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雲伯の古寺と仏と その9
割石
釜石、布須神社と見て回り、そのまま木次の室山の東を回るように細い道を佐世小学校へ向かい走っていると、「割石すぐそこ」、という看板が眼に入った。確かに左手に大きな岩が見える。何か知らないが立ち寄ってみた。
説明板が立っていて、次のように書かれている。。
宇谷の領主と佐世の領主が境界争いをして、室山42坊の大門と西の大門から同時に牛で出発し、出会った所を境界とすることになった。しかし、宇谷の領主は馬で出て為峠を越えたところに大岩まで来ると馬と牛は岩に衝突してその岩が割れ、中から白蛇が現れた。両領主は不思議に思って争いを止めてここを境界とした。
岩には馬と牛のひずめの跡が残っている。
少しわかりにくい。
宇谷と佐世というのは地域の名前で、室山を挟んで北が佐世、南が宇谷になる。
室山42坊というのは、かつて鎌倉頃に室山にあったとされる寺院で42坊を数えたという山岳寺院のことだ。室山にある巨石を磐座とした修験道の寺で、布須神社や釜石などもその寺と関係していたと思われる。
寺はその後衰退し、山の南の宇谷には坊の一つの安養寺が残っていたが昭和初期に無住となって今はお堂を残すだけとなっているらしい。そのお堂も今はあるのかどうか。
室山寺がどのような寺だったのかほとんどわかっていないし、42坊の実態も全く不明だ。ただ、宇谷と佐世の領地争いは、多分、42坊の寺領争いだったはずだ。寺の規模が大きくなると、内部で対立が起こるのは避けられない。調べてみたところ、室山寺があったとされる寺床は宇谷の地らしいので、宇谷の大門というのは統括していた室山寺本寺の門と考えてよさそうだ。一方、説明からは西の大門は佐世にあったと読めるが、こちらも大門と呼ばれ領地争いをするからには、坊というよりも寺といってよいほどのもで、42坊といっても小さな堂宇ばかりではなく、その中には本寺に匹敵する規模のものがあったと想像できる。
多分、室山寺42坊は一つの寺院組織ではなく、室山の南から北東側のかなり広い範囲にあった大小の寺や堂庵を一括した呼称だろう。それらを宇谷寺床の室山寺が統括していたと思われるが、領地争いが生じるくらいだから、一方的な完全な支配関係にはなかったと思われる。
ただ、山岳寺院集団としては相当に大きい。日登の駅前辺りに寺領という地名があるが、それも無関係ではないはずだ。
岩には牛や馬のひずめの跡が残されているとあるので、近寄ってみる。確かに表面にいくつかくぼみがあるし、白い模様もある。それらが足跡といわれればそう見えないこともない。
しかし、足跡よりもっと似ているものを思い出していた。5-6m以上はありそうな巨大な岩が真ん中から真っ直ぐに断ち切られた様に割れているのだ。それは、柳生にある柳生石船斎宗巌が修行中に一刀で断ち切ったという伝説の一刀石に良く似ている。
このあたりに剣豪伝説があれば間違いなく同じような逸話が残っただろう。
石のは夏草の繁った空き地の中にあるので、近づく場合は少し注意したほうが良さそうだ。
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