同行二輪

いつまでも若葉な中年ライダーの古社寺旧跡紀行

宍道湖中海巡礼記2003

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佐太神社

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○風土記を旅する 佐太神社 (平成15年3月26日)

松江から県道37号松江鹿島美保関線を鹿島町へ向かう途中に佐太神社がある。出雲大社が出雲国一宮ならここは二宮として崇敬篤い。

佐太川を渡ると広い駐車場がある。小高い山すそにある境内まで何も遮るものがないので駐車場で社殿の全体が見渡せる。
本殿は大社造りが三つ横に並ぶ三殿並立という形式で東へ向かって建つ。中央を正殿、向かって右を北殿、左を南殿と呼び正殿が一回り大きい。
大社造りなので本殿入り口が中央より右側に付けられているが南殿だけは左になっている。これを男造りと女造りの違いだと勘違いしていたがそうではないようだ。祀り方の違いは内部の違いで入り口の付き方ではないからだ。ちなみに千木は全て男千木。
主祭神は正中殿が佐太大神、北殿が天照大神、南殿が素盞嗚尊でこの他にも多くの神が加えられている。ただしこれは現在のもので時代と資料によってかなりの異同があり祀られている神の変遷はかなり複雑なようだ。
天照大神を祀る北殿が普通の大社造りで素盞嗚尊の南殿が向拝の付きかたが違うことになる。このことからも男神と女神の違いで入り口を分けているのではないことが分かる。
左右対称にするための処理だとする説もあるがはたしてそれだけだろうか。

主祭神の佐太大神は大国主命のこととも猿田彦ともされるが多分どちらでもない。このあたりは佐太という地なのでその地主神なのは明白だ。
出雲国風土記によれば、佐太の大神の産まれるとき弓箭が亡くなり、その時、枳佐加比売命(きさかひめ)は御子が麻須良神の子であるなら弓箭よ出て来いと祈願した。すると角の弓箭が流れその後に金の弓箭が流れ出てきたのでそれを取って洞窟を射て貫通させ、その洞窟で生まれたという誕生譚が記される。その洞窟が島根半島の北にある加賀の潜戸だとされる。加賀の潜戸には小泉八雲も行った洞窟観光の出来る遊覧船が出ていて割と楽しく過ごせる。

佐太大神は記紀には登場しないが出雲の国では有力な神だ。不明な点も多いがこの社の規模を見ると松江の北の島根半島を中心に相当の影響力を持っていたことが想像できる。

出雲大社

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○神の国出雲 出雲大社 (平成15年3月26日)

巡礼の足として二輪を使いはじめた。休日には近くをあてもなく走る。どうせならショートツーリングを兼ねて近くの古社寺を気ままに散策しながらその場での勝手な推理を楽しむことを思いついた。これは楽しそうだ。なにしろ趣味を一石二鳥で満たせる。
特に確たる目的があって廻るわけではなく訪れる先もその時の思いつきなので統一性はない。あまり難しいことは抜きでとにかく楽しければいいだろう。

どこへ行こうか。元々神社仏閣故事旧跡は好きなので近場にある有名どころのスポットは既にかなり行っている。再訪する場所もあるだろうが、新しい場所を見つけながら廻るとしよう。同行二輪、観光巡礼だ。

個人的に転機を迎え春に走り始める。これが新たな旅立ちとなるのかどうか。

平成15年3月26日。暦を確認すればわかるが実は水曜日。未消化の年休が余っていて、せっかくなので休みを取り出雲大社詣でへと出かける。
出雲人ではないが勝手巡礼の旅の始まりは出雲大社がふさわしいだろうと目的地に決めた。一応巡礼ということにしているので最初としては本当は寺がいいのだろうが、最も縁のあるのは大山寺になってしまう。しかし、この季節は山の上はまだ寒すぎるので平地の大社にしたのだ。

寒くないように山へは向かわないと決めたのだが走り始めて30分で事態に気がついた。寒いのだ。春とはいえバイクで走るにはもっと厚着をして出かけなければいけなかった。散歩するには問題はないのだが走行風で熱が奪われてしまう。
迷った挙句そのまま走り続けることに決めた。我慢すれば大丈夫だろう。
弓ヶ浜から大根島へ渡り松江を経由して出雲市に着く頃にはすっかり体が冷えてしまった。防寒を甘く見すぎた。バイクを降りれば暖かい陽気なのが救いだ。

出雲大社には何度も来ている。日本を代表する神社と言っても過言ではないだろう。古事記、日本書紀、いわゆる記紀での出雲神話、さらに出雲国風土記による伝承などと関連して古代出雲は謎が一杯だ。そしてその中でも出雲大社は重要な問題を多く含んでいる。それらは諸説入り乱れて学術的な論文から珍妙なとんでも本まで沢山出ているのがここで触れるつもりはない。
今回の目的はお参りと同時にあるものを確認することだ。

駐車場に停めて土産物屋の横を進むと神楽殿がある。これがあまりに立派でしかも駐車場から真っ直ぐ入って来た正面のため時々本殿と勘違いしている観光客の会話を聞くことがある。本殿を示す矢印でも置いたほうがいい。

神楽殿の横から境内に入ると表参道ではなく社殿の真横に出る。
巨大な注連縄の拝殿と大社造りの国宝本殿。周囲を森に囲まれて荘厳に建つ社はさすがだ。何度来てもその立派さは変わらない。やはり勝手巡拝の最初としてはここは間違いなかったと確信した。

拝殿から本殿前へ回る。
地下工事に伴い、平成12年4月に古代本殿の宇豆柱の根元部分が出土し9月には心御柱が発掘された。そのうちの宇豆柱の見つかった位置が本殿正面の地面に描かれている。1m弱の丸太を三本束ねて一本の柱としていて造営伝承がかなり正確なことが裏付けられた。伝承では現在の本殿の高さ八丈(約24メ−トル)に対して十六丈(約48メ−トル)の高床式高層建築だったという。
今の社の屋根まで柱を伸ばしてその上に社を乗せた格好になるのだろう。今の社殿でさえただならぬ大きさだというのにその倍とは凄まじい高さだ。

しかし確認したいのはこの柱跡ではない。本殿前へは参拝のため回ったのだ。

拝殿へ戻り正面の鳥居へ向かう。これが今回の目的である銅鳥居。文字通り銅で造られた鳥居だ。寛文6年(1666年)に毛利綱広(毛利元就の孫の孫)が寄進したものとされる。
この鳥居には何と出雲大社の祭神が素盞嗚尊と刻まれているのだ。
実際に銘文には何と書いてあるのか定かではないが確かに「素戔嗚尊」の文字が読み取れる。「素戔嗚尊は雲陽の大社の神なり」といったことが書かれているらしい。
出雲大社といえば祀られているのは大国主命。現在では当然の事実とされる。鳥居を寄進した毛利が知らなかったのではない。その当時は主祭神が素盞嗚尊とされていたのだ。

祀られる主祭神が時代によって異なる。実はこれは良くあることで珍しい話ではない。ただその事実がこれだけはっきりと誰にでも目にすることができる形で存在するのは多くないのではないだろうか。何と言っても銅で刻まれているので修正のしようがない。しかも鳥居なので隠しようもない。
大社の鳥居は参道にある石造りの大鳥居が有名だが実はこの銅鳥居が重要文化財に登録されている。しかしこの鳥居に関する説明はどこにもない。主祭神が違うということで神社としてはあまり有名になって欲しくないのかも知れない。

どうして祭神の混乱が起きたのだろう。どうも不思議で仕方ない。
明治まで出雲大社は杵築大社と呼ばれていた。
出雲国風土記によれば、杵築の郷に「天の下つくらしし大神の宮奉らむとして・・・」と杵築社の記事が載っている。別のところには「天(あめ)の下(した)所造(つくらしし)大神、大穴持命(おおあなもち)」とあり大穴持命を祀る社として建てたことが知れる。そして日本書紀の一書によれば大国主命を「国作りの大己貴命(おおなもち)」という記載がありこれは大穴持命と同じと考えられる。どの様に読んでも大社は大国主命の社だとしか読めない。
一方、素盞嗚尊は風土記では神須佐乃袁命(かむすさのお)と呼ばれている。間違えようのないはずなのだが。
当時の神社関係者は日本書紀も古事記も出雲国風土記も知らなかったのだろうか。

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