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いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

宍道湖中海巡礼記2003

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出雲街道

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○歴史道 出雲街道 (平成15年10月19日)

平成15年10月19日。そろそろ肌寒くなってくる。本格的なバイクの季節が終わろうとしているため名残を惜しんで大山周辺を流す。

あてもなく走り何となく国道181号線の根雨から県道35号西伯根雨線に入った。峠のトンネルを越えたところで道端に出雲街道の碑を発見。どうやらトンネルの上に旧道があるようだが、人が歩いた様子はないし歩けそうにもない。往時を伝えるものは何も見当たらない。ぽつんと碑が立っているだけだ。

松江藩が参勤交代に使った出雲街道は津山まで現在の国道181号線と重なる。しかし根雨より松江のルートは少し変遷がある。一般に日野川沿いを通る181号線が出雲街道と呼ばれることが多いがこれは少し時代が下ってからの道になる。もう一つのルートが国道から分かれて県道35号西伯根雨線を二部を通って溝口へ至るものだ。
昔は大きな河川のあるところでは川沿いや川を渡る道は橋の整備が難しかったため山間を通る方法が確実だったのだ。

これが旧出雲街道かと感慨深く走る。人の気配を感じない寂しい地方道だ。これが賑やかだったこともあったのだろう。時代の移り変わりを感じる。

大山神門

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○文化財点描(2) 大山神門 (平成15年10月11日)

摩崖仏が確認できず気持ちが晴れないのでもう一つ気になっていた場所を探してみることにした。
国道482号線に出て蒜山高原へ登る。米子自動車道蒜山ICの南に茅部という地がある。そこの茅部神社には日本一といわれる石の鳥居があったり天岩戸があったりと他にも興味深いものがあるところなのだが今日の目的地はそこではない。
その石の鳥居の前をさまよって米子自動車道の鳥居トンネルへ近づく道を探す。ツーリングマップルや別の道路地図で調べたが道が載ってなかった。

農作業用と思われる道があり見当をつけて走って行くと道端に突然あった。大山神門のうち南面の鳥居、南門。一般的な観光地とは程遠い。
すぐ下を自動車道が通り鳥居トンネルの入り口となっている。

ここは山陽から大山寺に向かう旧大山道の鳥居ヶ乢(たわ)にあたる。乢というのは山の鞍部のことらしいがいわゆる峠のことだ。峠は必ずしも山の尾根の低い部分にあるわけではないので乢とは少し違うが峠は日本で作られた和製漢字なので乢と峠はほとんど同じように使われている。

大山が大智明権現として有名だった昔は南の岡山などから参りに来た人はこの鳥居峠で遠くに聳える大山を目にすることが出来た。しかし大山寺はまだ先であり、しかもここから先は山を越えて行かなければならない。これ以上行くことの出来ない人はここから大山を遥拝して詣でたことにしたという。その遥拝所としての鳥居がこの石の大鳥居、大山神門なのだ。

明治36年ごろの道路拡張以来道端へ放置されていたが、昭和57年道の脇に再建された。そのためだろうが鳥居と言っても柱が二本立っているだけで柱の上にあるべきはずの笠木も貫も失われている。もちろん最初は二本の柱ではなくちゃんとした鳥居で場所も現在の場所とは違うところにあった。再建するときに無事だったのがこの二本の柱だったのだろう。
二本の柱の間、その真ん中に見事に秋空にそびえる大山南壁が収まる。一枚の絵を見るようだ。
大山は中央アルプスの3000m級の山々に比べれば低い山だがなかなかどうして神々しく気高い。

ちなみに大山神門は東西南北にあったといわれる。ここが南で東は山を越えた関金にあるらしい。残りの北と西のうち北は淀江にあったとされるが今はなく西は諸説あって確定してないとのことだ。

来た道を帰るが、工事で拡張されたとされる道がこれなのだろう。整備されたといっても一車線の林道のような道だ。大山道が幹線道路ではなくなり、生活道路ではなくなって久しいということか。
主要道からもかなり離れている。も気が向いたときもう一度来れるだろうか。あまり自信がない。

下調べに来た紅葉はまだ大山の中腹まで降りてなかった。行楽はもう少し先がよさそうだ。

俣野の摩崖仏

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○文化財点描(2) 俣野の摩崖仏 (平成15年10月11日)

平成15年10月11日。そろそろ大山は紅葉の季節がやってくるはずだ。紅葉狩りの下調べを兼ねて蒜山へ向かった。

いつもなら江尾から国道482号線を登って蒜山に向かうのだが今日は以前から気になっていた俣野の摩崖仏を尋ねるため少し寄り道をすることにした。
日野川沿いに上り江尾を過ぎて武庫から県道113号線に入る。国道181号線から曲がると同時にJR伯備線の線路になっているため遮断機が降りていると待つ場所がないような踏切になっているので少し入りにくい。

国道からの分岐はわかりにくいがその後は片道一車線の良く整備された道が通じている。俣野川ダムを通り過ぎる。ダム建設で道の整備が進んだようだ。
途中小学校なども通り過ぎこの谷で一番奥の集落に案内板が立っている。小さな表示なので知らないと通り過ぎてしまう。

脇道へ入り民家の軒先を登ってゆく。道は狭くなり車のすれ違いは苦しくなる。集落を抜けるとさらに道は狭く山道の様相となり田圃しかなくなる。完全に一車線となった山道を少々不安になりながら進む。
不安を増強させる要因は実は他にもある。俣野の摩崖仏を紹介している本がないのだ。観光雑誌にはもちろん載ってないが文化財紹介の本にも載ってない。たまたまある地図に載っていただけなのだ。はたして近寄って見られるような場所なのかどうなのかも不明でかなり不安がある。しかし道に案内板が出ていたのだから大丈夫だろう。

とうとうどん詰まりで進むことが出来なくなった。正確には行き止まりではないがとても進めそうな道ではない。まだ上に田畑も見えるので耕運機なら行けるだろう。
ちょうど稲刈りをしている御夫婦がいたので尋ねてみた。
通り過ぎているとのこと。ここまでの途中に少し道が広くなっているところに看板があると教えられた。

少し戻ると雑木林に向かって確かに車の待避所のような場所があり説明版が立っている。何故見過ごしたかというと説明版は来るときには見にくい位置にありしかも裏側を向いているからだ。帰りのほうが見つけるのは簡単だ。

バイクを止めて案内板後ろの小道へ進む。草生していてその先は鬱蒼とした雑木林だ。この先は大丈夫なのだろうか。ここでも不安が頭をよぎる。
幸に踏み入れるとすぐに下草はなくなり林の中を山の斜面を登る遊歩道となる。道は思った以上にきちんと整備されている。しかし、落ち葉が地面を覆っていてしかも斜面となっているため滑って危ない。訪れる人はほとんどなさそうだ。

しばらく登ると巨大な岩が左手急斜面にいくつも出現してくる。人の背丈より大きい。中には遊歩道へ少しオーバーハングしたようなものも見られる。これらは磐座で間違いないだろう。この人里離れた山奥に摩崖仏作製の基礎となった信仰があったことをうかがわせる。ただ大きな社寺が近くにないので組織化された仏教の影響ではなさそうだ。

枯葉で滑りやすい最後の階段を注意して登りきると狭い平地に大きく覆いかぶさった巨岩が出現する。右には崖に張り出した展望台が作られている。そこへ行ってみるがどこにも摩崖仏が見えない。付近を捜してみるがやはりわからない。

一般に摩崖仏というのは崖になった大きな岩肌に仏像を彫ったものを指す。半肉彫りでいわゆるレリーフにしたものと平面に線で描いた線刻があり、前者の代表が臼杵熊野の摩崖仏で後者には室生大野の摩崖仏がある。
ここは半肉彫りの仏像が一列にあるとのことだ。風化が進み面相、衣文ともほとんど失われているとのことなのでそれ程立派な像は期待していたのではないが、それらしいものが見当たらないのは何か釈然としない。
覆いかぶさった崖の上を見上げると何となく凸凹した部分があるがあれだろうか。
結局仏像を確認することが出来なかった。一体どこにあるのだろう。

摩崖仏の下の平坦地に石で作られた香炉が供えられていると説明版にあった。岩が屋根のようになっているので雨や雪から守られているからだろうがそれ程古いものには見えなかった。他にお供え物もなく地面にポツリと置かれていて寂しすぎる。

加茂岩倉遺跡

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○文化財点描(2) 加茂岩倉遺跡 (平成15年10月4日)

考古学ファンや古代史に興味のあるものなら出雲で絶対に一度は訪れたい地として荒神谷と加茂岩倉ははずせないだろう。近くに住んでいるとかえって疎遠なことがあるが、加茂岩倉には今まで一度も行ったことがない。
平成15年10月4日、秋晴れの中午後から出雲方面に向かい国道9号線の裏道であるいつもの農道を西へ走る。

国道54号線に入り中国山地へ向かって南下してしばらく行くと案内板が出る。あとはそれにしたがえば部分開通している高速道路の尾道松江線の陸橋をくぐり駐車場へ着く。まず間違えようがない。

バイクを停めて工事現場へ続くような砂利道を歩く。数分で右手の山の斜面に登る階段が現れる。その上が銅鐸発見現場だ。
遺跡は発掘の跡で埋め戻されているのだが、発見当時の状態がレプリカの銅鐸で再現してある。道路工事作業中の発見なので重機によって斜面が掘り起こされたところなどもそのまま表現されていて、偽者とわかっていてもなかなか臨場感がある。このような再現展示はあまりお目にかからない。その時の現場にいて発見に参加している気持ちになれる。遺跡の整備にはあまり凝った物よりもこういったものの方がファンには喜ばれるのではないだろうか。良いアイデアだ。

道に戻って一番奥に見える加茂岩倉遺跡ガイダンスに向かう。道は山を切り開いた所へ続き、その切り開きをつないぐ格好で道の上に橋のように建てられたコンクリートのユニークな建物だ。
中にはいくつかの出土品レプリカが展示してあり、あとビデオ上映がある。正直施設内容は乏しすぎる。見るべきものがほとんどない。荒神谷遺跡が史跡公園として整備されているのに比べて見劣りがするのは否めない。町の力の入れ方が違うのだろう。遺跡自体を整備しすぎるのはどうかと思うが、さすがに附属施設はもう少し充実させたほうが良いのではないだろうか。

先客の夫婦連れと入れ違いとなり管理人にお茶を勧められた。大量の銅鐸が出てくるような所だから今は田舎だが昔はこの辺りは賑やかだっただろう、などとたわいもない話を聞かされる。
加茂岩倉遺跡は平成8年(1996)10月14日、農道の整備工事中に大量の銅鐸が見つかる。昭和59年(1984)に300本を超える銅剣が発見された荒神谷遺跡と並んで日本考古学史上稀に見る大発見となった。歩いて来た道がその作りかけの農道でガイダンスのある小山の向こうの集落へ通る予定だったそうだ。窓の外から今来た道の反対側を眺めると砂利道は山を下って続いている。農道はほとんど完成していたらしい。遺跡が出土したため道路の整備は途中で中止され道も未完成のままで使用されていないと言う。せっかくここまで出来ているものを放置するのはもったいない気がする。よく考えればこんな田舎の山の中に隣の集落とを結ぶ道路を作る方がよっぽどもったいないことに気がついた。地元民でもそれ程の必要性を感じない道路だろう。無駄な道路工事のおかげで世紀の大発見が出来たわけだ。いっそのこと国土交通省と文化庁を統合するともっと遺跡発見ができてよいかもしれない。

日本考古学史上を揺るがした荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡。二つの遺跡は直線距離にして約3キロで出雲国風土記に神奈備山として登場する仏経山の山裾に位置する。このことから両遺跡を神奈備である仏経山を聖なる山とみなしてそれと関連した埋納遺跡とする見解がある。
しかし本当に山と関連するのか。少なくともここからは手前の小高い山に遮られて仏経山は全く見ることは出来ない。単純に神奈備崇拝の遺跡ではありえないというのが現地での印象だ。

荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡。この遺跡をめぐる論争は専門家も素人ファンも百家争鳴。今後どういう所に落ち着くのか。
記紀で多くの神話が語られる出雲にはこれまでその記述量に相応しい勢力を示す考古学的遺物が乏しいと言われてきた。しかし、この二つの遺跡の発見で出雲は大和が侮れない程の力を持っていたということが明らかになったとだけはと言えるのではないだろうか。

駐車場近くの車止めが銅鐸の形になっているのが少し楽しい。

星上山スターパーク

○星の降る夜は・・・(星上山伝説を考察する) 星上山スターパーク (平成15年9月7日)

駐車場に戻って管理事務所の脇をバンガローの方へ向かう。広場や遊歩道、テントサイトなども周囲に整備されてちょっとアウトドアのレジャー施設になっている。
展望は良好でこちら側からは松江方面がよく望める。

帰り際に駐車場でライトが付きっ放しのピックアップトラックを見つけた。管理事務所へ行きそのことを伝えたところ中で管理人と話しこんでいた女性の車のと分かった。どうやら管理人の知り合いのようだがライトを消しに女性が外へ出て行った後、ほっといてもバッテリーはあがらんで、とぼそぼそ言う。何だこの人は。一体誰に言ってるのだ。どうやら車のライトの付けっぱなしを知らせたのは大きなおせっかいだったらしい。それより助女性との話の腰を折られたほうが気に入らないようだった。

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