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『ラテン語徒然』でお世話になっているメレアグロスさんが、以下のような紹介記事を掲載して下さっています!
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この記事内で紹介されている
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は、イタリア中部ピサのエリート養成校である「スクオーラ・ノルマーレ・スーペリオーレ」及び他の教育機関での授業カリキュラムの事例を手掛かりに、教養としてのラテン語(及び古代ギリシア語)を学ぶことの意義を改めて問い掛けています。
個人的には、特に、以下の件が興味深かったです。
…学長は、大統領時代にチャンピがノルマーレを訪問した際の話を披露した。「あなたは文学を勉強したのに、なぜ中央銀行に勤めたのか。ギリシャ文学と金融は関係ないのでは」と学生から問われたチャンピは一言、「どちらも同じだよ」と答えたという。…
(*前掲記事より。)
「どちらも同じだよ」って...
最初、このエピソードを読んだ時、思わず、吹き出してしまいました!!!そして、就職試験の時に、こう回答できれば、もっとすんなり面接官を納得させられたのかなぁ...などとついボヤキつつ、このエピソードには納得!
とまぁ、冗談はさておき、実際にこのエピソードは的を得ていると思います。少し視点が変わりますが、先日、大学図書館で『プレジデント』と言う雑誌を読んでいる時にも、日本を代表する某大企業の社長が、「西欧諸国の大企業の社長と大切な商談がある際、彼等自身が教養人である場合が多く、従って、教養をどれだけ積んでいるかが試される。例えば、会食の際に、これこれの古典を読んで、自分はこう解釈している!とまで言うと、大抵の場合、相手は自分を大切なビジネス相手として認知してくれる...」と言うようなことを述べていました。その社長自身は、学部(*大学院だったかも?)時代は「政治思想史」を勉強し、それに関する哲学・古典を随分読み耽っていたと言います。
「教養」としての学問探求は、決して「実学」に引けを取るものではないと思います。寧ろ、こうした「教養」は一生を通じて研鑽してゆくものなのかもしれません。と言うわけで、僕自身も、これからの人生を通じて、少しずつ教養を深めてゆきたいと思っています。
(*ついでに、「論理的思考力」を学ぶ!と言う意味でも、ラ語のお勉強もしていかないとね。)
追記
ただ、当の西欧諸国でも、今現在、学生による「ラテン語」離れがかなり進行しており、その意味では反論も多いかもしれませんね。「古典」を学ぶことの意義。色々な意味で、改めて問い直して行きたいテーマでもあります...
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