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素戔嗚尊と八岐大蛇 その6
長者屋敷跡 (平成19年9月8日)
八重垣神社旧社地への石段と元結掛の松の間の田圃に囲まれた未舗装路を歩いて進む。道端の案内の看板の矢印がどちらを向いているのか判然としないところがあるのだが、他には道がありそうもない。
しばらく進むと広い畦道から徐々に林道の様相を呈して来る。なかなか、それらしいものが見えてこない。伊賀武神社前のイラストマップでは元結掛の松の近くに描いてあったが、イラストでよくある、距離のデフォルメか。矢印の付いた案内板には距離は書かれてなかった。
少々心配になって来た頃、長者屋敷跡入り口の看板が出現した。案内から200m程だろうか。途中に何もない半山道だし、一人だし、場所に確証があるわけでもないので数百mでも随分遠く感じる。
周囲に雑木が生い茂っているが、見晴らしが利けば鏡ヶ池が見えそうだ。池からは県道を挟んで反対の山の斜面に位置する。
木々の生えてない単なる空き地に長者屋敷跡という碑が建っているいるだけだ。もっとも、何もなければ本当に雑木林の中の空き地に過ぎない。誰も見向きもしないだろう。考えようによっては、碑があるだけでも奇特だともいえる。
八岐大蛇(やまたのおろち)の生贄に出された奇稲田媛命(くしなだひめ)とその両親の足名椎神(あしなづち)、手名椎神(てなづち)の屋敷があった場所とされる。
しかし、屋敷跡というに何か異質な感じを受ける。人の気配は全然ないのだが、それにしてもかなり侘しい感じがするのは何故だろうかと考えて、ふと気がついた。敷地が狭いのだ。直径が15,6m程しかない。
普通、何々屋敷跡などとされるところはかなり広い平地になっている。長者などの屋敷があった場所なら広いのが当然なのだが、実際のところは元々広々とした空き地があったので、大きな屋敷があったはずだということから、伝説が生まれてくることのほうが多いはずだ。
ここは、空き地となって開けているのはここだけだ。周りも木々が生えているものの広く整地されたように平に均されているというのではない。基本的に屋敷の敷地となりそうな平らな場所がこの空き地付近しかないのだ。この領域が全てらしい。どうやってもこの空間で屋敷と庭の全てを配置しないといけないようだ。
相当小さな家しか建てられそうにない。足名椎神、手名椎神は質素だったのだろうか。長者と呼ばれるのだから、跡はもっと大豪邸を彷彿とさせる広さが欲しかった。郊外の住宅地としても狭すぎる。
案内板によれば連理椿(れんりのつばき)と呼ばれる大きな白い椿が200年ほど前まであったとのことだ。それが屋敷跡の伝説の元になったのだろうか。屋敷の庭に植えられていた椿なのか、ニ神が変化した椿と考えられたのか。何の説明もない。
また、両神が植えたという小竹は、福竹とも立身竹ともいう珍しい種類のものだという説明がある。碑のそばに笹のような背の低い竹が生えているが、それのことか。一説にはニ神が杖を刺したところ、その杖が変化して竹になったのだともされる。
碑のある場所は空き地の中央に近い。ここに竹や椿が植えられていたら、ただでさえ狭い敷地なのに屋敷を建てる場所がなくなってしまうのではないかと、心配になってしまう。
他にもこの周囲に足名椎神、手名椎神の遊興の場とされる茶屋場というのがあるらしいのだが、どこだろう。これは結局、確認することは出来なかった。
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