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「医」 第三番 一畑寺
鰐淵寺(がくえんじ)から一畑寺(いちばた)へは、県道250号鰐淵寺線で平田(ひらた)に出て国道431号線を宍道(しんじ)湖畔沿いに進み県道23号線で行くのが一般的なルートだ。しかし、土地鑑を生かして、島根半島の中央を通り抜ける宍道湖北部広域農道を走る。昨年、も使ったルートだ。交通量が少なく適度なアップダウンと緩やかなコーナー。流していて気持ちが良い、好きな道の一つだ。
鰐淵寺も一畑寺も中国三十三観音霊場巡りで、ほぼ同じ順路で廻っている。何しろ、他にも清水寺(きよみず)、雲樹寺(うんじゅじ)、大山寺(だいせんじ)と、出雲国神仏霊場と五ヶ寺も重複しているのだ。その上、島根東部の霊場を打ったのが一年前だ。二年連続同じ寺となると、正直少々新鮮味に欠ける嫌いはある。
寺が幾つもの霊場で重複してしまうのは、有名寺院の少ない地方の宿命だろう。
県道23斐川一畑大社線(ひかわいちばたたいしゃ)との交叉点で北へ進み、標高200mにある一畑薬師への山道を登る。
正式には一畑寺なのだが、一畑薬師と呼ばれることの方が圧倒的に多い。地元ではむしろ一畑寺という方が通じ難いだろう。また、親しみを込めて一畑さんとも呼ばれる。
一畑寺は境内に観音堂もあり、中国三十三観音霊場や出雲観音霊場ともなっているが、一畑薬師の名前から分るように当然ながら御本尊は薬師如来。
薬師如来は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)というのが正しく、左手に薬壷を持ち、「薬」の文字からもわかるように、病気治癒の御利益がある医薬の仏さまとして知られる。あまり一般的ではないが、大医王仏とも称するらしい。ここのシンボルとなっている「医」は説明の必要もない。
お薬師さんが病苦から救って下さる仏様というのは間違ってないのだが、本当は少し違う。
仏教では現在の状態を「苦」と考え、そこからの解脱(げだつ)を目指す。そして「苦」である理由として十二の因果関係からなる十二因縁(いんねん)として説明する。そこでは苦悩の根本的な原因は無明(むみょう)、つまり、物事の真理を知らないことから始まると説かれる。無明でなくなれば十二因縁は生じない。十二因縁がなくなれば苦から解放される。簡単にはそれが解脱だ。
薬師如来は、その無明の病を治す仏とされる。
しかし、難しいことを説明しても一般には受け入れられない。病気が治る、無病息災。単純な現世利益に力点が置かれるのは無理もない。何しろ足を運んで信奉してくれる人がいなければ宗教として成り立たないのだから。
駐車場から杉木立の参道を歩く。木々の間から青く光る宍道湖や遠く大山も望める。新しい参道は古くからの参道と最後の石段前で合流する。
旧参道は麓から1000段以上、1138段とされる石段が続く難路で、ここを駆け上がる一畑マラソンという行事が毎年行なわれる。石段で有名な四国の金比羅宮が785段、奥の院まで行っても1368段とされているので、一畑の厳しさがわかる。日本一の石段マラソンとも称されるが、それももっともだ。
今では車道も整備されて上まで楽に昇って来れる。最後の石段だけでも結構疲れるのに、その昔、多くの参拝者は、病気平癒を願い一段一段はるばるここまで登った。それだけ霊験あらたかだったと考えたい。
山頂に近いはずなのだが、少しも涼しくない。風もない。病は治して下さっても暑さには験がないらしい、などと罰当たりなことを考えながら本堂へ向かう。前回は観音霊場の旅だったので本堂よりもむしろ観音堂が目的だったが、今回は個人的にお薬師さんに用がある。
先日8月10日に入院した母の病気平癒の御札を頂く。今日の出雲神仏霊場巡りの目的の半分、いや、半分以上はここでの御札を頂くことだった。鰐淵寺で住職を待たずにこちらへ向かったのはこのためだ。
一畑薬師は一般的な病気平癒より眼のお薬師さんとして知られている。それは、猟師が海中から引き上げた薬師如来のお蔭で母親の目が見えるようになった創建縁起を持つからだ。こちらは母の病気は眼ではないが、そんなことは構いはしない。仏様は困っている人を見捨てたりはしないはずだ。その時々で身勝手て都合の良いことばかり考えるが、しょせん人間なんてそんなものだ。
頂いた祈念札がヒップバッグに入らないことに気が付いた。これは困った。予想外だ。近所を巡るだけと油断して身軽にヒップバッグしか持って来てない。
悩んでも仕方がないので、強引に突っ込んで半分はみ出したまま、落ちないことを願いつつ走り出した。自宅に帰るまで常に不安だったが、ひょっとするとその不安感がいい加減なことばかり考えた罰だったのだろうか。それとも、時間的な関係で御祈祷に直接参加できなかったのが罰だったのか。
母のための御札を受けたことで今日の目的は終了した。心置きなく霊場巡りの打ちなおしができる。再び来た道を戻り鰐淵寺へ引き返す。
相変わらず参拝者はいない。セミの鳴き声しか聞こえない。
今度は庫裏の呼鈴で老住職が出てこられた。玄関の履物の位置は全く変わってない。老住職は昼寝でもしていたのだろうか。この暑さは高齢者には堪えるだろうからそれでも仕方ない。
田舎で老夫婦だけで寺を管理しているような場合は、朱印を頂こうにも誰も出てこられないということがありうる。実は、今までそういう場面に一度も遭遇しなかったのが不思議なくらいだ。
ともかく、朱印は無事頂けた。次の霊場は松江なので、今からでも時間的には何とか間に合いそうだが無理はせずに、今日はここで終了として、浮浪滝(ふろう)へ散歩を兼ねて向かった。
寺の前を流れる鰐淵寺川を渡る。奥の院などに向かう道の入り口は川を渡るようになっていることが多い。結界の役割と同時に、渡河することで水垢離(みずごり)の禊(みそぎ)になっている。
綺麗な杉木立が現れる。この参道は何時来ても出羽の羽黒山(はぐろ)の五重塔からの参道を思い出させる。規模は全然違うが。
コンクリート製のトーチかのような山王七仏堂がある。七仏なら過去七仏や薬師七仏が良く知られるが、山王とあるので少し違うようだ。
滋賀県坂本に比叡山の鎮守であり山王権現(さんのうごんげん)を祀る日吉大社がある。上七社、中七社、下七社と称される多くの社で構成されている。特に上七社は山王七社(さんのうしちしゃ)とも呼ばれる。鰐淵寺が天台宗であることを考えると、この山王七社の本地仏(ほんじ)を祀ったものだろうか。そう言えば安来(やすぎ)の出雲国神仏霊場十一番清水寺にも七仏があった。あそこも天台宗なので同じなのだろうか。
七仏堂から先は川沿いの山道になる。小さな小川が谷間を流れているが風ないため涼しくない。ただ自然林の中で日陰なのが助かる。所々足場が苔むしていて人の通行が少ないことが見て取れる。
500mほど歩くと、東屋があって滝のある崖に突き当たる。高さは30mくらいか。
滝壺の上、滝の後ろの崖にある岩窟に蔵王堂が嵌め込まれたように建てられている。流れ落ちる水量が多ければ、お堂の前を滝が落ちる景色が作り出される。しかし、今日は滝がない。
雨が少なくすっかり枯れていると思ったのだが、よく見るとほんの少し水が落ちているが、とても滝を呼べるような量ではない。湧水の雨垂れ程度だ。もともと水量の少ない滝なのだが、今日は一段と少ない。
滑る岩場に気を付けながら滝壺まで行き、手をつけてみる。意外に冷たくない。流れが少なくて水溜りのようになっているので当然だなのだが。
水垢離の代わりに手と顔を洗った。
伝承では、ある上人が滝で修行中に誤って滝壺に仏器を落としたところ、鰐(わに)が鰓(えら)に引っ掛けて上げたことから、鰐淵寺と呼ばれるようになったとされる。
何故、鰐が山陰にいるのかというと、この地方ではサメのことを鰐と呼ぶからなのだが、鰐だろうとサメだろうと、この滝壺は小さくてとても中には入れない。
伝承はともかく、鰐淵寺はこの滝を中心とした修験道場として発展したもので、奥の院とも見なされる重要な聖地だ。
滝まではかなり遠いように記憶していたが、参道入り口にある、「滝まで8分」の表示は正しかった。10分はかからない。山の中を歩くので随分と時間がかかった気がしただけだった。
しかし、滝への往復で最後の体力はなくなった。
帰りは夕方4時過ぎても道端の温度計は33度を示す。その日のニュースで米子で38.6度と記録的な猛暑。境港では38.1度の観測史上最高気温となっていた。
猛暑の中を走った265km。
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