From ROMA-KEN(古代ローマ史探求)

…歳を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。(Samuel Ullman, 'Youth'(「青春」より。)

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最近、仕事の中での視点の置き所について考えることがある。
「何処を向いて仕事をしているか?」
ということ。
視点は自分自身なのか、同僚なのか、上司なのか、顧客なのか、
あるいは社会なのか…

視点の置き所も結局はバランス感覚と臨機応変さが求められているように思う。
ある時は、自分自身の良心に従って、
ある時は、同僚や上司の役に立ちたいという思いから、
ある時は、顧客の要望に応え貢献する為。
けれども、これらの視点の中心というか、根っこには
社会に対する責任というか、社会を「裏切らない」という意識を
常に保持しておくことが常に必要であるように思う。

自分自身の為でもよいし、あるいは誰かの為に何かしたい!
と思う気持ちが大事なことだけれども、
その行為の帰結として、社会に多大な影響を与えてしまった場合、
あるいは法秩序を乱すようになってしまった場合、
結果的には自分自身も、身近な大切な人も、
その他色々な人を裏切り傷つけてしまうことになる。

視点の置き所を考える中で、
結局一つだけ確かなことだと了解できるのは、
自分自身の行為とその結果に責任を持つ、
正しいことと間違っていることとの切り分け(基準)を自分の中で明確にしておく、
ということ。


「視点の置き所」、これについては今後も考え続けていきたい。
イメージ 1

 雪景色 −仙台


職場を出た時、都心だというのに外が真っ白だったのに驚いた。
そして、帰宅列車から駅を降りた後、
家まで続く小路がひたすら白雪に覆われていたのには更に驚いた。

雪といえば、週末に訪れた仙台。
妻と共通の知り合い宅へ2泊3日お邪魔することになったが、
仙台へ行くまでの新幹線から遠めに見えた蔵王の美しさと雄大さにちょっぴり感動し、
知り合いに連れられていった松島は瑞巌寺洞窟群の静謐さに心打たれた。
けれども、最も印象深かったのは、2日目の早朝、
家の外が10cm〜15cmは積もったと思われる雪で覆われ一面が白銀の世界となっていたこと。
僕と妻は知り合いの小父さんとともに家の庭・付近の道路の雪かきをした。
それこそ寒いはずなのに、汗だくだくとなり、雪かきがどれほど重労働なのかを知った。
小父さんは、この一帯はそう積もるもんではない、と言っておられたが、
それでも年に何回かは雪かきが必要になるとのこと。
北国で生きる人々の苦労を少しだけ想った。

楽しいこともたくさんあった。
中でも3日連続の温泉三昧は普段の仕事疲れを癒すには十分だった。
近所が綺麗な渓谷を臨む温泉街であった為、
割合近くから聴こえてくる渓谷の流水の音や、白雪で薄化粧された岩肌の雪景色を
露天風呂から眺めているだけで心が和んだ。
温泉を訪れた後は、知り合い宅で小母さんの振舞うご馳走三昧。
やはり仙台といえば海産物なのだろう。
食卓にも見たこともないような大きさのホタテ貝の貝柱、
クリームチーズのようにとろけそうな白子の天ぷら、
玉子とマヨネーズで和えられたぷるぷるの白身の鱈等、
様々な海産物が載せられたが、食いしん坊どもにあっという間に平らげられてしまい、
ただただ空となった食器だけがあとに残るだけだった。
無論、その間、酩酊しながらの雑談や思い出話で笑いが絶えたことはない…


…時間とは、輝かしい、いきいきした、色彩豊かな流れなのだ。

(※辻邦生 『海峡の霧』より)

大切な時を大切な人達と心ゆくまで過ごすことのできたつかの間の日々。
自分の中の忘れかけていた心の温かみを思い出させてくれた方々に感謝。

【徒然】思考の場

ここ最近、どんなに遅く帰っても、必ず湯船にゆっくり浸かるようにしている。
以前は、シャワーを浴びるだけで済ましていたけれども、
一日の疲れを癒すには、やはり少しだけぬるま湯の湯船でのんびりするのがいい…

風呂の中で、つい色々なことを考えてしまう。
映画を観り小説を読んだ後なら、映画や小説についてあれこれ考え、
漠然としたあれやこれやの思いつきを一つの思考のまとまりとして再構築してみたりもする。
普段、仕事に行っている間は、同じ「考える」でも業務遂行を目的とした思考の為、
必ずしも自由な発想が浮かんでくるとも限らない。
(※ブレストなら多少話は別だが。)

なので、湯船にゆっくりと浸かりながら、心身ともにリラックスした状態で
あれやこれやと思考していくことは結構、いい思考トレーニングになったりもする。


【追記】
さて、明日(今日かな)も頑張っていきますか!
残業は必要悪と考え、なるべく残業しないよう日々心掛け、
チーム内でも共通した認識だけれども、
ここ最近、案件がどんどん動いているので、
どうしても遅くまで残ってしまう。

まぁ仕事がたくさんあるというのは、ないよりも遥かによいことなので、
仕事自体は前向きに結構楽しんでやっているが…

そんなこんなで、すっかり遅くなった帰宅列車から降り駅を出ると、
何やらピチャピチャと地面が音を立てていた。

何だろう?とふと地面に目をやると、
無数の白い線が地面に落ちては消えていった。
その白い線を上へ上へと目をやると、
街灯に照らされてぼんやりと光るみぞれ雪が降っていた。
更に視線を虚空へやるとその先は漆黒の闇夜が何処までも広がっていて、
白と黒の美しいコントラストを眺め楽しみながら家路に就いた。

人生というのは、格別なことをしなくても
日常を生きている中にも、些細ではあるが色々なことを発見し感動することで
それなりに楽しいもんだ、などとうそぶいてみたくもなった…
ふとした時に、時の大切さに気がつくことがある。
例えば、今日一日、目一杯働いて、その対価として何を得たのだろうか。
今日一日の労働は貴重で有限な時間を費やすに足るだけのものだったのだろうか。
一日、何もしなかった(行動しなかった)ことによって何かを失っていたのだろうか。
あるいは、自分は何か生み出すことができたのだろうか。

先週末に観た映画『ウォールストリート』は基本的には
見るべき箇所も考えさせられる箇所も少なく退屈に感じられたが、
一つだけ印象深い言葉が、ゲッコー(※登場人物)の口から語られた。

「…世の中で最も大切なのは、時だ」

時は失われ、同じ時がもう二度と戻ってくることはない。
明日は会おう明日こそ会おうと思っていた大切な人に、
今日も結局会えずじまいのまま、やがて永遠に会えずじまいになってしまう。
あの時、すれば良かったことを自分の中でブレーキをかけてしまったばかりに
後になって後悔してしまうこともある。

古代ローマの格言に"Carpe diem !"という格言がある。
「その日を掴め!」転じて「今を生きよ!」という意味だが、
元々は、若者の輝かしい若さはあっという間に失われる為、
その「今」という若さを思う存分に謳歌しようというものだ。
決して無為に悪戯に時をやり過ごすのではなく、
限られた若さ(時)を情熱を持って永遠にも輝く生の証とする為に…

刻一刻と過ぎ去り、もう戻ってくることはない時。
そのあまりに儚くあまりに貴重な時を、
自分にとって大切だと思えること、大切な人の為に使っていきたい…

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