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○美保関のかなたへ(3) お台場公園 (平成18年8月15日)
美保関(みほのせき)から戻って境大橋を渡る。橋から右下に見えるのがお台場公園。この橋は高い場所に架かっているので島根半島側から走ると境港(さかいみなと)へ向かって着陸してゆく飛行機の気分だ。
橋を降りて国道431号線を境水道へ向けてそのまま走って行くと左手に小さな灯台のある公園が見える。駐車場へは港まで進んで海とくらしの資料館を目標に入る。
関の五本松公園はつつじの名所、お台場公園は地元の桜の名所、どちらも今は花の季節ではない。当然屋台も出てない。人はまばらだ。
公園の東に教会風のモニュメントが建っている。昭和2年8月の美保関事件殉職者の鎮魂のために建てられた慰霊塔だ。
この慰霊塔の存在も以前から知ってはいたが、具体的な内容は全く知識がなかったのでじっくりと見るということがなかった。
巡洋艦神通(じんつう)と駆逐艦蕨(わらび)、巡洋艦那珂(なか)と駆逐艦葦(あし)の衝突にいたる航路が石版に刻まれている。
無謀な演習で起きた事故後の救助や捜索などに当時の境港の漁船や市民がこぞって協力したという。それが縁でここに慰霊碑が建てられているのだ。
ワシントン会議で軍事力を制限された日本軍は量の不足の不利を訓練や熟練でカバーしようとする。
「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門にまさる」
大砲が一つしかなくても百発百中であれば、百発打って一発しかあたらない大砲が百あるよりずっと良いという考えだ。
大砲の扱いに習熟すれば命中率が上がり数の劣勢を補えるはずだと。それを可能とするのは厳しい訓練あるのみ。
つまり、兵士に熟練の技、名人芸を要求したわけだ。何だか間違ってなさそうに思えるところが巧妙だ。
これに対して、太平洋戦争でアメリカは、どの兵士でも効率よく戦闘力を上げられる方法を選択した。つまり、命中率をあげるのを大砲の改良で行った。それと同時に百で不足なら千の大砲を投入するという物量で勝負したのだ。国力の差が戦略の差となっている。
日本軍の方法では、ある兵器の達人が斃れたり働けなくなると戦闘力が激減する。百発百中が一気に百発一中になってしまうのだ。そうすると同じ程度の命中率の大砲ならば数が勝負を決める。戦闘力を維持するためには兵士の安全が最も重要視されなけれればならなかった。しかし、実際は全く反対で人命はどの国より軽視され続けた。
悪天候、ほぼ暗闇の中、目視によって艦隊同士が模擬戦闘を行い衝突した美保関事件、無謀な訓練の実施による人災だ。
しかし、軍部はこの事故を教訓に方針を見直すことはなくその後も訓練第一主義は続いてゆく。多分これは「努力さえすれば何でも出来る」というところへ行き着くのだろう。何となく根性論にも通じそうだ。
慰霊塔に「美保関のかなたへ」が奉納されていた。美保関事件を知った本だ。
お台場というのはもちろん幕末に外国船の脅威に備えて砲台を備えた場所のことだ。そのお台場跡に対米への訓練で殉職した人達の慰霊塔、この組み合わせは何か複雑な気持ちにさせられる。
島根半島の高尾山山頂の自衛隊のレーダーサイトが良く見える。
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