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古代ローマ時代における碑文や墓碑銘、あるいはそれらに伴うレリーフなどが我々の興味を引くのは、そこにドラマが存在しているからでもある。かつて、笑い、泣き、怒り、悩み、あるいは、祈り、名誉を求め、そして、愛し合い...要するに、古代ローマ人も我々と同じように、かつてを「生きた」のである。言わば、「生の証」としてのドラマを、我々は今に残る記念碑や墓碑を通じて「観る」ことができる。 例えば、剣闘士は何を考えて生きていたのだろうか?彼らは、「生と死」が常に隣りあわせとなっている世界を生き、戦い続けた。その剣闘士をローマ人はどのように考えていたのだろうか?剣闘士は、infamia(恥辱)の対象とされ、俳優や売春婦、犯罪者などとともに法的にも「社会の周縁部」へと押し出されていた。剣闘士に関する研究をしている某氏が語ってくれたところでは、このinfamiaとは、「ローマ市民」から「逸脱」する人々を「切る」概念、すなわち、「正常からの逸脱者」を「社会的に排除」する為の概念だと言う。けれども、その同じローマ市民が、こうしたinfamiaとされた剣闘士や俳優のパフォーマンスに熱狂し拍手喝采したのである。 「恥辱」と「名声」。こうした矛盾した評価の中に晒されていた剣闘士の心理的葛藤、そして「排除」しつつも「熱狂」するローマ市民の矛盾した意識に関して、我々には容易に理解し得ないものであるが、それを読み解く鍵となるのが、おそらく、他ならぬ彼等自身が残した「生の証」としての碑文であろう。
上記の大理石製のレリーフ断片(80 x 40 x 15 cm)は、剣闘士闘技の様相を描いたものである。現在は、「ローマ国立博物館」に所蔵されているが、おそらくは紀元後3世紀後半から4世紀初め頃に、皇帝が所有する「剣闘士団」の為に製作された記念碑である。このレリーフ断片の下方に描かれている、「セクトル」(左側)と「レティアリウス」(右側)と呼ばれた二人の剣闘士は、今まさに白熱の戦いを繰り広げている最中である。けれども、このレリーフ断片が我々に伝えるドラマは、もっと生々しいものである。
対面する二人の剣闘士の上方には、碑文が刻まれている。 [---] us. Scolasticus. Damascenus. Θ この碑文を通じてレリーフに描かれた二人の剣闘士には、各々、スコラスティクスとダマスケヌスと言う名前であったことが分かる。そして、この二人の剣闘士は戦い、結果として、ダマスケヌスは戦いの最中に死んだ(*「Θ」すなわち、「死」を意味する!)。この「死」が刻まれたと言う現実は、剣闘士達の、あるいは剣闘士闘技の何を伝えたがっていたのだろうか?剣闘士に対する冷ややかな反応だろうか?あるいは、「死」を前にして戦う剣闘士の「名誉」だろうか?このレリーフ断片からだけでは、容易に推測するのは困難である。 上記で例示したように、古代ローマ時代の碑文は、しばしばあまりにも簡潔である。けれども、その簡潔さの中には、「かつて」を生きた人々の各々のドラマが存在し、そうした幾多ものドラマの積み重なりやぶつかり合いによって歴史は編まれているのであろう。 古代ローマ人は、「生の証」としての記念碑を彫り刻むことで、一体、何を訴えようとしていたのか?何の意味もなく、彼らは高価に過ぎる記念碑製作に打ち込みはしなかっただろう。そのドラマを読み解く作業が、「古代ローマ世界」の実態解明において、今後ますます必要不可欠となっていくのだろう。 追記 日本における古代ローマ史学界では、長らく「剣闘士」に目を向けられることはなかった。けれども、近年、幾人かの若手の研究者が「剣闘士」研究で興味深い「仮説」を提起し始めている。未だ「成果」には程遠いかもしれないが、こうした研究者が、剣闘士自身が残した「碑文」に注目しつつ、その「意識」を解明しようとする気概は注目に値する。「21世紀の歴史学は「感性の歴史」の時代!」と時に言われることもあるが、史料からは直接に言及されにくい、こうした「感性」や「意識」を読み解く作業は、ともすれば、「因果関係」の説明が難しく、「嘘っぱち!」と揶揄されがちだが、少なくとも「古代ローマ史」の「剣闘士」や「俳優」と言ったマージナルな存在の「世界」の実態解明を行っていく上では、必要不可欠な作業ともなってくる。そして、こうしたマージナルな存在の「世界」の実態解明を行っていくことで、結果として、古代ローマ人の社会を解明してゆく契機ともなっていくのだろう。 (注:掲載画像は、ブログ管理者の撮影によるものである。) 参考文献
・Friggeri,R.(De Sena,E., transl.) ,
The Epigraphic Collection of the Museo Nazionale Romano at the Baths of Diocletian, ELECTA, 2001.
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2009年02月01日
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