同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

出雲國神仏霊場(第1回)

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「命」 第十三番 平濱八幡宮・武内神社

雲樹寺(うんじゅ)から西へ20km弱。国道9号線沿いに武内神社はある。走っていれば目に付くわかりやすい神社だ。
ただ、国道9号線を東から向かうと、もう一つの国道9号線、つまり松江バイパスに誘導されるので入ってしまわないように注意しなければいけない。
 
今年の初詣はふと気が向いてここへ来た。正月は人出も多く出店もあって賑やかだったが、今日はひっそりとしている。人影がない。また、一人で参拝ということもあって、正月の時と受ける印象が随分違う。華やかだった社殿も今は静かに佇んでいるといった感じだ。
 
岩清水八幡の荘園の一つがありそれが創建の起源だということだ。由来書きには出雲国最古の八幡宮と書いてある。
 
境内に入るとニ殿併設のようになっている。正面が八幡宮、向かって左が武内神社だ。
二つが隣接して拝殿も本殿もあるために、社務所の方角から見ると二棟が重なって八棟造とも呼ばれる権現造のような複雑な社殿に見える。
 
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二社あるのだが、一般には武内神社の方が通りが良い。しかし、その武内神社の本殿は一間の小さな神社で、隣の八幡神社は三間社流造、向拝付きの大きな社殿だ。もちろん拝殿も八幡宮の方が大きい。あくまでも八幡が本体で武内神社は摂社だとわかる。八幡には応神天皇、武内神社には武内宿禰(たけのうちのすくね)が祀られる。
ちなみに本殿は共に流造で、出雲地方には珍しく大社造ではない。八幡も武内宿禰も出雲系ではなく大和系ということか。
 
神仏霊場を廻り初めて最初の神社だ。神社でもやはり朱印は通常頂く参拝の朱印ではない。神社参拝の朱印は神社名を墨書するのが普通だ。
ここでは「命」の一文字。
 
「命」は神の尊称である「みこと」ではなく、その通りの「いのち」を意味すると思われる。何故そうなのかを理解するには、神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐という記紀神話が必要になる。
 
古事記と日本書紀では違いもあるのだが、いつものように適当に要約する。
第14代の仲哀天皇(ちゅういあ)は熊襲討伐(くまそ)に向かった。その途中で、海の向こうの新羅(しらぎ)は豊かで金銀財宝も沢山あり、そこを服従させれば熊襲も自然に治まるという神の宣託があった。しかし、それを信じなかった天皇は亡くなってしまう。
仲哀天皇の皇后の神功皇后は神のお告げに従い軍を率いて海の向こうへ遠征に向かう。その時、皇后は臨月が近かったが石を腰に挟んで神に祈って出産を伸ばした。
新羅を含め朝鮮半島の三つの国、三韓を制圧して、無事九州へ帰って来て皇子を出産した。それが誉田別皇子(ほむたわけ)、つまり応神天皇(おうじん)となる。仲哀天皇亡き後、皇后を常に補佐したのが武内宿禰だ。
 
八幡神は応神天皇のことなので、八幡宮と武内神社がここに並存していて当然だ。そして、皇后はお腹の中に「命」を宿し遠征を成し遂げて、無事に新しい命、誉田別皇子すなわち応神天皇が生まれ出たということから「命」という一文字をこの霊場を表す文字にしたと思われる。
生まれるの「生」でも悪くないのだろうが、「命」というと親から子へのつながりが含まれた感じがするので、より相応しかったのだろう。誉田別皇は応神天皇として即位するまでにもう一波乱あって、母の神功皇后が皇統を継いで皇位を自分の皇子に渡すことに尽力しているからだ。
 
ちなみに、この神功皇后は日本書紀の記載通りならば3世紀前半、卑弥呼のいた時代になる。もちろん記紀には卑弥呼は出てこないし、中国の魏に朝貢したが朝鮮半島に出兵はしてない。しかし、卑弥呼イコール神功皇后説というのが古くからあるし、神功皇后の伝説は卑弥呼を念頭に作られたという説もある。
もう一つ、八幡神と応神天皇は一応同一神とされるが、その関係も同一と一言で片付けられない問題もあるのだが、それはここで考えてもきりがない。
 
本殿の裏山に登る小道がある。途中には竜の頭を阿吽に作ってある荒神が二つあり本殿の丁度裏あたりに小さな祠がある。これが一体何なのかわからないが、裏の小高い丘はひょっとする古墳でこれが元の祭祀場だったのかも知れない。
このすぐ近くには出雲国庁があり国分寺跡や古墳遺跡も多い。古代出雲の中心地だ。ここで古代祭祀が行われていても不思議ではない。
 
古代史ファンなら周辺は八雲立つ風土記の丘という施設もあり、本気で寄り道をするならここで一日が終わってしまうだろう。

 
「禅」 第十二番 雲樹寺

今回の出雲国神仏霊場巡りでは寄り道を考えていない。巡拝社寺のみを廻る予定だ。
その理由は、巡拝の地域が地元なので、気の向いた場所や興味のある社寺に道草をしているときりがないからだ。更に、神仏霊場は宍道湖と中海を取り巻くように設定してある。これは、普段うろついている神社仏閣古跡名所巡りと全く重なってしまう。そのため、巡拝社寺以外に参拝に行くと収集がつかなくなってしまう。これも大きな理由だ。
 
雲樹寺(うんじゅ)は清水寺の直ぐ近くにある。2km程しか離れていない。清水寺から国道9号線に戻る途中、寺の駐車場を出てすぐに小さな交叉点がある。そこを西へ進むと道端にあるが、注意しないと見落としてしまう。
清水寺は山陰の名刹とされる大きな寺だが、この雲樹寺は小さな質素な寺だ。小さな寺というのは本当は失礼で、かつては塔頭20も数える大寺院で戦国時代の中国地方の覇者、尼子、毛利などの保護も受ける規模だったのが、江戸後期の火災でほとんどの堂宇が消失してこのようになったらしい。
 
往時の隆盛を残すものはほとんどないが、それがかえって参拝客もまばらで落ち着いた印象を与えている。いつ来ても静かで気持ちの良い寺だ。
 
ここは中国観音霊場の二十七番札所でもある。先程の清水寺が二十八番札所だ。実は昨年、平成18年10月に観音霊場巡りで両寺院は参拝した。その時も初めてではなかったが、随分と久しぶりだった。それから一年も経っていない。本当につい先日のことのようで、またやって来たといった気分だ。
今回の出雲国神仏霊場はそのほとんどを既に訪問したことがある。経験がないのは4寺社に過ぎない。しかも、中国観音霊場との重なりが、清水寺、雲樹寺を含めて5寺もある。
少し新鮮味に欠けるのは仕方がないかも知れない。
 
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特に新しい愚考もないまま観音堂、本堂と淡々と進んで行く。
いつもは、同じ寺社に行くにせよ、何か新しい疑問や興味がわいて訪問するのが常だ。今回のように霊場だからという理由で廻ってくると、意外に何もすることがない。
もちろん本尊へのお勤めが一番の目的なのだが。
 
納経所で御朱印を頂く。
神仏霊場の巡拝帳は納経帳へ墨書と朱印を頂くのではなく、朱印の押された紙を別にもらうようになっている。通常の巡礼だと朱印帳を差し出せば黙っていてもどのような巡礼なのかわかるのだが、今回は出雲神仏霊場の御朱印を頂きたいと、はっきり言わないといけない。その代わりに巡拝帳の提出は不要だ。巡拝帳は頂く御朱印のコレクションブックにしか過ぎない。
 
御朱印、この寺では「禅」。
もちろん禅寺なので、その禅ということだ。少し、当たり前すぎるというか直接過ぎるというか、工夫がない気がしないでもない。
 
昨年のことなので会った時に奥さんを思い出したが、向こうは覚えている様子はなかった。当然だ。
 
季節はとっくに終わっているが、境内の蓮池には花がぽつぽつと散り残っている。

 
「慈」 第十一番 清水寺

平成19年8月2日の夕方、九州宮崎日向付近に上陸した台風5号は大分県から宮崎県にかけて甚大な被害を残して去った。
幸に中国地方は大きな被害を免れて、雨の心配もなさそうで、今日から出雲神仏霊場に出発することにした。
 
いきなりスタートが11番だが、一番から順に廻る予定にしていない。この霊場は住んでいる近辺にあって、どこから廻ってもそれ程苦労はない。もちろん一番から順に廻っても良いのだが、今回は順番にはこだわらないというこだわりで、一番手近な所から始めた。ほとんどの霊場は既に訪問したことがある寺社だということもある。
 
国道9号線を走り安来(やすぎ)の東数キロに出る清水寺(きよみず)の案内に従って難なく到着。まあ、何度も来ているので案内はなくても来られるのだが。
田舎にしては広い駐車場に二台車があるだけで人の気配は全くない。石段参道に向かう途中の道路のど真ん中に黒猫が寝そべっている。近づいても逃げる様子もない。ここのところの暑さでぐったりしているのか。
 
町からそれ程離れている訳ではないが、深い木々に囲まれた谷にあるため何時来ても山深くに入り込んだ気がする。今日はその上、本当に人の姿を見かけない。これ程閑散として静かなのは初めてだ。
参道の苔むした石畳と石段が昨日までの台風で軽く濡れていて少し滑りやすい。しかし、木々も雨で潤ったおかげで青々として、あたりの空気も瑞々しい気がする。見も心も洗われるというのはこういうことだろうか。
民宿の従業員と思われる人が二人竹箒で落ち葉を掃いている。その音もまたその風景もしっとりした落ち着いた風情だ。
 
参道の左手側は苔むした崖で、上に不動明王の石像が置かれている。右手には小川が流れる。これは水垢離の川と見立てているのだろうか。
 
全国に清水寺という名前の寺院は沢山ある。京都の清水寺と関係があるか、もしくは境内に湧水があることが多い。参道脇を流れる小川が寺名になった清水から落ちてくるのものと思ったこともあるが、どうやらそうではないらしい。
参道を登り切ると茶店や収蔵庫がある境内。そこからさらに本堂へ石段があるのだが、その手前の手水場の隣に閼伽井屋がある。これも寺の名前になった清水ではないらしい。一体、どこに清水があるのか。
 
最後の石段を本堂とその後ろに三重塔を見ながらのんびりと登る。なんだかこのあたりは京都の東山辺りの寺を散策しているような気が一瞬する。山陰には大きな塔のある寺が少ないので別の土地に行ったような感じがするからなのかも知れない。実際、ここの塔が山陰で唯一の三重塔だ。
 
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本堂は入母屋造の非常に大きな堂々とした建物だ。いつものように開経偈、般若心経、本尊名号、回向文を唱える。
 
納経所には作務の若い僧が一人いるだけだ。ここで巡拝帳を買った。各巡拝所毎に頁が袋状になっている。珍しい作りだ。
観音霊場などで行われるように納経帳に墨書するのではなく、朱印を押された紙を渡された。それを巡拝帳の袋になったその神社や寺の場所に一枚ずつ差し込む形式になっているのだ。これは初めてだ。実に機能的だ。何しろいちいち朱印を押したり墨書したりしなくてすむ。あらかじめお守りやお札のように準備しておけるのだ。
ただ、朱印が一枚和紙を通してでしか見えないのは少し寂しい感じだ。
 
朱印自体も通常の観音霊場などとは違う。普通は本尊名とか梵字、あるいは大悲殿とかが大きく墨所されて朱印が押される。
ここでは「慈」と一文字。
出雲国神仏霊場では各霊場に、縁の漢字一文字を付けてそれをシンボルとしてある。朱印と同時に御縁珠と呼ばれる木製の3cm程の珠を受ける。これにも「慈」の文字。珠には穴が開いていて、霊場を廻り結願すると全てを通して、首に掛けられるようになる。
 
清水寺は厄除け観音として知られる。そこから「慈」の文字が寺のシンボルとなったのだろうか。「慈」はもちろん慈悲のことだと思われるが、慈悲は仏教の基本理念なのでどの寺にでも当てはまる。特にここでなければならないとも思えないが、他に良い文字がなかったのだろう。
 
三重塔まで足を伸ばす。新しいものではなく、江戸時代の木造で、寺に建つ伝統的な塔としては非常に珍しく登ることができる。塔の目的は本来は卒塔婆だし、仏舎利を納める建物なので、それに登ってよいのかという疑問は湧くのだが。
土日祝祭日には塔の入り口は開いているはずなのだが、経験からは閉まっている日が多い。今日も閉まっている。もしかすると、これからもう少し時間が遅くなると開くのかも知れない。
いらないお節介だが、古い塔に登りたいと思っている人は開いていれば迷わず登った方がよい。次は何時登れるかわからないから。
 
帰りの境内で、益田と書いてある少年野球の監督と子供達とすれ違う。近くで開催される大会にやって来た必勝祈願だろう。殊勝な心がけだが、ここの観音様には戦勝の御利益はあまりない。試合が少々心配だ。
 
駐車場の脇から細い山道を1kmほど寺の背後に回りこむと突き当たりに小さな駐車場と大草鞋が掛かる仁王門がある。境内の収蔵庫の裏にあたる場所だ。もちろん境内からも来られる。
何故この位置に仁王門があるのかなのかわからない。表参道ではないようだし、大きな旧道とも無縁だ。境内のはずれでわざわざ立ち寄るらなければならず、ここに仁王門があることを知らない参拝者も多いだろう。
 
彩色された仁王が訪れる人もいない門を守っている。

 

初めに

平成17年春に、雲国神仏霊場が創設された。これは全国的にも非常に珍しい霊場で文字通り神社と寺院の両方が分け隔てなく均等に参加している。
 
日本は古来より、その良し悪しや両者の葛藤などは別にして神と仏は同居してきた。有力な影響力のある神社にはそれを助ける神宮寺や別当寺と呼ばれる寺院が隣接して建立されたし、寺には鎮守のための社や奥の院と称する神社が設けられた。そして、その延長で神と仏は混肴し、権現や稲荷などの神でもあり仏でもあるという信仰形式が生み出される。
庶民はというと、難しい教義は別にして神でも仏でも御利益があれば幸せだった。そこには区別する必要はなかったし、むしろ、神と仏の両方となると二倍の御利益と思ったかも知れない。
そして、それは明治まで日本文化として継続発展して来た。神仏習合が全ての日本の伝統文化と習俗に結びついているとい言っても過言ではない。
 
しかし、神仏分離で神と仏は強制的に分けられた。それまで混肴していて完全に融合していたものを二つに分けたのだから各所に無理が出たのだが、国の方針だったので強引にそのまま太平洋戦争終了で神道が国から離れるまで続いた。
 
その後も、明治からの神仏分離があまりに徹底していたため、両者が再び混交することなく続き、むしろ排他的であった。現在でも神社と寺院の関係は余り良好とはいえないところがある。千年以上にわって習合して発達し、庶民の切ない願いを叶えて来たのだから、もう少し神と仏は仲良くして欲しいものだと常々思っていた。
そこに、21世紀になりようやく登場したのが、この神仏霊場だ。待った甲斐があった、というのはいいすぎか。
 
祈願のために神社と寺院を巡る。
 
神と仏を純然と別物と考えている人には受け入れ難い所があるのだろうが、神仏混肴が日本のオリジナル宗教なのは歴史的に間違いない。もう一度、神と仏とわれわれ人との関係を考える上でもとてもよい企画だ。
今まで希望していたものがついに出来たという気がしたその上、近場で、廻るのが容易ときている。それでも、様々な事情で今まで延び延びになっていた。

ようやく、巡拝開始の準備が整った。さあ、出発だ。
 
正確には出雲國神仏霊場と「國」の旧字を使うらしいが、堅苦しいので「国」の表記にした。

 

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