同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

宍道湖中海巡礼記2007

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

出雲に賀茂を探して その2

賀茂神社(安来賀茂神社)(平成19年9月8日

安来市内から県道45安来木次線(やすぎきすき)を南に2km余り。長閑な田圃の広がる平野の中、丘の様な小山の麓に安来の賀茂神社がある。

もちろん祭神は阿遅鋤高日子根命(あじすきたかひこね)。

賀茂、加茂、鴨など、いわゆる「かも」の地名は全国各地に存在する。そして、当然「かも」の場所には「かも」神社があることが多い。ただ、「かも」の地名には新しいものが相当ある。京都の町の地名を付けた地方都市が沢山あるのだ。

大名などが京文化に憧れて、あるいは、国司や左遷された貴族が地方に移ってきて都を懐かしんで京都の地名を地元の町につけた例がかなりある。境遇はともかく、まあ京かぶれということだ。
田舎都市に、何とか「銀座」という商店街があるのと同じだ。もっとも、何々銀座はすっかり寂れていることが多いが。

ここの賀茂神社は由来は古い。
出雲国風土記の賀茂神戸(かものかむべ)の所に、「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の御子の阿遅須枳高日子命は葛城賀茂社に居られるが、この神の神戸(かんべ)でなので鴨という。神亀3年に字を鴨から賀茂と改める。」というような記事がある。
これは賀茂という地名を説明する説話で、このような地名説話は出雲国風土記にはよくある。興味深いのはその地名の説明ではない。
先ず原文での、「阿遲須枳高日子命坐葛城賀茂社」、この部分。阿遅須枳高日子命が葛城山に勢力を張る鴨氏(葛城鴨氏)に祀られる神として認識されていたことがわかる。
阿遅須枳高日子命の故地が奥出雲の三沢(みざわ)であるような話が風土記にあったが(2007年 出雲に賀茂を探して1、三沢神社)、少なくともここの記事からは阿遅鋤高日子根命は出雲土着の神ではなく、葛城鴨氏の神としか考えられない。
もう一つ眼を引くのは、風土記で賀茂神戸というのは、そこが神戸だったからという部分だ。神戸というのは神社がその生計や経済活動のための基盤として所有していた土地を指す。風土記の記事では阿遅鋤高日子根命の神戸とあるだけで、葛城賀茂神社、今の高鴨神社と考えられるが、そこの神戸だったのか、あるいはこの地に阿遅鋤高日子根命を祀る神社があってそこの神戸だったのかは不明だが、いずれにせよ葛城鴨氏がこのあたり強固な支配力を持っていたことを想像させる。

神社はどこから境内でどこまでが道なのか少し区別がつきにくい。
広々とした境内だが周囲は民家で、社叢は少なく前は大きく開けているが、後ろは小山の森につながり鬱蒼としている。

本殿は大社系で方一間だが2m以上はありそうで割りに大きい。中心の心御柱が床下には見えないタイプで、社の中にも存在しないようだ。前には短い軒を伸ばしてある。
末社もあるがどんなものか不明だ。境内向かって右が荒神なのだけはわかる。

後ろにこんもりとして座る山は670mの城山と呼ばれる。遊歩道登山道があるらしい。本当に城があったのかどうかは知らない。

全体に広々として開放的な境内だが、何もなく殺風景ともいえる。それほど古いものではないからだろう。
実は、出雲国風土記には賀茂神戸の説明はあるが、賀茂社があったという記事はないのだ。つまり賀茂神社の創始ががどこまで時代が遡れるか不明ということだ。
ここから南へ約4kmほど、県道9号線沿いに大塚という集落がある。そこが風土記の賀茂神戸だったというのが有力だ。
しかし、現在そこには目立った大きな社がない。賀茂神社という名前も見つけることが出来ない。地元の産土が周辺の小社を合祀しながらここへ遷って来たと一応考えられている。それでここを訪問場所にしたのだ。正直なところ、何も関係ないところで勝手な空想に浸っているだけかもしれない。もしそうなら、阿遅鋤高日子根命が苦笑しているかもしれない。

イメージ 1

素戔嗚尊と八岐大蛇 その6

長者屋敷跡 (平成19年9月8日)

八重垣神社旧社地への石段と元結掛の松の間の田圃に囲まれた未舗装路を歩いて進む。道端の案内の看板の矢印がどちらを向いているのか判然としないところがあるのだが、他には道がありそうもない。

しばらく進むと広い畦道から徐々に林道の様相を呈して来る。なかなか、それらしいものが見えてこない。伊賀武神社前のイラストマップでは元結掛の松の近くに描いてあったが、イラストでよくある、距離のデフォルメか。矢印の付いた案内板には距離は書かれてなかった。

少々心配になって来た頃、長者屋敷跡入り口の看板が出現した。案内から200m程だろうか。途中に何もない半山道だし、一人だし、場所に確証があるわけでもないので数百mでも随分遠く感じる。

周囲に雑木が生い茂っているが、見晴らしが利けば鏡ヶ池が見えそうだ。池からは県道を挟んで反対の山の斜面に位置する。

木々の生えてない単なる空き地に長者屋敷跡という碑が建っているいるだけだ。もっとも、何もなければ本当に雑木林の中の空き地に過ぎない。誰も見向きもしないだろう。考えようによっては、碑があるだけでも奇特だともいえる。

八岐大蛇(やまたのおろち)の生贄に出された奇稲田媛命(くしなだひめ)とその両親の足名椎神(あしなづち)、手名椎神(てなづち)の屋敷があった場所とされる。
しかし、屋敷跡というに何か異質な感じを受ける。人の気配は全然ないのだが、それにしてもかなり侘しい感じがするのは何故だろうかと考えて、ふと気がついた。敷地が狭いのだ。直径が15,6m程しかない。
普通、何々屋敷跡などとされるところはかなり広い平地になっている。長者などの屋敷があった場所なら広いのが当然なのだが、実際のところは元々広々とした空き地があったので、大きな屋敷があったはずだということから、伝説が生まれてくることのほうが多いはずだ。

ここは、空き地となって開けているのはここだけだ。周りも木々が生えているものの広く整地されたように平に均されているというのではない。基本的に屋敷の敷地となりそうな平らな場所がこの空き地付近しかないのだ。この領域が全てらしい。どうやってもこの空間で屋敷と庭の全てを配置しないといけないようだ。
相当小さな家しか建てられそうにない。足名椎神、手名椎神は質素だったのだろうか。長者と呼ばれるのだから、跡はもっと大豪邸を彷彿とさせる広さが欲しかった。郊外の住宅地としても狭すぎる。

案内板によれば連理椿(れんりのつばき)と呼ばれる大きな白い椿が200年ほど前まであったとのことだ。それが屋敷跡の伝説の元になったのだろうか。屋敷の庭に植えられていた椿なのか、ニ神が変化した椿と考えられたのか。何の説明もない。
また、両神が植えたという小竹は、福竹とも立身竹ともいう珍しい種類のものだという説明がある。碑のそばに笹のような背の低い竹が生えているが、それのことか。一説にはニ神が杖を刺したところ、その杖が変化して竹になったのだともされる。
碑のある場所は空き地の中央に近い。ここに竹や椿が植えられていたら、ただでさえ狭い敷地なのに屋敷を建てる場所がなくなってしまうのではないかと、心配になってしまう。

他にもこの周囲に足名椎神、手名椎神の遊興の場とされる茶屋場というのがあるらしいのだが、どこだろう。これは結局、確認することは出来なかった。

イメージ 1

素戔嗚尊と八岐大蛇 その6

八重垣神社跡(佐白八重垣神社跡) (平成19年9月8日)

元結掛の松の横に矢印看板があり、それに八重垣神社跡(やえがきじんじゃ)と長者屋敷跡という文字がかろうじて読み取れる。事前に調べても正確な場所がわからなかった二つの旧跡が一気に判明した。伊賀武神社(いがたけ)近くの町内観光案内板でかなり場所は絞り込めたが、所詮イラストなので正確な位置は不明だった。イラストマップは意外に役に立たなくてかえって迷うことがある。見つけられないかも知れないと思っていただけに、正直こんなに簡単に案内が見つけられてかなり安心した。

先ず、見えたいる八重垣神社跡へ。矢印の先には山に向かって石段が延びているのでそこを昇る。少し開けて平地になった場所に八重垣神社旧社地。

元の境内は30m四方くらいだろう。本殿があったと思われる少し奥に「八重垣大神」の石碑が建っている。
石碑の後ろには枯れた巨木の根が残っている。もしかするとこれは御神体だったのかも知れない。

石碑以外には何もない、山の斜面が切り開かれた場所だ。歴史を感じさせるものは他には残ってない。何だか少し期待はずれだ。
神社の跡地を訪問して、何もなくてがっかりだと文句をつけても仕方がないのだが、それでも何か想像をかきたてるようなものが欲しかった。

素戔嗚尊(すさのお)は八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した後、奇稲田媛命(くしなだひめ)を娶って宮を築いた。記紀によれば、宮を造る地を探して須賀(すが)の地にたどり着き、この地は心が清々しくなると言ってその地に鎮座した。それでその地を須賀というようになった。そして、その須賀宮で詠んだ歌が日本最初の和歌だと記される。
八雲立(やくもた)つ 出雲(いづも)八重垣(やへがき) 妻篭(つまご)みに 八重垣作(やへがきつく)る その八重垣(やへがき)を
この須賀宮が須賀神社だ(2003、素戔嗚尊と八岐大蛇1、須賀神社)。

しかし、現在では、素戔嗚尊が奇稲田媛命と居を構えた地は、八重垣神社のほうが有名になっている。そちらの八重垣神社は松江の南にある神社で、ここのことではない。素戔嗚尊と奇稲田媛命が一緒になったということで、縁結びの神社として若い女性に人気だ。
ここの八重垣神社も名前が同じだけあって、素戔嗚尊と奇稲田媛命の宮が営まれた地という伝承があるのだ。八岐大蛇伝説が多く残るこの佐白に素戔嗚尊の最初の宮の言い伝えがるのは当然だろう。
実は他にも八雲立つの和歌を詠んだ地として、旧八雲村の熊野大社もそうだと言っている。本家を名乗る神社がいくつかあるということだ。よくある話だ。
記紀を読む限りは、宮を建てて八雲建つの歌を詠んだことになっているのは須賀の地とはっきりしているので候補地が各所にあるのも妙なのだが、まあ、あくまで伝承だし、記紀が絶対というものでもないので、あまり気にしないことにする。

八重垣神社という名前はもちろん八雲立つの歌からきている。松江の八重垣神社は近世以降の社名だ。八重垣という社名が新しいものなので、ここの八重垣も古く溯れる名前ではないと思われる。
素戔嗚尊の伝説の地を見て回っていつも思うのだが、多くがどうもそれ程古い言い伝えではなさそうな印象が強い。八岐大蛇退治が良く知られるようになってから関連付けられた気がしてしょうがないのだ。根拠があるわけではないが、素戔嗚尊と八岐大蛇の伝承地は風土記の時代まで遡れるものはないと思う。それが出雲国風土記に大蛇退治伝説が全く載っていない理由のようなのだが。

もっとも、言い伝えの場所巡りは興味が尽きない。

イメージ 1

..元結掛の松 (平成19年9月8日)

県道25玉湯吾妻山線、佐白地内の鏡ヶ池と道を挟んでほぼ真向かいに説明板が見える。

松が二本。少し大きいものとそれより小さなもの。その間に元結掛乃松の碑が建つ。
これが、奇稲田媛命(くしなだひめ)が元結(もとゆい)を掛けたとされる松だ。
説明板によると、最近では昭和の中頃に台風で倒れて、現在のものは6代目とも8代目ともいわれているとのこと。
記紀の記事が実際の年代と合致しているかどうかは疑問がのこるが、素戔嗚尊(すさのお)の時代は神話時代なので、少なくとも神武天皇よりはるかに古い。神武天皇即位からすでに2600年以上なので、素戔嗚尊の八岐大蛇退治が事実とすれば少なく見積もっても3000年以上は前ということになるだろう。

杉は非常に寿命が長い。縄文杉は樹齢2500年とも3000年以上とも推定されている。それに比べて松の寿命は短い。1000年という説もあるが、多くは200年から500年程度と考えられているようだ。3000年を8代で継ぐと一代が400年弱。これは十分に現実的だ。
神話時代が今から何年前なのか考えても仕方がないのだが、歴代引き継がれていると考えると妥当な数字になっている。これは意外だった。

ところで、二本ある松のうち、どちらが元結掛の松なのだろう。碑の位置からは何となく小さなほうの様な気がする。それに元結を掛けるだけなら大きな枝は不要だ。
ひょっとすると二本ともそうなのだろうか。説明板には何も書かれていなくて少し不親切だ。
それ以上に不親切だと思うのは元結の説明がないことだ。元結を掛けたといわれて、元結が何か知っている人がどれくらいいるだろうか。

元結というのは今では一般に使われることはない。日本髪の髷(まげ)を形作るために根元をしっかりと縛る紐をいう。相撲の関取さんや芸妓さんの髪をギュッと締めてあるコヨリのようなあの細い紐のことだ。
案内板の説明不足と感じたが、よく考えてみれば、こんなところにわざわざあまり人の知られることのない神跡を見学に来るというのは、相当に変わり者だ。それくらい変った人なら、当然元結は知っているだろうということなのかも知れない。

奇稲田媛命が結った髪をほどき、鏡ヶ池の水に姿を映して髪を梳き、その後で再び髪を結い直すために元結を掛けて置いたということなのだろうが、池と離れすぎていないだろうか。元結を置くとすればやはり鏡の近くだろう。何となく気になる。

素戔嗚尊とも奇稲田媛命とも全く関係ないが、元結といえば、やはり思い出すのは三遊亭圓朝作の人情話の名作、文七元結。

腕はいいのだが博打好きで莫大な借金をこしらえた左官の長兵衛が、ついに年の瀬が越せなくなり夫婦喧嘩をしている。そこへ知り合いの吉原の女郎屋に娘のお久が自ら身を売って金を工面したという知らせが入る。女郎屋の女将は健気な娘の気持ちを思って、店に出すのを一年だけ待つという約束で長兵衛に50両を貸す。
さすがに長兵衛は娘の行動に改心して一年間必死に働き、返金の約束の大晦日。
仕事からの帰り際、吾妻橋で身投げをしようとしている若い奉公人を助ける。奉公人の名は文七。店の遣いで受け取り行った50両を途中でスリにあって失くしたため死んで詫びようとしているところだった。自殺しようとする若者を捨てても置けず、約束の50両を今日中に持ってゆかなければ、明日から娘は店に出されてしまうが、それでも娘は死ぬわけではないので文七の命が助かるならと、お金を押し付けて去ってしまう。
文七が店に帰り長兵衛からもらった金を主人に差し出すと、売り上げの50両は遣い先で文七が碁に熱中になって忘れていて、もう先方から店に届いていると聞かされる。スラれたと思ったのは勘違いだったのだ。文七は事情を主人に白状する。
翌日、店の主人と文七は長屋に出向きお金を返そうとするが、長兵衛は江戸っ子が一度出したものは受け取れないというが、何とか納めさせる。
これが縁ということで、店の主人はお久を身請けして女郎屋から戻し、文七を養子としてお久と夫婦にして暖簾分けをして、文七とお久は元結いの店を開いたという。

この話の一番の聞かせどころは、お金を持っていかなければ娘が身を売ることになってしまうので、当然やりたくない。50両の事情を長兵衛から聞いて知った文七もお金は受け取れないと断る。それでも命を絶つくらいならと、悩んで悩んだ挙句に娘への未練を心を鬼にして痩せ我慢しつつお金を押し付けてしまう場面だ。

こうして、あらすじを文章に書いてしまうと実にどうということのない他愛のない話のようだが、名人が演じれば、揺れ動く長兵衛の気持ちがひしひしと伝わってきて、もう涙なしでは聞いていられない。志ん朝や圓生などは上手かった。志ん朝が早くに亡くなってしまったのは本当に残念だ。
落語の一席だが笑わせる場面はない。落語といえば滑稽話、爆笑話と思っている人は多いが、笑いのない話も沢山ある。落語は単なるお笑いではなく話芸だからだ。

ちなみに元結は江戸では「もっとい」と読んだ。また、七は「ひち」ではなく「しち」というのが江戸弁なので、文七元結は「ぶんしちもっとい」と読む。
ところで、文七元結は実は元結の種類の一つらしい。元々あった文七元結という元結の名前から想を得て圓朝が創作したらしい。この話の主人公の文七が発明したから文七元結と呼ぶようになったわけではなさそうだ。落語の文七元結は全くのフィクションだ。

イメージ 1

素戔嗚尊と八岐大蛇 その6

鏡ヶ池 (平成19年9月8日)

八重垣神社の旧社地が相変わらず不明な状態だ。もちろん、観光ガイドに載っている松江の八重垣神社のことではない。ここは奥出雲の佐白。
伊賀武神社(いがたけ)の少し手前の県道25玉湯吾妻山線(たまゆあずま)の脇に町内の案内図らしきものがあったので戻って確認する。非常にアバウトで略図なのだが、どうやらこの県道沿いに素戔嗚尊(すさのお)と八岐大蛇(やまたのおろち)に関する目的のものが次々とありそうだということだけははっきりした。

案内図を信じて道なりに進んでゆく。道は拡張工事が済んでいて広い。数百m進んだ所で右手に田圃を挟んで山の麓に接した旧道が見える。そこに何か説明板らしきものが立っているようだし、どことなく小さな公園風に整備されている様にも見える。

近寄ってみると確かに目的地の一つの鏡ヶ池だ。
旧道はこの池に近づくためにだけ残されたような格好だ。田圃を挟んで広い道があるし、並行したこの旧道も数百mしかなく、前後で今の県道に合流する。さらに旧道の池のある側はもう山の雑木林なので生活にも農作業にも全く必要がない。
地元で鏡ヶ池へのアプローチがなくなるのは絶えられなかったのだろうか。愛着があることがうかがえる。

ここは、奇稲田媛命(くしなだひめ)が鏡に見立てて髪を梳った池なので鏡ヶ池と呼ばれる。別説では、素戔嗚尊に命じられて足名椎神(あしなづち)、手名椎神(てなずち)両神が八岐大蛇を酔わせるための酒を造った時にこの水を使ったとも伝えられている。

池自体は背後の山からチョロチョロと流れ出てきた清水というか小川が溜まった直径2m余りの底の浅い池だ。見方によっては池と呼ぶより大きなの水溜りだ。
「泉谷鏡ヶ池」と自然石の大きな碑が立っていて保存整備されている。泉谷という地名が付いていることから、昔から泉の湧く場所だったのだろう。どうやら単なる小川の水溜りではないようだ。

鏡ヶ池という名前からは、酒造りに使った水という説より、やはり姫が鏡の代わりに水に映った姿で髪を梳くという場面のほうがしっくり来る。しかし、清水は常に流れているので水面は必ずしも静かではない。鏡に使うには少々無理がありそうな気がする。
この池から器で水を汲み、それを鏡に使ったということだろうか。


.
同行二輪
同行二輪
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事