同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

小豆島八十八(菩提)

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薄暮

薄暮

午後四時二十三分、今日はここで終わりだ。
三都岬を廻っている頃はペースがまだ遅いかなと思っていたが結局予想を大きく上回るスピードで一ヶ所残して廻りきった。
実は、朝食時から食欲がなくお昼も全然食べる気がしなくて食事らしい食事もせずに走り回った。ただ水分補給はしっかりやったのでその点だけは大丈夫だ。無事に一日終わった安心感とほぼ打ち終えたことでホッとしたのだろうか、急にお腹が空いてきた。
食事所を探しながらホテルに帰る道すがら少しきょろきょろしながら走っていると、土庄の町中に見つけた。ただ、それは食堂ではなくホンダ店の「石井サイクル」。急ぐ予定もないので念のため寄ってみる。
「レバーか。この前も曲ったのを戻してたら折れたな。その後で違うやつを加工して付けたけどえらい時間がかかったなあ。まあ、探してみるわ。」
あまり期待はしてなかった。昨日の夕方転倒で曲げたブレーキレバーの換えだ。
「あったわ。これや。ほな直そうか。」
まさかあるとは。ラッキーだ。島で取り替えるのは無理だと思っていたし、どうせ明日には帰るのでこのままでも仕方ないと覚悟はしていた。
「一人か?今度は秋に来たらええ。秋の寒霞渓は最高。日本一やから。無理せんように。」
2500円でレバーを交換してもらいながらおやじさんの若い頃のツーリングの話を聞く。一日で1000km近く走ったこともあるという。しかし、今はバイクに乗ってないそうだ。
やっぱり曲ってないレバーは使いやすい。結局見つかったのはバイク屋さんで食べ物屋ではなかった。食事は中華をたらふく食べた。
土曜日ということもあてホテルは昨日より更に人が多い。玄関先には二台のツアラータイプのバイクが止まっている。でもお遍路ではないようだ。
ホテルの部屋に帰って納経帳を確認した。確かに全て朱印で埋まっている。全部打ち終えていなくても朱印が揃っているのは何か妙だ。
「やったー。」という気持ちと「まだ一つ。」という気持ち半々といった少し複雑な気分だ。
家を出てから積算距離477km。島はそれ程大きくないので一日中走り回っていても距離は大したことはない。

行者堂

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..五十六番、行者堂

観音堂で体力の回復を待ちながら地図を確認する。山道を歩けば五十六番へゆけるのは確かだ。宝生院から行者堂まで歩いてミニトレッキングのつもりだったが体力の消耗を過小評価していた。これ以上歩いて行くのはとても無理と判断した。
畦道を通りや住宅街を抜けて宝生院の駐車場まで帰ったが途中からは何故か来た道とは違った。帰り道のほうが明らかに短い。やはり迷っていたのだ。

どこまで行けるかわからないがバイクで行けるところまで行く。そこから歩く。歩くというより登る。里山にすぎないが現在の体力からは登山状態だ。後で思い出せば距離は多分100mほどだろう。しかし足が前に出てゆかない。それでも歩いていればいつかは着くものだ。
山腹の木々に囲まれた小さなお堂だ。神変大菩薩である役の行者が本尊なので行者堂という。

修験道の祖とされている役の行者を本尊としているお堂が札所になっているのは、小豆島の遍路道が修験道と大きく関わっていることを示しているような気がする。巡礼の札所で役の行者を本尊とするところはとても珍しい。山岳霊場のところで思いついた島四国八十八ヶ所成立の思いつきは結構真実に近いものかも知れない。

「全行程を歩く遍路にとって昔から結願の札所である。」
案内書の一文だ。
結願の札所を感じさせるものは何もない。ただ心の中でかみしめるだけだ。お遍路にとってはそれで十分なのだろう。
しかし、まだ一ヶ所打ち残している札所がある。そこが今回の自分にとっての結願になる予定だ。
夕日を眺めながらここまで無事に来れたことを感謝する。

観音堂

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..五十五番、観音堂

「土庄から始めて順番に打ってこられたのならここで納経は全部終わりですよ。」
宝生院の納経場でそう言われた。
しかし納経帳を埋めるのではなく、札所は全部打つつもりでここまできたのだ。まだ自分の心の中では打ち終わっていない。

五十五番と五十六番はすこし歩かなければ行けないのは昨夜確認してある。さいわいまだ日は高い。徒歩で300mとなっているので宝生院にバイクを停めたまま歩き始める。
住宅街の中を進んでゆく。歩き始めたものの、ここの札所も案内書の地図が全然役に立たないことがわかる。しかたがないので道端の遍路道の表示を頼りに進んでゆく。それでもわかりにくい。道と勘違いした舗装は水の流れていない用水路だったりする。
途中で尋ねながら進むものの入り組んでいてなかなか着かない。登りきったところにあると聞きそれらしいところを息を切らせて登ったがはずれで、距離は100mもないが残暑と疲労の蓄積で残っていた最後の体力のほとんどを無駄に使ってしまった。
再び遍路みちの表示を発見して畑の畦道を歩きそして山道を登る。わずかな登りなのだがすでに一気に踏破する力は残ってない。
見上げるとそれらしい建物の屋根がのぞいている。虫取りをしている小学生の子供たちがいたので観音堂かどうか聞いてみた。
「知らん。何しに来たん?」
聞いたあとに気がついた。いくら地元といっても子供がお堂の名前まで知ってるはずがない。
何となく子供たちと合流して歩き出した。お堂らしく見えた建物はうれしいことに間違いなく札所だった。正直なところもしここも違っていたらどうしようと心配していたほど疲労困憊している。しばらく休まないともう動けない。しかし子供の前で弱みは見せられないため平静を装っておつとめを始める。息があがっているのを気づかれないようにしよう。
「何するん?」「お参りだよ」「・・・???」
この子供たちはお遍路を知らない。宝生院でおばさんから聞いた「お遍路が少なくなって」という言葉を思い出していた。お遍路が多ければお堂の名前は知らなくてもここが札所だということぐらいは知って育つだろう。遍路装束ではないのでわからなかったということでもなさそうだ。

見知らぬ旅人に興味を失ったらしく子供たちは元気に下へ降りていった。バテテ動けないのでベンチに座って涼みながらこの先の島遍路を考えると少し心配になった。
あの子たちが自分の年になったときにここの遍路はまだあるのだろうか。残っていたとしても道やお堂は廻れる状態なのだろうか。
四国遍路は多分なくならないだろうが全国のうつし遍路は消える運命にあるのかもしれない。

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○五十四番、宝生院、五十一番、宝幢坊、五十二番、旧八幡宮

今朝来た道を逆走する。
順路では国道に沿って四十九番、五十番と打つのだがその二つは昨日と今日ですでに打ち終わっているので次の札所へ向かう。
土庄に帰ってきた。宝生院は小豆島の代表的観光寺。ガイドブックやパンフレットには必ず載っている。
駐車場の目の前にこのお寺のシンボルであり観光の目玉「大シンパク」の巨木がある。シンパクは真柏と書くので柏の仲間なのだろう。植物にめっぽう弱いので樹木の種類はわからないがその大きさは見ればわかる。横目で眺めながら札所を打つ。
同じ境内に五十一番があり大シンパクの隣には五十二番がひっそりと建っている。ここには三つの札所があるのだ。

納経所におられるのはどうやら檀家の奥さんのようだ。ご朱印を頂きながら少しお話を聞く。
「最近はお遍路さんがめっきり減ってねえ。この季節だから少ないんじゃなく景気が悪くなってから本当に少ないんですよ。お遍路するのも結構お金がかかりますからそのせいでしょうねえ。」
島のお遍路が少なくなったのは景気のためだけではないだろう。その証拠に本家の四国遍路は空前の大ブームになっている。ちょっと大きな本屋さんに行けば四国遍路の案内が何冊か必ず置いてある。お遍路が下火になっているわけではない。むしろ未だかつてないほど盛り上がっているのではないだろうか。
本物志向というと失礼だがお遍路といえば四国、どうせなら四国を廻りたいと思う人が多いということだろう。それと交通手段の発達も無視できない。昔は遍路を廻る以前に、四国へ行くことがすでに大変で、数日を使った区切り打ちを重ねようにも次はいつ行けるかわからないという事情もあったろう。その場合少ない日数で全てを廻れる島四国の選択があったに違いない。今では一度で全部廻る「通し打ち」でなくても「区切り打ち」をするのに四国への行き帰りが容易になったことも全国のお遍路さんを四国に集める要因となっていると思われる。
さらに四国がマスコミで有名になりすぎてしまって島四国などの小さな遍路はその存在自体の認知度が下がっていることも大きな問題だ。そういう自分も小豆島にはなかなか気がつかなかった。

隣の旧八幡宮はその名の通り元は八幡神社だ。境内のシンパクは伝説によると応神天皇の御手植えと伝わる。そして八幡神社は応神天皇の別名である八幡神を祀る。
神社に巨木はつきものだ。神の依代(よりしろ)として巨木のあるところに社を建てたのか、たまたま境内に立派なシンパクがあったのか。どちらにしろ神社に八幡神を勧請してからお手植え伝説ができたもので、お手植え伝説があったために八幡神社が造られたのではないだろう。
どのような経緯にせよ巨木は初めはお寺でなく八幡神社の所属だったと推測される。島の各地で神宮寺や別当寺が明治の神仏分離で廃寺となる打撃を受けてきた跡を見てきたが、ここでは珍しく神社のほうが存続できずお寺の管理になっている。
実は明治にはお寺だけでなく神社も大きな被害を受けている。一町村に神社は一つだけにせよといういわゆる合祀令だ。これによって各部落にあった産土神を祀る小さな神社は大きなところ一ヶ所に統合された。さらに残った神社も大きな社の末社に組み込まれることがあったので主祭神の名前がかわってしまったところも沢山ある。ここもそんな影響のあった八幡神社だったのかも知れない。

シンパクの下に立つ。
ガイドによると高さ20数メートル、根元の幹周り16mあまり、樹齢は1500年とも2000年ともいわれる国指定の天然記念物である。遠くから眺めても大きさに圧倒されるが近くによってみるとその存在感はさらに実感される。少ないボキャブラリーではとても表現できない。長い年月の流れが凝縮しているようだ。奈良などにある古寺のご本尊と相通じる神聖な雰囲気を感じるのは間違っているだろうか。
「この木は今までどれくらいのお遍路さんを見てきたのだろう。そしてこれか何人のお遍路さんを見つづけるのだろう。」
樹齢の推測が確かなら、お遍路さんも小豆島八十八ヶ所もないときからこの樹はここに立ちつづけている。それどころか日本に仏教がまだ伝来しないときに生をうけているかも知れない。それに比べ今回の旅のいかに短いことか。
この巨木にとって応神天皇も八幡神社の盛衰もまたお遍路にしても何も関係ない。ただじっとここに立ち、行過ぎる人々や変わり行く風景を見つづけてきた。伝説を付けられたり国の指定を受けたりするのも迷惑そうに感じられるのは気のせいか。いや、そんなことも気にもしてないかもしれない。
「よく来たな。まあ少しゆっくりしてゆけ。」
そんな声が聞こえてきそうだ。

円満寺

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○七十四番、円満寺

小豆島大観音前の県道26号線から見下ろす道のすぐ下にある。今まで何度も案内板の前を通過している。今朝も土庄から寒霞渓スカイラインへ向かう途中この前を走った。
こんなに県道から近いのなら打っとけばよかった。県道に車を停めて歩けばいつでも打てたのに。

本堂へ向かうと庭で掃除をされていた奥さんが気がつかれたらしく後から入ってこられる。おつとめを始めると合わせるように太鼓を打たれ始めた。
そばで読経を聞かれるのは恥ずかしいので一人にしておいてもらいたかったがもちろんそんなことは言えない。ほんとうに下手なおつとめなのに最後まで付き合ってもらった。ありがとうございました。
残す札所もあとわずか。いよいよ最後が近くなってきた。

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