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出雲に大和の影
石見一宮 物部神社(平成20年4月27日)(2)
(続き)
本殿に向かって左方向に進んでゆくと背後の山に登る小道が現れる。ようやく、この神社に来たらでぜひ行かねばと思っていた場所へ向かうことが出来た。
細道は木々で鬱蒼としいている。社叢の山だからだ。数分登ると本殿背後の山の中腹の、祭祀場のような場所に着く。宇摩志麻遅命の御陵と伝えられているもので、八百山の御墓と呼ばれている。
由来では宇摩志麻遅命が白い鶴に乗って鶴降山に天降り、国見をして大和の天香久山に似ているのその麓に住み、亡くなった後にそこに葬られた、とされ、それが今登っている八百山と呼ばれている神社背後の山だ。
陵は低い石垣の上が瑞垣で囲まれていた。大きさは5-6m四方程だ。瑞垣の内側には30-50cmの大きさの自然石を沢山無造作に積み上げて2-3mの四角い小山が作られている。一番上には蓋をするように平たい石が置かれ、その上に墓石のような縦長の自然石が乗っている。
御陵と伝えられるものには、墓とは考えられない遺跡も多い。神陵ということで、ここもそうかと思っていたが、本当に5-6世紀の円墳だととのことだ。もちろん、古墳なので当初からこんな形をしていたわけではないはずだ。
このあたりには八百山古墳群と呼ばれる遺跡がある。周囲には似たような石が転がっている場所があるので、御陵に積み上げられている石は周囲の円墳の葺石だったものかも知れない。
古墳なので宇摩志麻遅命の墓でないだろう。有力豪族のものだろうが、物部神社の司祭官と結びつけるとかなり興味深い想像が生まれそうだが、今日は止めておく。きりがない。
陵の位置は本殿のほぼ真後ろにあるが、陵の正面と本殿の向きは一致してないようだ。陵を御神体として発展した神社ではないのかも知れない。だとすると、意外と神陵とされるようになったのは古いことではないとも想像された。
境内の戻る。境内の向かって一番左隅に、洞(うろ)のある巨木があり、夜泣き椨(たぶ)、聖天さんとある。明らかに女陰を表している。夜泣きが治る、子育てのご利益から、子宝、夫婦和合、縁結びなど聖天と結びついたのだろう。
摂社でも想像が広がるが、その全てで楽しんでいては何時までたってもここから帰れない。そろそろ次へ行かないと。
境内から遠くに三瓶山が見えている。
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