同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

小豆島八十八(菩提)

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毘沙門堂

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○四十八番、毘沙門堂

山へ向かって登って行く。今までの経験からこのまま奥に入るだろうと予想したが外れた。あっけないほど里に近かった。
森の中の狭い谷の斜面に立てられたお堂だ。後ろには大きな砂防堤が迫る。昔に土石流でも起きたことがあるのだろうか。その時は当然このお堂は流されたはずだ。

お堂の扉に手をかけるが開かない。戸が閉まっているお堂もたくさんあるので開かなくてもいいのだが納札を収める箱が見えないのが困る。
扉に設けられた郵便受けのようなところから入れるようになっていた。
格子になっている扉の上部からお堂の中が覗ける。扉の近くにお札がコンクリートの土間に散乱している。受け口は単なる投入口で内側に箱が付けられているわけではないので納めたものは全てそのままお堂のコンクリートの土間に落下するのだ。
納札もお布施も全部が地面に落ちる。ダイレクトメールの郵便物ではないのだから奉納物に対してこの扱いは如何なものか。
納札の扱いとしては釈然としないものが残った。改善を要求したい。せめて箱でも置いて受けるようにして欲しいものだ。

一つ前の札所が多聞寺で、そのの次に毘沙門堂が続く。ここでまた想像が湧く。
ここのご本尊は当然、毘沙門天。毘沙門天はいわゆる四天王の一人で北を守護する多聞天の別名とされ、独尊として安置する場合特に毘沙門天と呼ぶことが多い。つまり四人グループの時は多聞天と称してソロ活動では毘沙門天という名前を使うようなものだ。そして多聞天と言えば先ほどのお寺が多聞寺だ。多聞寺のご本尊は毘沙門天(多聞天)と思ったら意外や薬師如来だった。
説明によると「多聞寺はもと東林坊と称していたが戦国時代の始め頃に現在地に移転し多聞寺と改名した」とのこと。つまり元のご本尊がお薬師さんだったのだろう。しかしお寺の名前を多聞寺にした理由がわからない。
思うに、元からあるここの毘沙門堂を奥の院として扱う形にしたので多聞寺と称したとは考えられないだろうか。

多聞寺

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○四十六番、多聞寺

このあたりの札所は県道252号線から山に向かって登り、打ち終わったらまた県道へ戻って次へ行くということを繰り返し進む。歩きだと遍路道で直接結ばれているので四十四番、四十七番、四十八番と山中にある札所を連続して打って麓のこの四十六番に出てく来られる。しかし、車では四十八番へ行く前に県道沿いにあるここ多門寺に先に着いてしまう。

堂の前に土を盛った円墳のような場所があり頂上に宝函印塔が立つ。その下へ潜るように階段が続く。地下室は不動明王の行場になっていた。
ここも納経所に誰も出て来ない。留守にしますという書き置きもない。この頃はすっかり馴れているのでそんなことでは全然動じない。納経所をのぞくと納経印は簡単に手が伸ばせる場所にあるので勝手にセルフと判断して納経を済ませる。少しずうずうしいだろうか。

駐車場であの神戸ナンバーの関西弁の老人とまた入れ違いになった。何故かここに来る途中で県道でもすれ違った。あの人は一体どういう順番で打っているのか。廻り方が理解できない。案内書が違うのかそれとも自分で調べながら廻っているのか。四国遍路や西国巡礼などでは札所は有名なお寺なのでロードマップやカーナビを使って廻れるし実際そうやる人もいる。でも小豆島では遍路専用の地図や案内書がなければ難しい。もちろんほとんどの札所がナビには登録されてない。
納経所に誰もいないことを教えてあげとけばよかったか。

栂尾山

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○四十七番、栂尾山

棚田を横切るようにして谷を超えて行ければ近いのだがあいにく車道がない。一度麓の県道まで下りて隣の尾根を登る。集落を過ぎて案内の示す横道に入ると同時に悲鳴をあげた。谷底に向かって落ちるような急斜面を下ってゆく。何度も言うがバイクはバックが出来ない。行き止まりになってないかとっても不安だ。この先にUターンできるような広場があるのか。
幸にも下には駐車場になっている空き地がありほっと一安心。駐車スペースの手前に小さな橋が架かっていてその名も「かずら橋」。今は橋はコンクリート製なので車でも大丈夫だが前もって橋の名前を知っていれば多分歩いてきたと思う。

雑木林の中を谷に沿う遊歩道を歩くと洞窟に到着した。戸締りのための閂を自分で外して入る。中からは閂をはずせないので、誰かに外から閂をかけられると簡単に中に閉じ込められてしまう。もっともそんなことをされる理由は思いつかないが。
お堂本体は岩窟の入り口に庇を建てて扉を付けてあるだけだ。村が管理している神聖な洞窟といった景色。
前の四十四番は山岳霊場とされているが他の山岳霊場と雰囲気が随分違うなと感じていたがここで謎が解けた。
「ただ山間の寺というだけで崖も洞窟もなかった。」
また例によって根拠のない想像が湧く。

山岳霊場というのは本来修験者が行に使っていた崖に開いた洞窟がもとの姿だろう。修行場として時間が経つうちに入り口に多少の庇や屋根それに扉が付き徐々にお寺として整備されたり、近くの寺院などとも結びつきが出来たりして岩窟を本堂として周囲に伽藍が整えられていった想像できる。
前の湯船山と次の四十八番は断崖も洞窟も備えていないが山岳霊場とされているのはここと距離が近く山道で結ばれていて山中を修行で歩いて廻る時には一つのセットと認識されていたことによるのではないだろうか。あるいは島四国の完備とともに山岳霊場というのが山の中の寺院や庵堂を指すようにみなされ始めたことも関連しているだろう。

駐車場に戻って空想の世界からいきなり現実に引き戻された。
ここに着いた時に後ろのロープにはさんでいたはずの帽子がなくなっていることに気がついていたのだ。前の札所では確かに被っていたので忘れたのはそこだろう。使い古したものだが愛着がある。
「探しに戻ってみよう。」
見つからなくてもしかたがないが一度は探してみないと気持ちが落ち着かない。
集落まで戻ると棚田の向うに湯船山が見えている。車道はないがあぜ道の遍路道を歩けばほぼ直線で行ける。もう一度麓まで下り大回りをして戻るより意外と徒歩のほうが早そうだ。
車を道端の広い場所に停めて歩き初めた直後に「湯船山まで400m」の表示を目にした。見つかるかどうかわからないのに歩く距離としてはちょっと遠い。結局バイクで戻ることにした。軟弱だがこれが正解だった。
札所手前の道の真中にぽつんと落ちていたのだ。ロープに挟んだ時の固定が弱かったのだろう。境内でも駐車場でもなかったので歩いて探しに来ていれば多分見つけられなかった。
数珠といい帽子といい今回の旅では忘れ物が出てくる。感謝。

湯船山

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○四十四番、湯船山

県道に「殿川ダム」「日本百名水・湯船の名水」の看板がある。湯船山の札所の案内はないがこの名水の名前からそこがそうに違いない。迷わず山に向かって農道を駆け上がる。稲刈りはあらかた終わっているが残りは今真っ最中で道には農耕車や軽トラックが停まっている。車で来るとすれ違いは無理だ。四十四番を尋ねていた先ほどの老人はどうするつもりなのだろう。
山の中腹に札所がある。境内を鬱蒼とした雑木林が覆っていてお寺というより神社のように感じられる。境内がほとんど木陰で涼しい。

ここには日本百選が二つもある。一つは案内版にもあった境内にある湧き水「湯船の名水」。もう一つは境内から見下ろすと谷一面に見事に広がる「中山千枚田」。日本の棚田百選の一つ。この山の中腹は湧き水が豊富でそれがこの水田を支えている。名水あっての棚田ということで二つの日本百選は密接に関連していた。
多くの田圃がもう稲刈りを終えているので一部に実った稲の黄色が残るだけだがそれでも美しい。田植えの後ならさぞかし見事だろう。棚田の広がる田舎はやはり日本の原風景だ。秋晴れの空まったりと癒しの景色。風に涼みながらしばし鑑賞する。
実はここが棚田で有名だとは後でパンフレットで知った。この時はただ見とれているだけだった。

浄土寺、地蔵寺堂

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○四十三番、浄土寺、四十五番、地蔵寺堂

池田の町から県道252号線を北上し山間の村に向かう。
お寺は道沿いにある。ここも同じ境内に二つの札所が並存する。地蔵寺堂は昭和24年まで寺だったが村の過疎で檀家がほとんどなくなり維持が困難になってこの境内に堂として存続しているとのことだ。今後も島では檀家数は減少するだろうからひょっとすると維持できなくなる寺が新たに出る危険がある。そういう場合はここのように別の寺の境内にお堂として併合されたり、山岳霊場のように近くのお寺が管理する形態になるのかもしれない。

おつとめをして境内に出ると昨日の関西弁の遍路老人に再び会う。
「留守で誰もおられませんわ。どうにもならん。」
とやはり教えてくれているのか愚痴をこぼしているのか判らない口調で話しかけてくる。
さらに四十四番をもう廻って来たかどうか、廻ったのなら車で行けるかどうかと訊ねられる。
「四十四番ですか・・・。どこでしょうか?わかりません。」
別にいやみではなく打っている札所の番号がばらばらなので四十四番を打ったどうかわからないのだ。納経帳を見て朱印を受けていてもそこが庵堂なら廻ったのかこれからなのか確認できない。
「しゃあないから、もう帰ろうかと思ってます。」
独り言のようにため息混じりに話す。帰るのを止めはしないがおつとめはしなくてよいのだろうか。
老人のスタイルは本格派遍路ではないものの同行二人の袋を下げているのでどこかで巡礼の経験があるに違いない。納経所が無人という思いもかけない状況と札所へのアクセス道路の狭さなどでどうやら小豆島の八十八ヶ所に嫌気がさした雰囲気を漂わせている。とぼとぼと参道に向かう老人の背中は暗い。

一応納経所のブザーを試しに押してみた。あの老人が誰も出てこないと言っていたのでそうだろうと思っていたが、案の定返事はない。家の奥でTVが点きっ放しになっているようなのでちょっと外出したのだろうが納経できないのは困った。
ピンっと来るものがあったので本堂に引き返すと、隅っこにやはりあった。少し奥なので見回さないとわかりにくい。
「しばらく留守にします。御朱印は各自押してください。」
置手紙と共に朱印が机に乗っている。
ありがたく押させて頂いてお堂の外に出るとあの老人がまだ居るではないか。帰ったのではないのか。思い直したのだろうか。
「お寺の写真を撮り忘れてるのに気がついて・・・」
一眼レフをかかえて堂宇を写真に収めている。おつとめより写真を撮ることが重要なようだ。朱印が押せることを教えてあげた。
しかし、この人は島にはセルフの納経所があることを知らないのだろうか。少し廻れば出くわすと思うのだが。ひょっとすると無人の所は納経せずに済ませているのだろうか。もしそうなら小豆島の札所に嫌気もさすだろう。

巡礼の納経所が無人というのは普通はない。それは多く納経は朱印を押すだけでないからだ。納経帳にご本尊名やその梵字さらに寺院の名前などを筆で黒々としかも達筆で墨書する。そのために自分で行うという訳には行かないのだ。書く人はお寺の僧侶のこともあれば筆の上手な専任のこともある。元々四国などでは墨書する代わりに版木で墨のスタンプを押す形式が原型だったらしいのだが今はどこでも手書きになっている。ただ押すよりありがたみがあるからと思う。実際朱印帳に手書きしてもらうと敬虔な気持ちになれるのは確かだ。
筆で書いてもらえる札所を廻ったことがあると納経所に誰もいないなどとは考えられないのだ。しかし小豆島では無人の納経所が非常に多い。

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