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いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

中国観音霊場(第6回)

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洞春寺

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○第十六番、正宗山、洞春寺 (平成18年8月5日)

鹿野IC(かの)から中国自動車道を使って一気に山口まで走る。山口ICを降りた後は瑠璃光寺(るりこう)の看板を目印に市街地へ入って行く。瑠璃光寺は山口市を代表する有名な観光名所なので案内は充実していて迷う心配がない。

国道9号線で県庁近くまでやってきて洞春寺の案内板を発見して横道へ入る。細い路地の奥に小ぶりのすっきりとした山門があった。

境内に入ると左手に観音堂が建っている。裳階付き入母屋造で国の重要文化財に指定されている。素人目には取り立てて特徴があるとは見えない。実は山門も重文らしいがそちらも特別目を引くようなところはない。多少建築の鑑賞眼がなければその良さは理解できないようだ。

簡素な堂内中央の本尊は秘仏の聖観音菩薩。厨子が少し変わっていて岩窟をかたどっている。説明文には岩屋造厨子と書いてあった。そういう形式があるとは初めて知った。
中央の厨子の扉は秘仏のため閉ざされているがお前立ちが安置されている。とても小さくかわいらしい像のようだが堂内が薄暗いため詳しく見えないのが残念だ。あまり古いものではなさそうだった。

境内はお世辞にも広いとはいえない。
もともとは毛利元就(もとなり)の菩提を弔うため安芸国(あき)吉田の郡山城内に建てられた。毛利は関ケ原で西軍として戦ったためそれまでの中国一円の支配から防長二カ国に移封され寺も山口に移った。その後、一旦は萩城内へ移りここへは明治になって落ち着いている。あちらこちら移転を繰り返した歴史の寺らしい。
観音堂もここに最初からあるものではなく、滝の観音堂の仏殿を大正になってから移築したと説明されている。毛利家隆盛を築き上げた元就の菩提寺にもかかわらず境内や伽藍の規模がそれ程でもないのはこのような複雑な経緯が関係しているのだろうか。

漢陽寺

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○第十五番、鹿苑山、漢陽寺 (平成18年8月5日)

柳井(やない)で国道188号線まで戻り更に進んで県道23号線から県道63号線を北上する。山陽自動車道熊毛IC(くまげ)の手前で県道8号徳山光線(とくやまひかり)に入り国道376号線を通過し長穂(ながお)で国道315号線とひたすら中国自動車道の鹿野IC(かの)を目指す。中国地方各地の旅行はかなりやっているもののこのあたりは全く未踏の地なので時々マップでルートを確認しながらの走行だ。道はツーリング定番ルートでもなくあまり面白みがない。

途中で昼食を摂りたかったのだが店自体が非常に少ない。ようやく鹿野の町に入り蕎麦屋を見つけて飛び込んだ。更科系の白い麺ではなく出雲蕎麦と同じ皮を挽き込んだ黒い太目のボソッとした歯ごたえの蕎麦だ。この手の蕎麦はいわゆる洗練されていない田舎くさい麺なので好みが分かれる。蕎麦の香りが強くて個人的には割と好きだ。

鹿野IC近くの漢陽寺は門が修理中のため通れないので横から入る。
庫裏の玄関が納経所を兼ねている。呼び鈴を鳴らすと奥からどたどたと小さな小学生中学年と思われる女の子が出てきた。用件を伝える。
「納経ですかぁー?お母さーん!納経だって!」と叫びながら奥へ走り去った。納経という言葉に抵抗がないようだ。

この寺は庭園がとても有名だ。ぜひ拝観したいと思って来たのだが、盆のため庭園拝観を中止しているとの張り紙が玄関にあった。これはかなり残念だ。
あきらめきれずに、恐る恐る若奥さんに拝観を申し出ると、
「どうぞ。お盆でいそがしくて手入れがされてないのでお断りしているだけです。それでよろしければいいですよ。ぐるっとまわって見て下さい。」
思いのほか優しい返事だった。それとも巡礼者には寛大なのかもしれない。

本堂前にこの寺を有名にしている曲水の庭がある。全体の作りは枯山水の庭なのだが、その中を小川が柔らかな曲線を描いて流れている。
枯山遺水式と呼ぶらしく、この様式は平安時代などの絵巻物で伝えられるのみでここに唯一再現されているとのことだ。実に優美で風雅な風情だ。京都の古寺にいるのかと錯覚する。
塀越しに望む山門が工事中で足場と防護ネットに囲まれているのが目に入るのが実に残念だ。重厚な山門らしいので、この縁側から庭の向こうに建つ姿を眺められれば最高の景色になるだろう。

本堂を裏にまわると潮音洞がある。山の斜面に作られた四角い石組みのトンネルでかなりの水量の水が勢いよく流れ出ている。340年程前の江戸時代初めに作られた潅漑用の水路らしい。
説明によると、鹿野は台地になっていて水田開発や生活用水の確保に苦労していた。その状況を見て時の代官である岩崎惣左衛門は私財をなげうって、漢陽寺の裏に山を貫くトンネルを掘り錦川(にしきがわ)上流の水を引く水路を作った。その灌漑用トンネルを潮音洞と呼ぶ。取水口から洞入口までは270m、洞の長さは88mだという。
潮音洞の完成で新たな水田開発と住民の生活用水を確保できたのだという。立派な代官だ。どこかの政治家に聞かせてやりたい話だ。
潮音洞から流れ出る水はこの寺の庭園にも利用されている。そのため水のせせらぎが響いて少し暑さを和らげてくれる。

裏山の斜面を利用した庭はいわゆる須弥山(しゅみせん)形式のようなので、これが九山八海(くさんはっかい)の庭と思われる。また中庭には遣水(やりみず)のない枯山水がありこれは地蔵遊化(ゆげ)の庭だろうか。竜安寺の石庭のような庭だ。
他にもいくつも庭があり本堂を取り囲むように様々な庭が配置してある。蓬莱山池庭、瀟湘八景庭(しょうしょうはっけい)、玉澗式枯山水庭(ぎょくかんしき)などと命名されているらしい。庭園の見本市のようだ。庭のテーマパークといってもよさそうだ。

どれもこれも風雅なのだが、残念ながらどの庭がどれにあたるのか本当のところはさっぱりわからない。誰かに説明をしてもらいながら見なければ十分に鑑賞できそうにない。普段の拝観は解説が付くのだろうか。
それにしても庭の名前がやたらと難しい。
九山八海、地蔵遊化は仏教から、蓬莱山は道教から、瀟湘八景は山水画の画題からと様々ななものを題材に名前が付いている。玉澗式などと聞いたこともないものもあり、この名前の説明だけでも相当に時間がかかりそうだ。

本堂は大きく蔀戸になっていて御所風だ。庭といいやはり京都の門跡寺院や仮御所かと錯覚してしまう。
法堂へ行く。そこには1mもない小ぶりの聖観音坐像がおられる。荘厳は禅寺らしくあまりきらびやかではない。こちらは一転して簡素な印象を受ける。

般若寺

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○特別霊場、神峰山、般若寺 (平成18年8月5日)

柳井(やない)の町から国道188号線を徳山方面(とくやま)に向かってしばらく走ると左手に看板が出る。田圃に囲まれた道を山に向かって進む。分岐にもきちんと案内板があるので迷う心配はない。
道は室津半島(むろつ)スカイラインに続く。スカイラインというものの展望の全く開けない一車線の田舎の山道にすぎない。普通自動車同士でもすれ違いは苦労する道幅だが確かに道自体には危険な個所はなく問題なく着く。

駐車場から池が見えている。龍神池と書かれてあり小さな祠もある。その脇の小高い場所が般若姫(はんにゃひめ)と用命天皇(ようめい)の墓所とされる。
瑞垣に囲まれて二基の多少崩れかけた宝篋印塔が慎ましやかに建っている。
用命天皇の御陵とされているが宮内庁は指定してない。そんなことと関係なく大切にされているのだろう。誰が供えたのか花が飾られている。
宮内庁管轄御陵はあまりに整備されすぎて畏れ多い感じを与える。いわば高圧的だ。そして天皇陵には全く近づけない。遠くから遥拝するだけだ。天皇は文字通り近寄りがたい存在としてそこに祀られている。
しかし、ここでは気楽に近くまで寄れる。用命天皇も般若姫と同じく庶民にとって身近な存在として愛されているような気がする。まさしく開かれた皇室か。

御陵を過ぎて登ると仁王門が左手に現れる。いつの間にか仁王門をくぐって境内にいる形になっている。門の外へ出てみるとそちらが昔ながらの参道で石段の向こうへ草生した細道が山を下るように続いている。道路の整備で昔ながらの本来の参道が廃路となったのだ。
仁王門を左に見ながらさらに石段を登るとかなり傷んで建物自体が多少ゆがんだ妙見菩薩のお堂があり中を覗くと本尊の安置場所に神鏡が置かれていた。観音堂はさらにその上だ。

観音堂の堂内には1m足らずの聖観音立像が安置されている。扉が開かないため中には入れない。格子越しで薄明かりの中拝観するだけだがなかなか端正な像のようだ。先の湘江庵といい柳井の仏像は優れている。

観音堂の左の壁には三光之窓と呼ばれる、30cmほどだろうか、少し大きな丸と小さな丸と三日月が並んだ明り取りがつけられている。毎年大晦日に姫の没した大畠の瀬戸から姫の魂が火の玉となって飛んできてこの窓から入り堂内の灯明を点けるのだとされる。
この話では姫は海で亡くなったことになっていて、井戸のそばから柳の大樹が生える柳井の地名説話がなくなってしまうが細かいことは気にしないことにしよう。普通、逸話には細かい相違が沢山あるものだ。

説明によると三つの窓は太陽、星、月を表していて、北極星である妙見菩薩を中尊に、左右に日天、月天を配した形という。さらに、向かって右に日で、左に月を配するのが普通なのでお堂の内側から拝するのが正しいだろうとのことだ。
この三光之窓は途中の妙見菩薩のお堂と関連がありそうだ。後でお寺の境内図を見て気がついた。妙見菩薩の堂の旧地は三光之窓の先にある。お堂の中から窓を通して妙見菩薩を拝するようになっていた可能性がある。実際には窓からは見えないので拝するというより観想するといったところか。
しかし、もっと考えられるのは直接北極星を仰ぐという方法だ。もちろん妙見菩薩は北斗七星という説もあるが北極星を神格化した菩薩なので、妙見菩薩堂から北極星を眺めるのは意味がある。三光之窓は窓の位置がかなり高い場所にあるので中央の星を表す窓から実際に北極星を拝することが出来そうだ。拝する位置はひょっとするとお堂の本尊の置かれた場所かもしれない。誰か実際に確認して欲しいものだ。

観音堂横には満野長者(まのの)夫婦の墓とされるものがある。痛みが激しく相輪から上を失っているが、これも御陵と同じで二基の宝篋印塔だ。実際は多分一連のものとして作られたもののだろう。

本堂へは仁王門の横の細い道を進む。少し分かりにくい。門と境内の配置が妙な寺だ。
納経所の前にも広い駐車場がある。車で本堂近くまで来られることがわかった。しかし、ここまで車で来てしまうと観音堂へは戻らなければならない。どちらがいいかはその人次第というところか。
人の気配がなく静かで聞こえるのはセミの声だけだ。納経所の御婦人にお茶を頂いた。冷えてはいなかったが心遣いがうれしかった。こういうお接待は巡礼をやっていて本当に素直にありがたいと思える。大切にしたい瞬間だ。

本堂の裏山には八十八ヶ所のミニ霊場が作られている。どのくらいの距離なのかわからないし、それ以上に暑くてとても廻る元気はない。まむしに注意の看板も気になる。
下の観音堂の周囲には三十三観音ミニ霊場が作られていた。

本堂は北向きに建っていて本尊は北向き地蔵と呼ばれているとのことだ。1m足らずの地蔵菩薩坐像に右脇侍は弘法大師、左に智拳印の大日如来という妙な組み合わせだ。湘江庵といい柳井の三尊形式は変わっている。
さらに2m以上の大きな仁王が安置されている。
実は下の仁王門は空っぽでここに置かれていたのだ。
涼しい風の吹いてくる本堂の前に腰掛けてしばしの休憩。こうした人も少なく騒音もないところでのんびりするのは堪らなく気持ちのいい時間だ。

駐車場へ戻ると観音堂のあたりから横笛の音が聞こえてくる。納経所の御婦人と話す笛の練習に来たという二人がいたがその調べだ。神職のようだった。祭囃子の練習でないのは流れてくる笛の音が優雅なのでわかる。
なにかしらこの寺は落ち着くなあ。

白壁の町並み、柳井

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○白壁の町並み、柳井 (平成18年8月5日)

これから先しばらく札所が遠くなる。移動を考えると本当は2泊3日である程度まとめて廻りたいところだが休みが取れそうにない。今まで通り週末の一泊を繰り返すことに決めた。少々効率が悪いが仕方がない。
平成18年8月5日早朝、空が明るくなり始めた頃に出発。国道180号線から183号線と進んで庄原IC(しょうばら)へ向かう。西方面への移動に使ういつものルートだ。途中の国道はあちらこちらで片側一車線の交互通行になっていて崖の補修工事が行われている。今年の梅雨の大雨、平成18年7月豪雨の爪痕だ。

七塚原SA(ななつかはら)に7時半到着、休憩した後、広島を目指して走る。途中の中国山地では霧が所々出ていて気温も22℃で涼しい。中国道に入っても霧は続いていて全身がしっとりと濡れる。メッシュウエアにインナーを付けてきて正解だった。

個人的に庄原から広島へ向かう中国道は心に引っかかる思い出があるため、いつ走っても少し気分が晴れない。早く通り過ぎたいためか思わずスピードが上がってしまう。

広島自動車道を経て山陽自動車道へ向かう。
広島北JCTを過ぎたところで空が一気に晴れた。宮島SAで二回目の休憩を取る。
ここには鳥居のある展望所があってそこからに宮島が拝めるはずだが、あいにく霞んでいてはっきりとは見えない。思えば宮島の大聖院を打ったのは一年以上前なのだ。巡礼はかなりのご無沙汰だ。
気温も急上昇してきたためウエアのインナーをはずしたりして暑さ対策をする。

玖珂IC(くが)から県道70号柳井玖珂線を南下して柳井市内(やない)に入った。観光案内所の場所を、散歩中の老人に尋ねたたら案内所の前だったという間抜けた状況ではあったが無事に到着した。明治40年(1907)、周防銀行本店として建てられた洋風建築の洒落た建物なので、案内所とは思わなかったのだ。町並み資料館、町並みふれあい館も兼ねている。
案内所に来たのは大休憩と小観光のための情報収集だ。柳井の町はこれから行く般若寺と深い関係があるのでぜひ見ておきたい場所がある。

バイクは停めたまま、歩いて町を散策する。
住宅街の路地を70mほど入ったところに湘江庵という小さなお寺がある。もとは隣の誓光寺の一部だったように見えるが今は別経営のようだ。ここに、柳井の地名発祥となった柳と井戸がある。

欽明天皇(きんめい)の時代、豊後の国、臼杵(うすき)の炭焼き小五郎は満野長者(まののちょうじゃ)とも呼ばれ、彼には菩薩の再来と賞賛される美しい姫がいた。名前を般若姫(はんにゃひめ)という。その噂を聞いた橘豊日皇子(たちばなとのとよひ)は豊後を訪れ結婚の約束をして都へ帰った。皇子は後の用命天皇(ようめい)で聖徳太子の父として有名だ。
姫は多くの者を伴にして船で都へ向かったが、柳井とその沖の周防大島(すおうおうしま)の間にある大畠の瀬戸で遭難し、そこで海を鎮め船を守るため神仏に祈り自ら荒海に身を投げた。幸に伴の者に助けられ船も陸に着くことが出来た。上陸後、姫は里の者に案内され清水をもらったところそれが大変おいしいと、お礼に持っていた不老長寿の楊枝を井戸のそばに差したところ一夜で芽を出してやがて柳の大木になった。そこで、その柳と井戸から柳井の地名が生まれたのだという。
しかし、姫は衰弱激しくこの地で亡くなり神峰山に葬られた。欽明天皇となった皇子は後に勅命して満野長者に姫の菩提を弔う寺を建てさせた。それが今から向かう般若寺だ。
いわゆる般若姫伝説のハイライトで柳井と般若寺との関係が語られている。伝説自体はもっと長く、さらにこの前後に満野長者である炭焼き小五郎の話が付いていたりするらしいが詳しくは知らない。とりあえず柳井と般若寺の関係だけはわかる。炭焼き小五郎が主人公の話では満野長者は真名野長者(まなのちょうじゃ)と呼ばれることが多いようだ。

姫が荒れた海を沈めるため身を投げる話は記紀の日本武尊(やまとたける)の東征での話とほぼ類似している。
天皇の命で日本武尊は東の蛮族を討ちに遠征するが、走水(はしりみず)の海、今の浦賀水道で海神の怒りをかい海は荒れて難破しそうになる。そこで同行していた后の弟橘媛(おとたちばな)は海神の怒りを鎮めるために海に身を投げる。それによて荒波は穏かになり船は無事渡れたとされる。
伝説ではなく記録としては、魏志倭人伝には持衰(じすい)という役目らしきものが記されている。航海中は断食などさせて精進させ、無事船が着けば褒美を与えて、もし海が荒れれば責任を取らされて殺されたされる。これから荒海を鎮めるために人を犠牲にするのは日本では非常に古くからあった風習なのがうかがわれる。

小さな境内の中央にある柳と井戸を眺めていると庭掃除中の老人が寄ってきていわれの説明を始めた。大体のことは知ってますとも言えないので、相槌を打ちながら聞く。
話し好きなようで完全に捕まってしまった。ここを訪れる観光客は多くないのだろう。久々の聞き手を見つけた老人はなかなか話が終わらない。
「般若寺へ行く予定です。」話の流れでこの後の行き先を聞かれたのでそう答えたところ、「ここへは研究か何かで?」と訊ねられた。
柳井の柳と井戸を見学して般若寺へ行くというのはどうやらあまり一般的な観光ではないようだ。

四代目の切り株が残されているので現在の柳は五代目らしいが、初代は本当に飛鳥時代の木だったのだろうか。
本堂と思われるお堂が開いているので簡単にお勤めをさせて頂く。
正面は1mほどの十一面観音立像、左脇侍が薬師如来で右脇侍が虚空蔵菩薩となっていて非常にかわった組み合わせだ。本来安置された三尊ではないのかも知れない。
こういっては失礼だが、小さなお堂にはもったいないほど像はなかなか美しく整った優雅なもので歴史を感じさせるものだ。

江戸時代の商家を保存してあるむろやの園の前を戻り、白壁の町並みを歩く。入母屋、妻入で、漆喰、土蔵の家並が続く。道路もレンガ舗装で非常に美しい通りだ。
旧町並みの保存を行っているところは様々あるが、この柳井の町も観光案内所とこの周辺はよく整備されていて統一された落ち着きのある景観を作り出している。
もちろん古くからの町並みそのものではなく観光を意識して整えられている。テーマパークの様だといえばその通りで、それを作り物と呼んでしまう人もいるようだが、個人的には嫌いではない。本当に昔ながら状態の町屋や街道では現在の生活に非常に不便になるのは間違いないからだ。ある程度の近代化されたリフォームは仕方がないだろう。

人通りが少ない。もっと観光客が多くてもよさそうだが知名度やアクセスの問題だろうか、それとも時間が少し早いのか。
町の特産の金魚ちょうちんがずらっと軒に吊られているのも夏らしい風情だ。もう一度、のんびりと時間をかけて散策したい町だ。

観光案内所に戻って般若寺への道順を聞く。とても親切に説明してもらう。巡礼案内書ではかなり山の中らしく書かれていた。少々心配なので道路状況も訊ねる。
「道は悪いですか。」「車ですか?車なら大丈夫。」
「バイクです。」「ああ。楽勝楽勝!大型トラックだとちょっと苦しいですけどね。」
大型トラックで観光して回る人もいないと思うが、ともかく自家用車程度なら問題なく行けるということだ。
職員の対応も丁寧でますます柳井は好印象の町となった。
それにしても気温はどんどん上がり暑くなって既にバテ気味。朝の中国山地の涼しさはどこへ行ったのだ。

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