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古代ローマ関係の動画をYou TubeにUP!しておいたので、お知らせ。 本日の公開は、昨日紹介した海港都市オスティア遺跡より出土した 「コルムバリウム」(※鳩小屋の意味)と呼ばれる集合墓(M・サエニウス・アリストーの墓) の様子を撮影したものです。
古代ローマ時代の海港都市オスティア都市内部への入口はネクロポリス(死者の街)であった。しかし、古代ローマ時代の墓地は、人里離れたひっそりとした土地に設置されるのではなく、しばしば人々の往来の激しい都市入り口に所狭しと乱立していた為、興味深い特徴を帯びることとなる。 既に記念碑文や奉納碑文を通じた意思表明を明示する習慣のあった古代ローマ人は、彼等が「生きた証」を明示する為にこうした墓所の玄関口や一際目立つ場所に墓碑銘を設置し、自らの名や業績を観衆に訴える手段として利用した。 また、墓碑銘にはしばしば、誰が誰の為に設置し、墓所の中に誰が入ることが出来るのか、また、各々の墓所の領域はどの程度の範囲であるかを明示的に示すことで、故人と子孫の「生前の記憶」を保護し守り抜こうとした。 今回紹介する動画でも、古代ローマ人の「生きた証」を明示し「生前の記憶」を守り抜こうと躍起になっているM・サエニウス・アリストーなるオスティア市民に設置された墓所及び墓碑銘の存在に気付かされるだろう。 この墓所は紀元前後の古代ローマ社会で一般的であったコルムバリウム(※鳩小屋の意味)と呼ばれる集合墓であるが、アリストー自ら「生前の間に設置」し、「幅20ローマンフィート、奥行25ローマンフィート」のこの墓所には「自分と子孫、自分の被解放自由人のみ墓所に入る」ことが出来ると墓所の玄関口に掲げられた碑文に明示している。 玄関より墓所内に入ると、各々の骨壷を置くための壁龕(ニッチ)が設置されている様子を見ることが出来る。この壁龕の下部にはしばしば故人の墓碑銘が掛けられ墓所内を訪れる家族や友人・子孫に故人が「何と言う名前で何をしていたのか」を明示的にかつ永続的に表明していた。 古代ローマ時代における墓碑は、故人(場合によっては生前の間から)が永続的な記憶を勝ち取ろうと躍起になっている「記憶を巡る闘争の場」であったとも言える。 by トリマルキオ(kannriromaken) 【参考画像】
手前に見える白枠内に碑文が刻まれている。
M・SAENIVS・ARISTO/ FECIT SIBI ET/ LIBERTIS LIBERTABVS/ POSTERISQVE EORVM/ IN FRONT P XX IN AGR P XXV 【訳】 マルクス・サエニウス・アリストーが自分の為、被解放自由人の為、子孫の為に設置した。 この墓所の領域は幅20(ローマン)フィート、奥行25(ローマン)フィートである。 注)1pes(ローマンフィート)=29.6cm
骨壷を置くための壁龕(ニッチ)が等間隔に並んでいる。 この壁龕が等間隔に並んでいる様子があたかも鳩小屋のように見えたことから、 集合墓は「コルムバリウム」と呼ばれることとなった。 【最後に一言】 初めてオスティア遺跡を訪れた時、最も衝撃を受けたのが、 実はこうした墓地通り(ネクロポリス)の墓碑や石棺、墓碑銘でした。 書物でしか知らなかった「永続的な記憶」を求めて止まない 古代ローマ人の並々ならない情熱に触れた瞬間でもあったのかもしれません... |
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2010年11月08日
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