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○第二十四番、慶向山、禅定寺 (平成18年10月15日)
秋晴れの休日、平成18年10月15日、出雲周辺の札所へ出かける。ここから先の札所は道に迷う心配が少なので苦労することなく行けるはずだ。というのも大半が参拝経験があるからだ。札所の残りは11ヶ寺で行ったことのないのはそのうち4ヶ寺。とうとう巡礼も終盤に差し掛かってきたことを実感する。
初めに予定している禅定寺(ぜんじょう)と神門寺(かんど)は訪問したことはないものの札所のある場所はほぼわかる。
宍道(しんじ)から国道54号線を南へ走り三刀屋(みとや)を越えたところで県道51号出雲仁多線(にた)を出雲方面に向かう。
県道からの入り口には案内板があるのだが、本当にこの先か、と少々心配になるその道は狭くてしかもかなりの急な上り坂。地元の人に訊ねたところ
「かなり大きなマイクロバスでも登りますけぇ。」
という心強い返事。安心して進入する。
幸に狭い山道は数百メートルで終わり仁王門前の駐車場に着く。ここの仁王はまるでペンキで塗ったものが所々剥げているような少々派手過ぎる色彩で顔はまるで漫画のようだ。どこか張りぼてのような印象を受ける。要するに稚拙なのだ。まあ、よくいえば素朴な作りといえないこともない。
その先も舗装路が続くのでそのまま登ると寺の下に到着。普通車ならここまで来られるが駐車場はないので道端に停めるしかないし、大型車だとUターンが難しいかもしれない。
前には城塞のような高い石垣がそびえ、その上に山門が見える。
山の中腹に建てられた寺なので境内は広くないが本堂と庫裏の他に収蔵庫と思われる建物や鐘楼もある。空き地もあるのでもう少し伽藍が整っていたのだろうがそれでも大寺院といえるほどではない。
三刀屋町指定建造物とある三間四方の宝形造に唐破風向拝の本堂は「御自由に入って拝んでください」と書かれた札がある。
中にある厨子は建物のようだ。凝った作りになっている。軒を四手先で支える組み物の上に唐破風の屋根。大きさからは神輿といった感じだ。
向かって左右に70cmくらいの不動明王と地蔵菩薩がおられるが本尊は秘仏だ。お前立ちはなく正面には鏡が置かれていて、厨子の形といい鏡といい修験道密教系の寺であることが想像できる。
ここの本尊は行基作と伝えられる聖観音立像で、身代わり観音の別名があり霊験譚が伝わっている。
昔、大雪の年があり禅定寺は雪に埋まって幾日も麓の村への道が閉ざされてしまった。保存してあった食料も全て食べ尽くした寺の老僧は餓死を覚悟して眠ってしまう。すると夢の中に観音菩薩が現れ「明朝、玄関に1頭の鹿がいるので、その股の肉を切り取って食べなさい。」と告げられる。夜が開けると確かに鹿がいる。僧侶は殺生は禁じられているが飢えには克てず肉を一切れ切り取って食べた。その後村人がようやく雪を踏み分けて住職を心配して寺まで登ってきた時、鹿は消えた後で雪の上に点々と血の痕が続いている。それをたどってみると本堂の厨子の前で消えていて本尊の股が欠けていた。観音様が鹿に姿を変えて救ってくださったということで以来「身代わり観音」と呼ばれるようになったという。
何だかこの話はどこかで聞いたことがある。西国三十三観音霊場の第二十八番札所、丹後の成相寺(なりあい)の観音霊験譚がほぼ同じストーリーで今昔物語に載っている。
どうやらあちらこちらに伝わるよくある話のようだ。他にも同じ話が伝わる寺がありそうだ。
人の気配が全くしないので納経所に人がいるのかどうか心配だったがちゃんとおられた。
庫裏の前からは中国山地をなす山々が遠くまで連なっているのが見渡せる。
「幾山河こえさりゆかばさびしさの、はてなむ国ぞけふも旅ゆく」
若山牧水のこの有名な歌は信州の山奥のようだが、実は岡山県の哲西町(てっさい)付近、広島との県境の峠で中国山地を詠んだのだとされる。
中国山地は山脈ではない。信越地方のように険しい2000m級の山もなければ四国のような深い谷も少ない。そのため山懐が浅い印象があるが実際は同じような山が山また山といつまでも連なっている。
ここからの景色は大海原のようだ。山の稜線が海の波かうねりのようにどこまでも重なりあって続いている。
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