From ROMA-KEN(古代ローマ史探求)

…歳を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。(Samuel Ullman, 'Youth'(「青春」より。)

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ブロードウェイ・ミュージカル『コーラスライン』のチケットをGETした!
昨年の『RENT』も非常に良かったので、今回も楽しみ。

場所は赤坂ACTシアター、8月にバディと行きます。



STORY

N.Y.ブロードウェイ。幕が上がると、新作のためのオーディションの真っ最中。新進演出家ザックの元に集まった大勢のダンサーの中には、ザックの元恋人・キャシーの姿もあった。彼女はかつてスポットライトを浴びたこともあるもののハリウッドに進出して挫折、一からやり直すつもりで再びブロードウェイに戻ったのだった。
厳しいオーディションに合格したとしても手に入るのは「コーラス」、つまり無名の脇役。「君たちはスターを彩る額縁、誰も僕の目を惹いてはいけない」とザックに宣告され、それでもダンサーたちはたった8人の採用枠に残るために自分のすべてを賭ける。「君たち自身を知りたい」というザックの問いかけに、躊躇しながらも赤裸々に自分の人生について語り始める・・・。

(出展:wikipedia)


特に感動的な歌に"What I Did For Love"というのがある。

Kiss today goodbye,
The sweetness and the sorrow.
Wish me luck, the same to you,
But I can't regret
What I did for love, what I did for love

今日という日にお別れのキッスを、
甘く悲しい日々にもサヨラナを。
私にもあなたにも幸運を。
けれども、私は後悔などしない。
全力を賭けて愛のために生きてきた日々を。

(※歌詞の一部を抜粋して訳してみた。)


人生は決してままならない。
舞台の主役になることも出来なければ、脇役にもなれない。
いつかは夢を諦めなければならない日もやってくる。
それでも、生きることは尊く、ほんの一瞬の輝きで人生を鮮やかに彩ることができる。

…そんな日々に乾杯を!
古代ローマ関係の動画をYou TubeにUP!しておいたので、お知らせ。
今回は、南イタリアの港町ポッツォーリに残存する古代ローマ時代の遺跡・剣闘士闘技場跡。
動画が若干暗めなのが残念ですが…


ポッツォーリ:古代ローマ時代の剣闘士闘技場跡

南イタリアのフレグレイ平原に存在する古代ローマ時代に栄えた港町プテオリ(※現ポッツォーリ)に二つの重要な遺跡がある。一つは現在の港をすぐ見下ろす位置にある古代の「市場跡」(※紀元前2世紀頃)で、もう一つがより内部に位置する「剣闘士闘技場跡」である。
この剣闘士闘技場は、楕円形の長径74.78m:短径42mと、現在残存している闘技場の中でも世界3番目と相当の規模を誇る。
この円形闘技場は、紀元後1世紀フラウィウス朝期ティトゥス帝代のものと考えられているが、同じ時期にローマではコロッセウムが建設される等、剣闘士闘技が「パンとサーカス」における興行としてシステマティックなものとなり、ローマ市民がますます見世物に熱狂していく時代であった。

動画では、通り口を通ってアレーナへ入っていくが、この通り道こそかつて剣闘士達が観衆の面前で闘い血を流す為にアレーナへ向かう為の通り道であった。またアレーナ内に入ると床面の中央に大きく開いた穴や、左右に等間隔の正方形型の穴を見ることができるが、闘技中、アレーナの地下よりこの穴を通じて、様々な猛獣が滑車で揚げられ剣闘士との闘いや猛獣同士の闘いへと駆り立てられた。ただ、1世紀の牧歌詩人カルプルニウス・シクルスによると、こうした穴はただ猛獣を剣闘士闘技へ供する為に用いただけでなく、マジックショーの仕掛けとして、あるいは中央の穴等は、森を模造する為に人工的に木々を植える為にも利用されていた。

古代ローマ時代における剣闘士闘技の存在意義を当時の時代背景・政治文化と重ねて合わせて考えることで、より正確に実態を把握していけるのではないか…

by トリマルキオ(kannriromaken)


【参考画像】


イメージ 1

 剣闘士の入場口より臨む観客席とアレーナ

徐々に近づく観衆の熱狂的な喚声を聴きながらアレーナへと入場する
剣闘士の気持ちはどんなものであったろう。


イメージ 2

 アレーナの光景

アレーナ前方に見える四方形の穴より、滑車を利用して地下より猛獣をアレーナ内への引き上げていた。


【編集後記】
ポッツォーリを訪れた際、丁度、イタリアの小学校の遠足時期だったようで、
幾人かの子に人懐っこく話しかけられたのを記憶している。
カルチョとTVゲームが大好きなイタリアっ子は先生の説明もろくに聞かずに、
仕切りに「ソニーのプレステ持ってるか?モリモト知ってるか?」と尋ねてきました。
(※最後には、引率の先生に怒られすごすご去っていきましたが…)

おかげで集中して遺跡見学ができませんでしたが、
これはこれで一つの思い出ということで…


僕にとって、歴史と言えば古代ローマ
そして、古代ローマと言えば、剣闘士闘技場…

古代ローマ時代の遺跡として有名なのはやはりローマのコロッセウムだが、
地中海世界一帯では、それ以外にもタラゴナ、ニーム、ポッツォリ、ポンペイ、etc...
保存状態・修復状態の程度こそあれ、色んな都市で観光客を迎えてくれる。
そうした都市の一つがロミオとジュリエットの伝説でも有名なイタリア北部に位置するヴェローナ。
そんなわけで、本日は、ヴェローナに残る闘技場に関する記事の紹介。


中世の香りと風情に包まれた美しい都市ヴェローナに残る古代ローマ時代の遺跡。
そして、そこでは現代の我々には理解しがたい?「死のゲーム」が堂々と行われていた
闘技場跡が残っている。
この闘技場では、元々は3万人動員できていたらしいけど、現在では約2万人程度。
夏にはこの闘技場跡でオペラも上演されているそうな。
夏の夜空の下、光に照らされた幻想的なアレーナで繰り広げられる悲喜こもごもの歌劇の名演に、
思わず心動かされてしまうのではないでしょうか。

何にしても、古代ローマ時代の遺跡にはやはり心躍らされてしまう…


行きましょう!ヴェローナに。
せめて心だけでも…
業務をスムーズに進めていく上で必要な「手法」があるな、と最近思う。
経験的に得られたものでもあるが、「切り分ける」こと。
できること・できないことを「切り分ける」。
すぐ分かる・理解するまで時間がかかりそうな内容を「切り分ける」。
そして、もっとも大事なのが、各々の作業にタイムリミットを決め時間を「切り分ける」。

「切り分ける」ことは勇気のいることでもあるけれども、
有限で貴重な時間を可能な限り有効に使う上で必須の作業とも言える。
常に時間を意識し、時間とはコストだと自覚すること。
一日の業務時間の中でスケジュールをひいて、タスク管理を徹底すること。

時間を「切り分ける」ことを実践して時間に対する感覚を養うことで、
できること・(すぐには)できないことの判断基準を自分の中で持つこともできるようになる。
日常業務の中では、スケジューリングした作業以外にも
トラブル対応・至急に依頼された調査等、突発的な作業も多くなる。
そのような時に、緊急度・作業ボリューム・期限を明確にしておくことで、
それが「どれだけの時間でできることなのか」、
「今、自分が持っているタスクと比較して今すべきか・後に回してもよいのか」、etc...
を自分が引いたスケジュールと照らし合わせながら
「できる・(今は)できない」、「今する・後回しにする」かどうかを判断する。

時間を管理し、スケジュール観(期限観)を常に持っておく(WBSに落とし込む)ことで、
無駄を省き、本当に必要な作業に必要な時間を投入することもできるようになる。
また、時間管理に対する意識を持ち、時間を「切り分ける」(時間をマネジメント)ことで、
「何が必要で必要でないか」、「必要なことに対してどうアプローチしてゆけばよいのか」を
測りやすくなっていくのではないか。

時間管理も立派な思考法の一つだと僕は思っていて、
それは「時間(のマネジメント)」を軸にした業務効率化手法だと考えているからである。


(追記)
文中で、単に「できない」といわず、「(今は)できない」という表現を用いているのは、
時間・現状の保有スキルの都合でできないことはあっても、
成長していくことでいつかは「できるようになる」という意識を持っていたい、
という思いをこめているからでもある。
「事実に基づいて」意思決定を下す

マッキンゼー・アンド・カンパニー(俗称:マック)というコンサルティング・ファームがある。
そのマックの基礎を築きあげたマービン・バウアーの著書に『マッキンゼー経営の本質』がある。
この書籍がまたなかなか読み応えがある。
何度か読み返し、大事な箇所には線を引き付箋を貼り、忘れかけた頃にまたその頁を開く。
入社したての頃に購入して以来、何度か繰り返す恒例の作業となっている。

昨日、【思考メモ】として「視点の置き所」について書いてみた後、
ふと再び前掲書を紐解きたくなった。

バウアーは正しい意思決定に基づく正しい経営を行っていく上で、
「事実に基づく」ことの重要性を繰り返し説いている。
ファクトベース・マネジメントと呼ばれるこの発想自体は当たり前といえば当たり前だが、
問題は現実にどれほど多くの企業がそれを実践し得ているか、という点にあるという。
「事実に基づく」意思決定ということをどれだけ徹底して実践できているか、
その度合いを測る観点として、社内に蔓延する風潮として
「何が正しいか」ではなく「誰が正しいか」ということばかりにどれだけ囚われているか、
について観察してみるとよい、と言っている。

「誰が正しいか」ということばかりに意識がいくということは、
リーダーや上司、権力や権威を持った人に盲目的に従っているだけ、ということになる。
その時点で、事実を正しく見ようとする姿勢が失われ、
誤った方向に導かれていても、ただただずるずる引き込まれていくだけとなる。

そうならないようにする為にも、「誰が正しいか」ではなく、
「何が正しいか」を常に意識することで事実を正確に把握するよう努めるべきだ。

付言すると、現代社会のように情報伝達速度が速い時代の経営において最も重要なことは、
上は文字通りの経営者から、下は末端の社員に至るまで、
常に組織を自ら定めた目標達成の実現に向け人材及び資源を導いていく「経営」への視点を
一人一人が持っている必要があると思う。
つまり、組織の誰もが「経営者」として自律的な行動をしていくことが求められているのだと思う。

今起こっている事実と真剣に向き合い、その問題解決に全力を尽くすこと。
問題解決をしていく上で、「事実」を前提としてチーム内で議論を交わす土壌を作っておくこと。
その土壌を作るうえで、正しいのは「誰」ではなく「何」であることを常に意識しておくこと。
求められているのは、「事実」に基づく経営を実践しようとする「意志」なのだと思う。

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