From ROMA-KEN(古代ローマ史探求)

…歳を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。(Samuel Ullman, 'Youth'(「青春」より。)

古代ローマの碑文

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 我が国の古代ローマ史学界において、いち早く史料価値としての「碑文」、「墓碑銘」の価値に注目しつつ、碑文やそれを理解する上でバックーボーンとなる碑文学の知識を元に長年研究してこられた小林雅夫氏に言わせると、


…20世紀の古代史学界で最も影響力のあった古代史家の一人であったイタリアの歴史家モミリアーノも指摘しているように、…古代地中海世界の墓碑は、まさに西欧人の自己表現の伝統の起源を示している

by 小林雅夫氏 (とあるシンポジウムにて。)


 のだと言う。


 実際、古代ローマ時代のものとされる碑文は現在知られているだけでも約30万点近く存在しているが、この数は、年を追うごとに新たに見つかり、年報の中で報告され続けることによって、今後、塗り替えられていくことだろう。そして、この30万点はあくまでも現在知られ得る限りの数で、当時、製作されていた碑文の総数から見て僅か数%にも満たない、と多くの碑文学者は見做している。言い換えれば、それだけ多くの古代ローマ人が、碑文製作に並々ならない情熱を傾けていた!と言うことでもある。

 こうした古代ローマ時代に製作された碑文の約8割は、故人の死を記念した「墓碑銘」であり、そこには、「故人の名」のみならず、「職業」、「身分」、「年齢」、「生前果たした業績」、あるいは、「故人の追悼者」すなわち、「墓碑銘の設立者」の「名前」や「故人との関係性」、「職業」、「身分」なども刻まれ、場合によっては、何らかの「感情的な追悼」や、「詩の文句」が刻まれたりもする。従って、小林氏が正しく指摘するように、古代ローマ時代の碑文は、しばしば公開性を有した「自己表現」や「自己告白」の「場」であり、「明確な意思表明の場」であり、何よりも「生の証」の表明!とも言えるだろう。

 
 興味深いことは、こうした「自己表現」の「手段」と「場」は、古代ローマ社会にあっては、「全ての階層・身分」に開かれていた、と言うことである。つまり、例え奴隷や被解放自由人であっても、墓碑銘を刻む「意志」と「資金」さえあれば、その機会は、平等に開かれていた、と言うことになる。そして、実際に、決して少なくない数の奴隷、そして何よりも多くの被解放自由人が自らの名を「明示」的に、時には「プライド」と共に刻んだ。以下は、ある被解放自由人女性の墓碑である。


イメージ 1

商売活動に従事していた被解放自由人女性の墓碑 (58 × 177 × 29)


 この墓碑の碑銘の部分のみ拡大したのが、以下である。


イメージ 2

商売活動に従事していた被解放自由人女性の墓碑2

碑銘(CIL I^2, 3011a)

GAAVIA・C・L・PHILVMINA・EX・AVEN[TINO?] / 
DE・SVA・PEQVNIA・FECIT・SIBEI E[T] [DE...] / 
CVCVMAI・AVRVFICI・L・AVFIDIO・L・L・D[...]

訳

ガイウスの被解放自由人(女性)ガウィア・フィルミナ、アウェンティヌスの丘で商売をする者が、自らの資金で、自分の為と(・・・欠落・・・)、被解放自由人(女性)ククマ、金細工士の為、そして、ルキウス?の被解放自由人(男性)アウフィディウスの為に奉献した。


(訳:トリマルキオ)

注)訳に関しては、一部迷っている箇所があるので修正し直すかも知れない!
ただ、基本的には間違ってはいないと思われる。


 この墓碑銘の興味深い点は、ガウィアと言うとある被解放自由人女性が、アウェンティヌスの丘にて(多分、奴隷時代の元主人の保護の下で)商売活動に従事し、自ら碑銘を設置できる(de sua pecunia)程度には稼いでいたこと、更には、他の仲間(*あるいは、被解放自由人男性とは、内縁関係にあったのかもしれない...)を追悼する用意ができていたことである。
 一方で、この墓碑銘には、「年齢」が記載されておらず、また、そもそもここに刻まれた3名の何れかが既に死んでいるのか、あるいは生前のままなのか、と言った情報が欠落している。従って、この墓碑銘は、我々が墓碑に対してイメージするような単なる「死の追悼」と言うものではなく、ガウィアと言う被解放自由人女性による、「ある程度自立した女性」としての「プライド」を伴った「自己表現」とも、「生の証」を刻んだ「自己告白」とも取れるだろう。

 上記の墓碑銘を一例として挙げたように、元々、古代ローマ人の墓碑銘には、「時間」に対する観念を見出しにくい。言い換えれば、彼等にとっては、「いつ死んだか」が重要なのではなく、生前、「自分が何者であったか」が極めて重要なファクターであった、と言うことになる。つまり、彼等の墓碑銘製作には「有限な時間」を超越した「永遠性」に対する希求性が存在し、それ故、墓碑銘に「自己告白」を刻み付けることで、世界の中に「自己を永遠に生きる存在」として位置づけようとしていたのである。

 
 次の例は、ある奴隷女性の極めて慎ましい墓碑である。


イメージ 3

奴隷女性の為の慎ましい墓碑


 以下が、上記の墓碑の碑銘を拡大したものである。


イメージ 4

奴隷女性の為の慎ましい墓碑2


碑銘

ASCLA /
MINVCIA・SER

訳

ミヌキアの奴隷アスクラ(が眠る)


(訳:トリマルキオ)


 この墓碑銘は余りにも慎ましく、被記念者が奴隷であったことを考えると、当時の社会通念で言えば、「身分相応」の墓碑銘とも言えるだろう。だが、如何に慎ましいものであっても、ある奴隷女性が、明示的に「名前」を刻まれつつ、その死が記念された、と言う点は看過すべきではないだろう。そもそもこの墓碑は、一体、「誰が?」、「何の目的で?」設置したものであろうか。もしかしたら、奴隷自身が設置したのかもしれないし、女主人ミヌキアが自分に尽くしてくれた奴隷アスクラの為に設置したのかもしれない。あるいは、女主人が設置したにしても、それは、女主人自身の奴隷に対する「寛容」さを宣伝する目的で設置したのかもしれない...


 このように考えてゆくと、実は、ラテン碑文は解読自体が難しいのではなく、その製作の「動機」を解明することが難しいのである。もっと言えば、その背景にある古代ローマ社会の特質を考慮に入れながら一つ一つの碑文や記念碑設置の意味を考えて行く必要があるのである。
(*例えば、上記で紹介した墓碑の場合、当時の女性を取り巻く社会環境、特に「ジェンダー・バイアス」をも考慮しておかなければならない。しかも、彼女達の場合、身分的にも決して「良い」ものではなかったのである。それらを理解した上で上記の墓碑銘を見ていくと、例えば、とある被解放自由人女性が、「自立した女性」としての「プライド」を刻むことの持つ意義と重みがいっそう明確になるものと思われる。)


 何れにせよ我々に、今、分かっていることと言えば、古代ローマ人は墓碑や記念碑を通じて「自己表現」、「自己告白」を行っていた!と言うことである。そうした「生の証」を読み解いてゆく作業が、後世に生きる我々の勤めとも言えるだろう...


(*記事内の画像は、全て、「ローマ国立博物館」にてブログ管理者が撮影したものである。尚、撮影に際しては、事前に、当館職員の許可を取ってある。)


注)紹介した墓碑は、何れも共和政後期のものと考えられている。

参考文献
・Friggeri,R.(De Sena,E., transl.) ,
The Epigraphic Collection of the Museo Nazionale Romano at the Baths of Diocletian, ELECTA, 2001.
・Gourevitch,D., La Donna nella Roma Antca, Giunti, 2001.
・Donati,A., Epigrafia romana, il Mulino, 2002

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