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【前置き】
春樹の『ノルウェーの森』の出だしが好きだ。
ある日、主人公がドイツ行きの飛行機に乗っていると、
唐突にビートルズの「ノルウェーの森」のBGMが流れ、
一気に主人公の胸の中、いや頭の中にかつての記憶が息を吹き返す…
それは、かつて彼の生きた世界の中で、生きていた人々の想いであり、
あまりにも不器用な生き方、そして悲しい別れ…
…そういうものが、ある「切っ掛け」を通じて
一気に僕らの一人ひとりの心を揺さぶる。
記憶との対峙でもあり、
傷口をそっと舐めてくれるような懐かしさでもある。
あるいは、やるせなさかもしれない。
どうしようもなく狂おしいけれども、
そこには微かな光明が射し込み、
それが温かみとなったりもする…
【美しき日】
人は誰でも臆病さを持っているが、勇気も併せ持っている。
あるいは、冷静と情熱の中に生きているといってもよいかもしれない。
冷静さは多くの場合、美徳だと思うけれども、
(*僕自身、そう思っているし、そうありたいと思っている。)
時には、情熱のまま行動してみるのもよい。
…そんなこんなで、この金曜、ようやく仕事を片付けると、
せっせと西を目指して東京駅発の夜行バスに飛び乗った。
10時間ものバスの旅…
それを長いと取るか、短いと取るかは
人次第だし、体調次第ということもあるだろう。
ここのところ残業続きで終電ぎりまで働いていた体が持つかどうか。
ある人は本当に心配してくれたけれども、
実際、乗ってみると、あとは寝ていればいつの間にか到着する。
実にあっけない旅だった。
そんなこんなで、この週末の二日間は本当に素敵な日々だった。
ゆっくり温泉に浸かり、美味しいものをたくさん食べ、
「サヨナライツカ」も観た。
(*映画自体は、原作ほど心を揺さぶられるものではなかったけれども…)
夕方、東京行きの新幹線に乗るために送ってくれた時、
仄かにピンクがかった夕暮れ時の空がホントに美しく、
二人で歩きながら、ただただ見つめていた。
二つの想いが一点を求めて交錯し、分かち難く溶け合った後、
やがて解けて再び離れていく…
けれども、一度でも触れ合い溶け合った想いと想いは、
解けた後、かつてのようにそれなしで生きていけるのだろうか?
僕はよくその人と、プラトンの『饗宴』の中の
とあるギリシア神話について語りあう。
…それは、
かつて人とは半身と半身とが分かち難く結びついていたが、
やがて傲慢さに対する罰故に、真っ二つに裁断されてしまった。
けれども、その裁断された半身と半身は、
互いに恋焦がれ何とか元通り一つになろうとして彷徨い歩く…
というものだった。
美しくも哀しいこの神話は、
古代ギリシア人の知性と情熱を感じさせてくれるとともに、
現代に至るまでの真理をついていると最近、感じるようになった。
…美しき日は、仄かに差し込む光明のようなものだ。
それを求め、手繰り寄せようと必死になって歩き続けるけれども、
あるいは陽炎のようなものなのかもしれない。
けれども、確かにそれはそこにあって、
記憶の中に刻まれていくこととなる。
その記憶をいつか想い出すことになるだろう。
その時、それは心を揺さぶる悲しいものとしてなのか、
自分達の歩んできた道を再確認するための道標としてなのかは、
今はまだ分からない。
ただ、一つ分かっているのは、それがどうあれ、
間違いなく美しき日として心に刻み付けられているということ。
【先生】
記憶という意味では、今日(もう昨日だが…)、
もう一つある。
学生時代に所属していた西洋史研究室が発行する論集が自宅に届いており、
特集として組まれたローマ史について
そのトップバッターとして恩師が寄せていたからだ。
何も目新しいことが書かれているわけではない。
いつも授業で、あるいはプライベートトークで
語っておられたことの繰り返しである。
けれども、そこには確かに恩師の想いが込められており、
恩師の生き様を感じ取ることができる。
おそらく僕には想像もつかない苦しい人生を生き抜き、
今尚、枯れることのない少年のような情熱と夢を持つ姿、生き方に、
僕はずっと惹かれてきた…
ローマ史ではまったくと言ってよいほど、
ものにならなかった僕だけれども、
それでも、恩師の下でほんの数年間であっても
ローマ史を学ぶことのできた日々は紛れもなく美しき日なのである。
巡り巡って現在の職にいたるわけだけれども、
恩師の言葉、
それが、「何故か?」と問い続ける者は誰もが研究者である!
を大切にしながら日々、仕事に励んでいる。
その意味でも、僕の人生の基盤を与えてくれた
恩師に心から感謝したい。
…いつの日か。
それは、何十年後になるかも分からないけれども、
僕はもう一度、古代ローマ史と向き合って生きてみたい。
改めて、そう思う…
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