略なものだが自然とこの形式に固まってきた。当然ご詠歌は歌えない。
さらに庵堂ではもっと簡素化して御本尊名か大師宝号のみ。ろうそくは灯さず線香のみお供えする。手抜きと呼ばれそうだがこれが精一杯。

お経に関しては別にして庵堂でろうそくに火をつけないのには理由がある。寺と違って庵堂は人がいないので灯明のろうそくを点けっぱなしにすると火災の危険がある。もちろん必ず火の始末をして立ち去ればいいが万一消し忘れるということもありうるので初めからろうそくは使わないことにさせてもらったのだ。

おつとめがこれだけで良いのかいろいろ問題も疑問もあるが、曲りなりにも形を決めてしまうと札所での一連の動作がよどみなく完了するようになった。他人が見ても昨日に比べてずっとお遍路慣れしているように映るはずだ。しかし、朱印をいただいた無愛想な住職にも、寺の前の畑で働くおばさんにも感想をたずねる勇気はない。

七十七番、歓喜寺

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○七十七番、歓喜寺

ここでも納経所は不在だ。ご住職は呼び鈴でドスドスとものすごい音をたてて出てこられた。そんなに慌てなくてもいいのに。
ご本尊は如意輪観音菩薩で本堂隣の客殿に歓喜天が安置されている。客殿とよばれる建物がお堂の中心にあり本堂よりも立派だ。お寺の名前、さらに客殿の大きさから本来の本尊は歓喜天ではないかと想像した。現在の本尊如意輪観音は元は前立ちと考えられないだろうか。

歓喜天はいわゆる秘仏で一般の人が目にする機会はほとんどない。秘仏とされる像はいくらでもあるが多くは時々開扉されてその姿が拝める。だだ歓喜天の場合はそういう秘仏ではなく絶対秘仏で一般公開されてない。つまり、歓喜天は特定お寺だけで秘仏扱いになっているのではなく、ほぼ全てが秘仏として一般人の目に触れることがない。

歓喜天は正しくは大聖歓喜天といい象頭の男女が抱き合った像であらわされることが多い。その姿から古来より性的信仰と結び付き夫婦和合などのおかげがあるとされる。そのような男女が抱き合った姿の仏像を交合仏と呼ぶ。
公開されてないのは性的な姿が仏教の教義を誤解させることを恐れたためだろう。隠さないといけない程衝撃的とか一目見ると腰を抜かしそうとかいった刺激的な像ではない。どこかの秘宝館のほうがよほどすごいこと間違いない。交合仏にしても本家であるヒンズー教のミトラ像やチベット仏教に代表される後期密教の像などのほうが比べ物にならないほどインパクトがある。それらは博物館によく展示してあるが、歓喜天は絶対秘仏なのでお寺で直接拝することは無理だし博物館や特別展覧会などでも極希にしか公開されない。しかも興味がないと見ても印象に残らないかもしれない。

歓喜天の秘密性の強さは像を隠すだけではない。ご真言も「おん・・ぎゃくうんそわか」で「・・」は伏字だという。何か発禁本の墨塗りみたいだ。
秘仏の場合よく前立ちがおかれることがある。前立ちはご本尊と同じ仏様とすることが通例だが、歓喜天の場合は姿を隠しているわけだから歓喜天を前立ちにはできない。観音菩薩を前立ちにする。これは多分交合している片方が観音菩薩とされていることと無縁ではないだろう。

歓喜天はもともとご本尊となっている寺も非常に少ない。遍路の本家である四国八十八ヶ所でも八栗寺は歓喜天で有名だが本尊ではなく聖天堂に安置されている。関西では生駒の聖天さんはあまりにも有名だがそこも聖天は守護神でご本尊はお不動さんだ。生駒の聖天さんと呼ばれるほど有名でも本尊ではない。

ここでは前立ちが独立して本尊となったのではないだろうか。
しかし、仏教で歓喜とは仏の教えを受けて喜ぶ様子をあらわす一般的な言葉なので、寺の名前が先で後からその名前に因んで歓喜天を安置したのかもしれない。そのほうがありそうな気がした。

とりとめのないことを考えながら島の北岸に向かって進む。
ところで歓喜天は本来は天部に属すので仏とか仏像と呼ぶのは正しくないのだが、難しいことは抜きにしてお寺に安置してあるものは全部仏様と呼ばせていただいてる。


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