同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

宍道湖中海巡礼記2007

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○平家物語 その4

弁慶島 (平成19年5月20日)

長見(ながみ)の集落を後にして国道431号線を松江(まつえ)方面に700mほど走ると、左手の中海(なかうみ)に岸から100m程の場所に小島が浮かんでいるのが見えてくる。
子供の頃に暴れん坊で手が付けられなかった弁慶を両親が思い余って閉じ込めたとされる弁慶島だ。

島はこんもりとした形で全体が森に覆われている。周囲は数百メートルほどだろう。
岸から細い畦のような高さ1m程の堤防状の土道が島まで伸びている。道の両側は波のためかかなり削られていて、道の上面よりも側面が狭くなっている、いわばTの字のような形の場所がある。そのうちに崩れるかも知れない。

海に浮かんだ一本橋のような道を島に向かって歩く。夏草が多い。
島に残された弁慶は泳げなかったために、少しずつ石を置いて岸まで道を作り島から脱出したとされる。その道がこれなのだそうだ。
しかし、渡っている道は単に石を積んだものではなく、もちろん飛び石のような海面すれすれのものでもない。積み石の上に土を盛って造られたもので、弁慶とはいえとても子供が作ったような代物ではない。それに、弁慶はただ島から逃げ出せればよかったので、こんなにしっかりした道は不要だったはずだ。
傷みは激しいがしっかり土木工事がされていて、ある程度実用的な目的で造られたものだ。

道が島に取り付くところには小屋の屋根が見える。実はその家がこの道が出来た理由だ。
戦前か戦後か、どういう経緯かも覚えてないが、島に老夫婦が住みつくようになったが渡るのに不便で、近くの住民が気の毒に思い島への道を造ったという話を読んだことがある。
つまり、今歩いている道は新しいものなのだ。
ただ、それまでも道はあったようで、それがあったおかげで人が住み着いたのだ。
多分、道の下に見えている自然石の乱積がもとの道なのだろう。

島に上陸すると少し空き地となっていて見えていた小屋は朽ち果てて廃墟となった無人の民家だとわかる。
老夫婦が亡くなって今は無人のはずだ。

裏山へ登るような小道らしいものがあるが、どこまでが道なのか不明だ。道ではないかもしれない。とりあえず進んでみたものの、途中で進路が見えなくなり途中で引き返すしかなかった。
島への道が飛び石のようなものだったとしても古くからあったということは、何らかの目的でちょくちょく、ここへ渡っていた人がいたということだ。
もちろん住むのには全く適さない。可能性としては島に社のようなものがあったというところか。確認は出来なかったが島の頂上には墓のようなものがあるという。多分、墓ではなく石碑だろうか。こんなところに墓を造る人はいそうにない。

島には石があまり見当たらない。弁慶が石を積んで道を作ったというが、どう見ても海の道を作るほどの石が島にあったとは思えない。それとも、島にあった運べる石は全て弁慶が道作りに使ってしまったため島から石がなくなったのだろうか。などと、つまらない疑問が湧いた。
そもそも、こんなところに捨てられたらいくら弁慶でも道の完成まで生きていられないだろう。飲料用の水が確保できないからだ。まあ、伝説なのだからしかたがない。

廃屋の前の夏草の庭には沢山竹が伐って置いてある。近くにはチェーンソーもある。どうやら誰かがここの竹やぶを伐採している。
島から引き返す途中、道の下の波打ち際を歩きたくなり降りて歩いていると、歩いて島へ行く老人と会った。まさか、こんなところで人と出会うとは思っていなかったので驚いた。
道は左右に夏草が繁っているために、どうやら老人はこちらには気がついていないようだ。向こうも人がいるなどとは思っていないので目に入っていないのかも知れない。
島で竹を伐っていたということは、島は個人の所有ということか。それはあの老人のものなのだろうか。
個人の土地に不法侵入していたことになるのか。

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○平家物語 その4

長見神社(手染長見神社) (平成19年5月20日)

境港(さかいみなと)から橋で江島(えしま)に渡って島根半島へ向かう。江島大橋を降りた後、右へ進むと中海の中を横切るような堤防の道が続く。
左手に大根島(だいこんしま)を眺めながら真っ直ぐに続く道は海面に近い。波打ち際を走っていて爽快だ。元々は中海干拓事業の目的で作られた堤防なのだが、今では弓ヶ浜(ゆみがはま)、江島、大根島、島根半島と結ぶ生活道路として利用されている。

島根半島を東西に走る国道431号線と合流した少し西にあるのが長見(ながみ)という場所だ。国道から見えるのだが集落へ入る道が少しわかりにくい。住民関係者以外はそれほど使われることがないため、入り口が少々わかりづらくても支障はないのだろう。

国道からはずれて集落へ向かって進んでゆくと島根半島に続く山並みの裾野に鳥居が見えてくる。そこが目的地のようだ。
長見神社は村の一番端に立っている。周りは田植えが終わった長閑な農村風景で鳥居の前は畑だ。

長見の地は弁慶(べんけい)に縁の地とされる。弁慶というのはもちろん武蔵坊弁慶のことで、義経(よしつね)に最後まで仕えた忠義の豪腕の僧兵として知られる。
平家物語というか源平の合戦において最も人気のあるヒーローが源義経なのは疑問の余地がない。その義経と常にセットで語られるのが弁慶で彼の人気ももちろん主役級だ。その生涯は謎に包まれているというか、確かな資料がないためいろいろと伝説が生まれることになる。そして、ここ長見と宍道湖の西の平田(ひらた)周辺には弁慶にまつわる伝説が多く存在するのだ。

弁慶誕生地で一番有名なのは紀伊田辺(きいたなべ)という説だろう。しかし、ここ長見で生まれたという伝説もある。
長見神社には弁慶が京の都に旅立つときに自分の半生を書いたとされる「弁慶願文」というものが残されているらしい。もちろん神社の社宝とされている。
もちろん弁慶願文が見られるとは思ってなかったが、それにしても何も弁慶を連想させるものがない。何しろ神社名の額もない。
説明板もないが、これが長見神社なのは集落の入り口にあった住宅表示板で確かだ。

切妻妻入の出雲地方ではよく見られる大社造(たいしゃつくり)型の社殿。
いつものように神社の周囲を回る。小さな摂社がいくつかあるが、それは天満宮などでやはり弁慶との関連しそうなものは見当たらない。

本殿を回っていて奇妙なものを見つけた。本殿の背面に小さな祠があり、さらにその後ろの山の斜面の社叢に注連縄のされた巨大な老木とそれを囲むような祭祀場がある。巨木の周囲には幣が付けられていたと思われる竹がいくつも立てられているのだ。
巨木を祭祀対象としていることから荒神(こうじん)の一種なのだろうか。
少し近づいてみた。裏の森は深く鬱蒼としている。深と静まりかえり、何か深遠な霊気が感じられるようだった。もっとも、そういう感性にはまったく縁がないのだが。

裏の社叢に分け入ったのには理由がある。
神社の近くに弁慶森と呼ばれる場所があり、母の弁吉が弁慶の旅立つ直前に病で亡くなったためその霊を祀った弁吉女霊社というのが建っているらしいし、さらに、弁慶生湯の井戸というものもあるという。
神社裏がその弁慶森かと思ったのだ。実は全然違っていた。集落位置口にあった住宅表示で確認したところ、神社の左前、もっと国道に近い小山になった雑木林が弁慶森らしい。
しかし、そこへは田圃の畦道のような道しか続いていない。どう見ても公道とは思えない。それに森は全く手入れがされていないようで入り込んで探すという気にもならなかった。
探検には相当の気合が必要そうだ。

ところで弁慶は主人公の義経を助けて大活躍というのが一般的なイメージだが、少なくとも平家物語では弁慶の活躍はそれ程ではない。むしろ非常に蔭が薄い。
平家物語では義経を補佐する腹心は、奥州(おうしゅう)藤原氏の秀衡(ひでひら)のもとを出る時に伴についた、佐藤兄弟、佐藤継信(つぐのぶ)、佐藤忠信(ただのぶ)だ。しかし、能の船弁慶や歌舞伎の義経千本桜などのおかげで義経といえば弁慶とされるようになり、佐藤兄弟がほとんど知られなくなっている。彼らには残念なことだ。

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○日野川に孝霊天皇伝説を尋ねる その7

余子神社(竹内余子神社) (平成19年5月20日)

平成19年5月20日。孝霊天皇(こうれいてんのう)関連社を探して弓ヶ浜半島(ゆみがはま)を走る。
鳥取県の西の県境近く島根半島へ向かって15km余り突き出た弓ヶ浜、そこを米子(よなご)から境港(さかいみなと)に向かってJRの地方線が走っている。そのJR境線、終着の境港へもう3km程の所に余子駅(あまりこ)という無人駅があり、そのすぐ近くに余子神社がある。

孝霊天皇の伝説はそろそろ調べても見つからなくなって来たが、楽々福の名前を頼りに巡って来ていた。しかし、とうとうここからはその楽々福(ささふく)という名前も消えた。

余子というのを「あまりこ」と読むのはかなり難しい。
大きな「餘子神社」の碑と立派な鳥居が道端に建っているが、そこから伸びる参道は近くの民家の畑の畦道のようだ。実際に、神社への参道がなくなるのでしかたなく畑にせずに残してあるといった感じがする。

周囲に住宅地が迫った神社なので社叢が深くなく境内は明るい。残った雑木林の中の広場といった感じだ。
割と大きめの拝殿の後ろに本殿がある。石の瑞垣で囲ってあるが本殿は思いのほか小さい。鳥居、石碑、拝殿と他のすべてが大きいのに比べてやや不釣合いと思えるほどの大きさだ。
1m四方ほどの一間社流造。

見たところ土着の産土神を祀る社としか思えないが、祭神に関して正神は孝霊天皇であるとされるらしい。さらに神主家は孝霊天皇の子孫という伝承があるという。

今まで孝霊天皇伝説を追ってきているが、基本的にはそれに皇后伝説と鬼退治に関係した御幸伝説が加わって伝わる。あるいは、楽々福という名前が付いていた。「ささふく」という言葉は製鉄と関連するという説もあり、山中の神社が多かった。
ここには調べた限り天皇と関連する話は何も伝わってないようだ。それに、海に近い砂洲で蹈鞴製鉄(たたら)が行われたような場所でもない。
孝霊天皇は記紀に事跡が記されていない、いわゆる欠史八代の一人なので、祀られる神社多くない。それが何故こんな場所の祭神とみなされたのか。非常に不思議だ。

余子神社という名前からは余子の地の産土神を祀っていた社だったことはほぼ間違いないところだ。しかも、それ程強固な孝霊天皇と結びつく伝説が知られていないにも関わらず、神主家には孝霊天皇の子孫という言い伝えがあるという。
かなり時代が下ってから権威付けのために日野川水系に多い孝霊天皇を祭神として家系を作ったというのがありそうな話だ。

本殿真後ろに小さな石の社がある。かわいい狐がいるが三宝荒神(さんぽうこうじん)と書いてある。詳細は不明だが三宝荒神とお稲荷さんが習合したもののようだ。
本殿の真後ろというのは何かいわれがあるのか。奥宮のような位置づけなのだろうか。
境内に由来を示す案内や説明板は何もないので全てが想像でしかない。

本殿の大きさに比べて鳥居と碑が豪華だ。神社前の道は明らかに最近拡張工事が行われているので、多分その時に建て替え費用が出て新しくなったのだろう。それにしても、神社の規模からもう少し質素でも良かった気がする。

神社はJR線の脇に建っているため大きな騒音で列車が通過するのがよくわかる。
最近、境港は鬼太郎と妖怪の町として知られるようになり一大観光地となった。それに便乗して集客を図ろうと、典型的な地方赤字路線のJR境線は鬼太郎の絵を描いた列車を走らせた。それが結構話題になったので、今度は、米子と境港の間の各駅に妖怪の名前を付けてしまった。妖怪の名前と駅とは何の関係もない。地元の利用客はそれで本当に良いのだろうか。

今も余子神社の前の「こなきじじい駅」を鬼太郎列車が出てゆく。

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○平家物語 その3

須我神社(広瀬須我神社)(平成19年5月13日)

富田八幡宮(とだはちまん)の参道石段の途中の脇に末社としては大きな社殿がある。須我神社(すが)だそうだ。

境内は結構広い。入母屋造の唐破風付きの拝殿に大社造系の本殿。それなりに立派といえなくもないが、拝殿の屋根は瓦葺なのだが本殿が金葺なのが少し興をそがれる。
それでも町の神社にしては規模は小さくない。

社の側に御神輿殿がある。当然中に御神輿がある。
広瀬祇園祭と呼ばれる祭りに担ぎ出されるものらしい。祇園祭は当然のことながら京都の祇園祭を模したものだ。

京都三大祭の一つに数えられる祇園祭は、京都祇園にある八坂神社の祭りで、もともとは疫病封じの祭りとされる。
八坂神社は明治までは感神院(かんじいん)という神仏習合の宗教施設で、延暦寺と関係を持っていたが神社ともみなされていたという。主祭神は牛頭天王(ごづてんのう)とされ疫病退散の御利益で知られる。
牛頭天王は純粋な神ではなく神仏習合の色合いが濃い。そのため、明治維新の神仏分離の時に祇園社とも呼ばれた感神院は八坂神社という名の完全に神社となり、それと同時に祭神の牛頭天王も、同体とみなされていた素戔嗚尊(すさのお)になった。
現在、祇園祭は素戔嗚尊の祭りとなっている。全国各地に祇園祭と称されるものはあるが、当然どこも素戔嗚尊を祀る神社の祭りだ。

当然ここの祭神も素戔嗚尊なのは間違いない。それは神社の名前が須我ということからもわかる。須我神社といえば当然、素戔嗚尊だ。(2003年、素戔嗚尊と八岐大蛇1、須我神社)(2005年、須我の摂社を巡って考える、須我神社)

この須我神社は京都の祇園社から分霊を受けたものということなので当時は祭神の名前は牛頭天王だっただろう。また明治までは名前も祇園宮と呼ばれていたらしい。

まだ広瀬祇園祭は見たことがない。機会があれば夏祭りをそぞろ歩くのも悪くはないと思った。

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平家物語 その3

○富田八幡宮(広瀬富田八幡宮)(平成19年5月13日)

広瀬(ひろせ)の町外れ県道45号安来木次線(やすぎきすき)の脇に鳥居がありそれが富田八幡宮(とだはちまん)の入り口だ。

この神社と平家物語との関係は平景清(かげきよ)が富田城築城に際して遷したとされる伝説がある。ただそれは伝説に過ぎない。山陰には源平の合戦の古戦場などはないので、平家物語ゆかりの場所はどうしても言い伝えになってしまう。

遷ってきた時に八幡神社になったとされる。どうして平氏の景清が八幡宮を創建したのだろうか。八幡といえば八幡太郎義家(よしいえ)以降は源氏の守護神のようになっている。平氏といえば厳島神社(いつくしま)のはずだ。
実は八幡神は源氏一族の守護神ではなく武家一般に祀られた神だった。そのため平氏の武将が八幡神を勧請しても何等不思議ではない。
八幡神は武神としての正確が強いため、以後の戦国武将たちにも好んで信仰された。それが全国に八幡が広く祀られている理由の一つだ。それに対して平清盛が深く信仰した厳島神社の名前の神社は多くない。それは、祀られるのは宗像三女神で戦には関係のない船舶航行の神なので武家が多く信奉することがなかったためだろう。
もっとも景清が本当にこの神社を建てたとは思えないので、平氏と八幡との関係を深く考える必要はなさそうだ。

鳥居の奥には上に向かって伸びる長い石段が待っている。登りきっても参道はまだ続く。
隋神門までの両側には鬱蒼とした深い森がある。さらに門より奥には老杉の木立が両側に続く。社叢は人の手の入った感じがしない。
厳かな感じがする古木の森だ。左右に祭祀場があるのも気を引き締めさせる。

隋神門の横にはお稲荷があって、たくさんの狐が祀ってありここにも祭祀場がある。いわれなどはわからないが古い歴史を持っている神社だとわかる。

狛犬は平成9年の銘がある。阿のほうには子供がいて吽のほうは玉を持っている。いわゆる雌雄形式の狛犬だ。子供がかわいくほほえましかった。

拝殿の前には左右に回廊を付けた楼門が聳えている。その奥に拝殿と本殿がひかえる。大変大きな規模の神社だ。ずいぶん前に参拝したことがあるが、こんなに大きかったのかと、改めて驚いた。
入母屋唐破風付き拝殿。唐破風に彫られた竜虎も鄙には稀なといっては失礼か、平氏の武将が活躍した時代ほど古くはないだろうが立派なものだ。

いつものように横へ回ると八幡の本殿の全容が見えてくる。横からみても瑞垣に囲まれた本殿は予想以上の大きさの堂々とした社だ。軽い気持ちでやって来たので少々圧倒される。

桧皮葺、三間社流造。八幡造りではなかった。
鬼瓦の役目だろうか、蛙股に鬼の彫刻のあるのが目に付いた。

末社がいくつもある。いわれの不明なものも多い。
その中、ひときわ大きいのが境内右、向かって左にある。武内神社だ。
八幡宮なので武内宿禰(たけのうちのすくね)が合わせて祀ってある。よくある取り合わせだがこの社の規模が半端ではない。
鳳凰、鶴亀の彫刻を施した唐破風を持つ入母屋の拝殿に一間社流造の本殿。もうこれだけで十分にそこらの町中にある社になりそうな大きさなのだ。経緯が不明だがこれだけの社は最初からあったものではないだろう。何らかの事情による合祀ではないだろうか。

末社の一つに勝日神社がある。かなり小さいが実はこれが本来のここの神社だとされる。
出雲国風土記に賀豆比乃社(かつひのやしろ)とあるのが相当するらしい。
伝説では月山(がっさん)頂上から城を建てるときにここへ移されたのが富田八幡なのだが、元の神社は城址のある山頂にそのまま勝日高守神社(かつひたかもり)として小社が残されている。そして、その山頂の社が風土記の加豆比乃高社(かつひのたかのやしろ)だったという。名前からしても「かつひ」の「たか」の社なので、高い場所にある「かつひ」神社ということのようだ。
つまり加豆比乃高社と賀豆比乃社は奥宮と里宮の関係だったと想像される。

月山山頂から遷座したという伝説からは、現在の山頂の勝日高守神社とここの八幡宮の関係は元宮と今宮、あるいは奥宮と里宮の関係と見なせる。
遷座したはずの山頂にそのまま社が残されていることから、伝説のように社をここへ遷したのではなく、ここに元々あった勝日神社、つまり賀豆比乃社を合祀する格好で新たに八幡が勧請され神社が創建されたと考えるのが妥当なようだ。

勝日神社の奥宮が山頂の勝日高守神社だったことから、遷宮の言い伝えが生まれたのだろう。

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