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この数日間、日常の中に非日常が同居しているというか、
いつもと同じような生活でありながら、いつもと何かが違う…
そんな感覚の中で日々を過ごしている。
【地震、その時…】
地震が起こった時、僕はたまたま勤務先のビル7Fと8Fの踊り場にいたけれど、
流石に何十年前と随分年数が経っていることもあり、
外見は荘厳で頑丈なビル内階段の内壁がボロボロ崩れ落ちてきた。
落下物を避ける為、いったんは7F廊下に入り手すりに掴まったが、
しばらくは動ける状態にもなく、ただただ手すりを握りしめるのに精一杯だった。
少し揺れがおさまりかけてきたところで、8Fの勤務場に取り合えずは戻ろうと考え、
落下物をさけるようにして階段を上がり、何とか自席まで戻ることができた。
戻りながら、もしかしたらちょっとしたパニックが起こっているかと少し懸念がよぎったが、
ほんの数日前に防災訓練を実施したことも多少は影響しているのか、
案外、皆落ち着いて自席でヘルメットをかぶって待機していたのが印象的だった。
その後、何度か大きな揺れが起こり、その度に通路沿いのキャビンが
鍵を掛けられているにもかかわらず、鍵をぶちやぶり勢いよく飛び出してくるもので、
通路沿いの席の人達は、下手に近づくこともできず、ただただ不安そうだった。
やがて、防災センターからアナウンスが流れ始め、
「エレベータ全機停止!」、「このまま指示を待て!」
「防災担当の社員はPDルームへ参集のこと」、etc...
と、訓練と同じ通りのことが淡々と繰り返された。
そのうちに、地震の情報が携帯や他の人の口から入り始め、
「どうやら三陸沖付近でM7.5程度の地震が起こったらしい。」
(※当初は、M7.0-7.5程度と言われていた、と記憶している。)
と聞き、阪神大震災のことが頭をよぎった。
白状すると、入ってくる情報も少なかったこともあり、
この時点では正直、かなり楽観的に考えていて、
「人口密度の違いから考えて、阪神大震災ほどの人的被害は生じないだろう。」
と心の中で勝手に嘯いていた。
断続的に続いていた大きな揺れがある程度収まり、
防災センターからも特に指示が下りなくなった為、
情報収集しにテレビのある休憩ルームに向かい、
画面の先の光景を観た時、先ほどの楽観的な雰囲気は一気に崩れ始めた。
目の前の光景は、大津波によって、なすすべもなく家屋やビニールハウス、車が
次々となぎ倒され飲み込まれていく姿。
その大津波の中から燃え広がる火の渦。
ニュースでそんな光景が繰り広げられていく姿を見ながら、
「自分は今いったい何をしているのだろう。」と奇妙で不気味な感覚に襲われた。
自分は多分、安全な?ところにいて、
東京ではないある地域で起こっている悲惨な現実をテレビのニュースを通じてただ傍観している。
大津波がこともなげに田畑や家屋を浸食していく姿が、
もう何年・何十年も前から続く自然の営みかと思われるような錯覚にも陥り、
ともすれば、何事も起こっていはいなかったのではないかとさえ誤認しそうになった。
結局、現場で起こっていることは現場に居合わせている当事者にしか
本当には実感できないのかもしれない。
そう考えていくと、ニュースを見るのにも何となく居心地が悪くなり、
休憩ルームから離れ、窓の外から通りを見下ろした。
すると、幾つかのビルや会社から退避指示が出たのか、
ヘルメットをかぶり外に出て緊急避難場所へ向かう人々の群れがどこまでも続いているのが見えた。
(※僕の勤務先では退避指示が出なかったが、それが正しいのか間違いなのかは分かりかねる。)
そうこうしているうちに揺れもいったんは収まり、
「取り合えず定時まで仕事をしてさっさと帰ろう。」ということになり、
定時まで仕事をしてさぁ帰ろうか、という頃になったところで、
再び防災センターより連絡が入り、
「現在、ほぼ全路線において運行見合わせ!」
「取り合えず、次の指示を待て」
という達しがきた。
この頃から少しヤバイかも、と思い始めていたが、
流石に今夜中には運行再開されるだろうとタカをくくっていた。
が、入ってくる情報はどれも悪いものばかりで、
「JR全線が本日の運休決定」に始まり、
どの路線・鉄道会社も「運休」、「運転見合わせ」の文字が並ぶだけだった。
夜8時半頃?から、何とか「運行再開」となった路線も運行区間は短く、
東京23区内を走るだけのものがほとんどで、いっこうに復旧の目処が立たない。
夜仕方なく、長期戦を覚悟して夕食を買いに階段で8Fから降りていき、
ようやくビルの外に出ると、地下連絡通路にも地上にも人で溢れ返っていた。
特に驚いたのがJR東京駅で、当日中の運休が決定したにもかかわらず、
あるいは、他に行く宛もない為か駅内に座り込む人や、
僕と同じように何とか当座の食料品を確保しようと構内を横切り歩き回る人々でごった返していた。
勤務先近くから東京駅にかけてのコンビニも早々に閉まっていった為、
結局、僕が手にすることができたのはチョコレートやおつまみ昆布くらいだった。
いつまで経っても帰宅の目処が立たず、時間だけが悪戯に過ぎていく。
たまに更新される「運行再開」路線情報も、23区内のみや、僕が帰る家とは反対方向のものばかり。
距離が距離だけに他の人みたいに歩いて帰るわけにも行かず、
同じように帰れない同僚と他愛もない話をしたり、黙々と本を読んだり、
時折、地震のニュースや運行情報を確認しながら、11時、12時…と時が刻まれていく。
その内、会社から帰宅難民向けに備蓄していた非常食が配られることとなり、
一人ペットボトル2本と水やお湯を入れるだけで食べられる簡易式のご飯やカンパンなどが与えられた。
僕はおこわご飯を食べたが、お湯を入れてしばらく待つだけで本当にご飯ができ、
しかも思った以上に味が美味しかったのは少し興奮した。
(※見た目が見た目だけに不評らしく食べず嫌い的に多くの人は食べようとはしていなかったが…)
その後も僕が使っている路線の運行状況が好転することはなく、
結局、日付が変更し、夜明けが訪れ明るくなり、朝9時半頃になって、
ついに自宅に帰るのをいったん諦め、どうにか運行を開始した路線を使用して
兄家族の家に一時的にご厄介になることにした。
(※土曜の朝だというのに満員でかなり難儀だったが…)
兄家族の家で姪っ子の相手をしながら更に待つこと数時間、
やっと運行が再開され始め、どうにかこうにか家に帰った時には、既に夜9時を超えていた。
【その後】
結局、月曜日は計画停電の影響で列車は終日運休となり、仕方なく自宅待機となった。
そして、今朝は何とか動くらしい、という情報をキャッチし、
始発に乗ったが、直ぐに乗客で一杯になり、朝5時台だというのに
列車に乗れない人が出るという摩訶不思議な出来事もあった。
(※地下鉄に乗り換えた途端、拍子抜けするほどすきまくって?いた為、
如何にあの路線がその沿線に住む人々の「生命線」となっていたのか
つくづく実感させられた。)
今朝は6時半に業務を開始し、15時半頃には退社した。
駅について家に帰る前に立ち寄ったスーパーやコンビニでまたまたびっくり!
普段は飽食の時代を象徴するかのように食料品で溢れ返っているこれら店舗から
ごっそりと食料品・生活必需品がなくなっていた。
昨日の時点でかなりなくなっており、既に怪しい予感は漂っていたのだが、
文字通り全くもぬけの殻のこの状況に何やら背筋が凍る思いがした。
先日より報道を通じて、「必要以上の物資を買占めしないように。」と
注意喚起が随分となされていたが、現実に生活する人々の心には全く響いていないようだ。
本当に恐ろしいのは、「物がなくなること自体」よりも
「物がなくなるかもしれない」という恐怖心の方である。
これについて誰かが誰かを責めることはできないと思う。
確かに、理屈では、「必要以上に買い占めるべきでない。」
「もっと被災者の方々に振り分けるべきだ。」ということは分かってはいても、
現実に襲ってくる恐怖心がそうした理屈をあっという間に押し流してしまう。
特に現状は、福島原発の相次ぐ爆発事故と稼動停止、それによる計画停電…
一見、地震の影響もさほど受けず十分に平和に見える関東圏でも
「いつ・何が起こるか分からない」という恐怖心。
表面的にはパニックが起こっていないこれら地域でも、
実際に住む住人に与えている心理的影響は計り知れないように思える。
…これが、僕が感じる東北大地震の余波と深刻な影響だ。
こんな時期に、どう理性を保ち、本当に苦しい方々に必要なだけの支援をしていけるか。
例え、それが計画停電への協力や食料品買い控えという間接的なものであるとしても、
どう自制心を保ち適切な行動をすべきなのか。
それが、今、僕ら一人ひとりに試されているのかもしれない。
【追記】
つい1ヶ月前に仙台を訪れたばかりで、
こんなことになってしまったことに本当に辛い思いがします。
幸いにも仙台に住む小父さん・小母さんは無事だったみたいで
それだけがせめてもの救いです。
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