…世界を支配するのは運命ではない。ローマ人にそれを訊ねてみることができる...
モンテスキュー 『ローマ人盛衰原因論』より。(訳:大岩誠)
昨日は、徹夜明けでそのまま用事があったので朝から夕方頃まで起きっ放しであった。流石に、昼頃から断続的にふらふらしそうになる時もあったのだけれども...
帰り際に、古代ギリシア悲劇に関するレポート作成用に借りた図書数冊を返しに大学図書館へ赴いた。そして、そこで、ついでなので、『史学雑誌』の「回顧と展望」−「古代ローマ」を2007年−1998年頃まで遡りつつ読んでいった。
「回顧と展望」を読みながら感じたことであるが、やはり、近年の古代ローマ史学界は(他の歴史分野と同様)、研究の「多様化」と言うより「細分化」が激しいと言うことだ。尤も、「細分化」傾向自体は先進的な西欧諸国の研究動向の流れを追うという意味では、本来、当然の流れなのだけれども、そのことで、明確な「古代ローマ史像」を見出しにくくなっていることも事実なのではないだろうか。そして、そのことが「古代ローマ」を巡る統一的なテーマに沿って議論を行うことをますます難しくさせているようにも思える。
上述の問題点に絡めつつ、最近、思うことだが、古代ローマ史学界にも、ミクロな「個別研究」を行う研究者と、一方で、例えば「古代ローマ文明論」のような、より大局的に「古代ローマ」を扱う研究者と言うように、各々の研究者が自己の研究の役割(立場)を定めていくのも良いのではないだろうか。「個別研究」はどちらかと言えば「アカデミズム」に特化したものであるが、一方の「大局的な研究」は、アカデミズムの外へと向かってもっともっと情報を発信してゆく、と言うように...
率直に言って、ここ十数年の間、最も「古代ローマ世界」の面白みを日本に広め、多くの「古代ローマ」ファンを生み出してきた最大の貢献者は、古代ローマ史研究者ではなく、『ローマ人の物語』で有名な小説家・塩野七生女史である。実は、『史学雑誌』の「回顧と展望」の評者の中でも、塩野女史の果たした役割に関しては、肯定的な見解と否定的な見解とに分かれているが、どちらの見解を支持するにせよ、結局、塩野女史以上に「古代ローマ世界」に関する新たな読者層を生み出した方は、残念ながら、古代ローマ史学界の研究者の中にはいなかったことだけは言えると思う。
尤も、研究者の立場として見れば、塩野女史の『ローマ人の物語』は、はっきり言って、あまり評価できないのも事実だと思う。けれども、塩野女史の真価の一つは、やはり大局的な古代ローマ史像、「文明論」としての「古代ローマ世界」を独自の関心(*「問題意識」)に基づいて、壮大なスケールで描き出したことであろう。そして、この「文明論」こそ、今、日本の古代ローマ史学界に欠けているのだと思う。これは、僕個人の勝手な見解と言うよりは、実際に、「回顧と展望」の評者にしばしば共通した見解でもある。曰く、「…細分化が進みすぎる過程で、個々の研究領域の深化はますます深まってきているが、そのことが、逆に、明確な「古代ローマ史像」を見出しにくくさせている...」。
そして、この「文明論」としての「古代ローマ史像」に関しては、最近になってある若手の研究者(*無論、彼自身は、一研究者として素晴らしい「研究テーマ」を持っている!)との話の中でも登場した。彼らしい独自の見解に基づく「文明論」としての「古代ローマ史像」には幾つも興味を引くものがあったが、こうした研究者の発想と言うか、「文明論」に対する希求性は、ここ数十年の古代ローマ史学界の「細分化」傾向に対する言わば「アンチテーゼ」の形で、ますます増えてくるのではないだろうか、と、彼の話に耳を傾けながらふと感じた。
アカデミズムの外から古代ローマ史を眼差す立場からすれば、「文明論」としての「古代ローマ史像」が、アカデミズムの側から発信されることを切に願う。個々の研究者の方々が何れも素晴らしい研究をされていることは論文を拝読させて頂きながら、常々、感じていることなので、折角ならば、こうした研究がアカデミズムの中だけで完結することなく、ますます我々に向けて公開されて欲しいものだと感じる今日この頃である...
色々好き勝手語らせて頂いたが、所詮はアカデミズムの世界に属さない者の単なるボヤキだと思って下されれば、幸いである...
(*無論、自戒の意も込めている...)
追記
「文明論」としての「古代ローマ史像」で直ぐに思い浮かぶのは、古代ローマ史学界のみならず幅広い領域に影響を与えていた碩学、故・弓削達氏である。ここに弓削氏が残した言葉を一つ紹介したい。
…ローマの「永遠性」は、ローマの「死」が人びとの目に明らかになったときに、真剣な信仰の対象となった。また、理性的懐疑の攻撃のまとともなった。
そして、「永遠のローマ」の問題性との暗闘につかれはてたすえ、わずかな解決の曙光が見え始めたとき、はじめて人びとは新しい時代を迎えることができるようになった。
「永遠のローマ」とは、そうした歴史の前進のためにはさけて通れない関門であった。それは一つのローマの問題ではなく、人類の文明一般の問題であり、したがって現代の問題なのである...
弓削達 『世界の歴史3−永遠のローマ』、講談社、1976年、377−378頁。
我々が歴史を学ぶことの意味、古代ローマ史を学び研究することの意味、それは、「問い続ける」ことである。それは、啓蒙期におけるフランスの政治思想家モンテスキューのように、「何故、かくも強大な帝国が滅んだのか?」と言う問い掛けなのかもしれないし、あるいは、「何故、あれほど、かくも永きに渡って存続し得たのか?」と言う問い掛けなのかもしれない。だが、如何なる問い掛けにせよ、その根底には、常に「現在」の我々自身の、「何者?」であり、「何処へ向かおうとしているのか?」と言う「問題意識」が存在している。歴史を学ぶこととは、弓削氏が言うように、常にそれを「現代の問題」として捉えることなのだろう...
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