From ROMA-KEN(古代ローマ史探求)

…歳を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。(Samuel Ullman, 'Youth'(「青春」より。)

ペトロニウスの鉄筆

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ペトロニウスの鉄筆が、今日も軽やかに動き出す。
すると、トリマルキオが何やら語り始める...

(注:ここでは、「トリマルキオの邸宅」とは違った観点から、そして、多少、小難しいお話をして行きたいと思います。「コラム」、「メモリア(記憶)」、etc...)
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We can !
(「俺たちなら出来る!やれば出来る!」…と言う心掛けを大事にしたい...)
 

 仕事の面白み・意義は

チームメンバー・パートナーと共同作業を行うことで一人では産み出すことのできない「価値を創造」すること

だと思う。

 ここ数日間の研修は「企業概論」(「企業とは組織とは何か?」)や「プロジェクトの進め方」に関するものばかりであったが、ほとんどはクラス内で更に細分化された各班毎でのディスカッションと共同作業が中心であった。
 この数日間の研修を受けながら感じたのが、上述した「チームの結束があってこそ新たな「価値を創造」すると言うことである。一つのプロジェクト(目的)に向かってチームが結束するためには、チームメンバー間がお互いに信頼し合い貢献をしようと積極的に動いていかなければならない。また、各プロジェクトの成果(目的)に対してチーム全体で「イメージの共有」ができている必要もある。そのために密な「コミュニケーション(意思疎通)」が常に行われている必要がある。

 僕らのチームではプロジェクトを円滑に進めるために導入で必ず「ブレーンストーミング」を行うことをチームメンバー共通の「約束事」とした。こうした「約束事」を作っておくことも大事なことだ。因みに「ブレーンストーミング」とは、

・既成概念を排除して自由な意見をどんどん出すこと
・どんな意見が出てきてもお互いの意見に対する批判や議論はしないこと
・意見・アイデアの質よりも、まず量を重視すること
・他の人から出た意見は大いにヒントにし、さらにたくさんの発展的な意見を出すこと

という具合になる。これを実践するとチーム内のコミュニケーションや結束が非常に高まる。

 「プレーンストーミング」を行う中で、与えられた課題(プロジェクト)の(本当の)「目的は何か?」をチーム内で共有しつつ次のステップへと向かう。
 実のところ、「ロジカルシンキング」についてはまだ研修を受けていないので、「WBS(Work Breakdown Structure)」と言う「ロジックツリー」の手法は十分に理解しきれていないが、講師からざっくりと受けた説明を通じて見よう見真似で何とかツリーを作成していく。
 その後、「プランニングチャート」(作業概要図)や役割分担を決めながらプロジェクトを進めていく。無論、各プロジェクトには制限時間が決まっているから、その与えられた時間内で「成果」を挙げなくてはならない。その為、チーム全体での「時間管理」とメンバー一人ひとりの「自己の時間管理」も重要となってくる。

 こうした模擬的な「プロジェクト研修」を受けて感じたことは、プロジェクトを進めるためには

・チーム内で成果物に対する「イメージの共有」ができていること
・チームメンバーの誰もがチームに「貢献」しようと自律的な行動ができること

が必要であると言うことである。その点について講師が仰られたことで印象に残っている言葉がある。

「チーム」とは決して「グループ」のことではない。「グループ」とは「1+1+1=3」と言う単なる総和に過ぎない。けれども、「チーム」とは「1+1+1」が「5」にも「10」にも「20」にもなると言うことだ。つまり、「チームの結束」は「総和以上の価値」を産み出すことである。従って、「チーム」内での作業とは、「Collaboration(コラボレーション)」のことに他ならない...

「Collaboration」は、「Co」と「labor」と「tion」の3つに分けることができる。「Co」とは「共同」のことであるが、「labor」には「働く」と「分娩」の2つの意味がある。つまり、「Collaboration」とは、

チームが一つの目的の下に「共同」で「働く」ことで、単なる総和以上の「付加価値」を「産み出す」こと

であると言えるかもしれない。


 今週の研修は本当に学ぶこと多く、まさに「エクセレント」な研修内容だったと思う。何れ、配属先が正式に決定した後も、この研修で学んだことを実践しつつ「チーム」に「貢献」しようとする姿勢だけは保持し続けていこうと思っている。

 …無論、初めのうちは、「小さいこと」(けれども「大きなこと」に繋がる!)からコツコツとね...


追伸

この数日間、久々に脳をフル活用したので、今日は流石にヘトヘトです(笑)

ついでに、冒頭の「We can!」は決して傲慢な意味ではないので…
あくまでポジティブシンキングで、如何なる困難に対しても
チームで結束して立ち向かおうと言う決意を込めているわけです(笑)
I am a marginal-man !


 「マージナルマン」と言う言葉がある。「境界人」と言う意味になるが、おそらくは寺島実朗氏の造語である。「マージナルマン」とは、先に挙げた寺島氏によれば、

…片足は自分が帰属する組織(企業)に置き、もう一方の足は組織外のさまざまな場(社会)に置く

存在である。

 けれども、この「マージナルマン」は、帰属する組織、そして社会のどちらに対しても腰掛な存在ではない、と言う。寧ろ、「組織」の中にあっては、

 …片方の軸足でしっかり組織の人間として立ち、組織の抱える問題や限界、悲しみからも逃げず正面から向き合う。帰属するなかで信頼され評価されるだけの仕事をきちんとこなす。…プロフェッショナルとして折り合いをつけること…

であり、一方の「社会」においては、

 …もう片方の軸足を組織から一歩離れた場所に置き、組織を離れても通用するような専門性を深める。そのために社外のネットワークを構築し、社会的にも評価されるような存在となるよう努める。…

ことである。

 また、「片足を組織の外に置くこと」は、

 …自分の帰属する組織を客観的にみることにも繋がる。その結果、組織の課題を発見したり独自の発想を持ち込むことになれば、組織に対してもプラスの役割を果たせることになる。

と言うことである。


 寺島氏が、この「マージナルマン」に託した想いは、

 …どちらにも甘えず、バランス感覚と緊張感を持って境界に立つ存在…

として、自己の人生を充実させたい、と言うことかもしれない。


 ところで、僕がこの「マージナルマン」と言う言葉を知ったのは、修士修了前に大学図書館で戯れに、幾つかの雑誌を捲っていた時である。その時、『プレジデント』の中に、寺島氏のコラム「「混迷の時代に輝く人」の4つの共通点」があり、混迷を生き抜いた歴史的な人々に共通した第4番目のキーワードとして「マージナルマン」が挙げられていたのである。
 この「マージナルマン」の言葉とそこに託された想いに触れた時、丁度、僕自身、入社をいよいよ目の前に控えていたからであろうか、「マージナルマン」としての生き方を実践することで、僕自身の人生をフルに充実させてもよいのではないだろうか、とふと思った。

 目下、僕は3ヶ月間の研修中の身である。あの日、大学図書館で書きなぐった、「マージナルマン」についてのメモを何度も何度も読み返しながら、人生の道程を模索しているところである。研修を通じて、己が所属する組織に対する「誇り」と「帰属意識」はますます高まっていくが、その一方で、何処か、単なる「組織人」のみで一生を終えたくない、と言う想いもますます沸々と湧き上がってくるのも事実である。
 元々、僕は、「組織」と言う言葉が大嫌いであった。学校は本当に苦手で、会社に対してもいつもネガティブなイメージばかり抱いていた。それは、多分、当時、僕の父の背中越しに見える「組織人」としての生き方の重要性を十分に理解していなかったからだと思うが...
 そんな僕が、ある経験から、組織において「貢献」することの面白みに触れ、「貢献」を目指すことで自己の成長が実感できることを知り、敢えて「組織人」として生きることに目覚め(と言えば、気障な言い方になるが…)、結果として今の会社に入ることとなった。

 「組織人」としての生き方。それはそれで面白いと思う。確かにこれから先、ますます忙しくなり、肩に圧し掛かってくる「責任」もますます重みを増してゆくと思われるし、是非ともそうなっていかねばならないのだが、一方で、「組織人」として「のみ」の生き方には相も変わらず、疑問を抱いている。
 「組織人」としての生き方は、ある意味で楽な生き方である。けれども、己の目が「組織」にしか向けられていないのであれば、何れ、「組織」の中に埋没し、緊張感も向上心もない安楽だが退屈なだけの日々に引き込まれてしまうだろう。そこには情熱も熱い志もない。何よりも、そうした「組織」に埋没しただけの生き方を続けていると、何れ、信頼していた筈の「組織」そのものからポンポンと「肩たたき」にあうかもしれない。「…君、もう結構だよ。」と...

 「組織人」としての生き方も全うしつつ、単なる「組織人」のみではない生き方の追求。そこで、重要となってくるのが、寺島氏の言う、「もう片方の軸足を組織の外に置き」、「その軸足を通じて、組織を客観的に見る姿勢」である。「マージナルマン」としての生き方とは、「自己」や「組織」のあり方を振り返る「心の立ち位置」を定めた生き方でもある。
 埋没していては気がつかない間に、己の信念を見失っているかもしれない。あるいは、信頼していた筈の「組織」が自浄能力を失い、内部から崩壊し始めるのにも気がつかないようになってしまうかもしれない。「自己」や「組織」がそうならないよう常に「監視」する「心の立ち位置」(*"principle")を定めた生き方を貫く者、それが、僕にとっての「マージナルマン」である。


 「マージナルマン」としての生き方。僕自身はこれから何度も繰り返し、自らに問い続けていこうと思う。

「君の心の立ち位置は今、何処にあるんだい?」

と...



以上。


参考文献
・寺島実朗 「「混迷の時代に輝く人」の4つの共通点」(『プレジデント』(2008.6.16))
Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes 
Five hundred twenty-five thousand moments so dear
Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes 
How do you measure, measure a year?

In daylights, in sunsets
In midnights, in cups of coffee
...
In five hundred twenty-five thousand six hundred minutes 
How do you measure, a year in the life ?

How about love ?
How about love ?
How about love ?
Measure in love

Seasons of love
Seasons of love
...


(* Seasons of love, in "RENT"  より。)


 少し遡るが、ある日、よく訪れるある人のブログを覗いていたら、映画『RENT』の感想を述べていた。その感想が、すごくシンプルなのだけれども、かえって、"No day but TODAY !"(*今を生きる!)と言う作品に託されたメッセージが、ぐっと心に響いてきて、この『RENT』と言う映画を急に観たくなった。


 この映画は、元々は、「ジョナサン・ラーソンが作詞・作曲・脚本を担当し、ほぼ独力で書き上げたミュージカル(*Wikipediaより。)」なのだが、完成までに数年もの月日を要し、他のスタッフとの間で多くの激しいぶつかり合いの中で形になって行き、そしてまた、ジョナサン・ラーソン自身が、開幕を目前にしたプレビュー公演初日の1996年1月25日未明、病によって急逝したと言う壮絶かつ悲劇的な一幕もあって、開演当初から多くの人々に絶賛され、「レントヘッド」と言う熱狂的なファンまで生み出したと言う非常にインパクトの深い作品である。


 以下は、wikipediaに掲載されているミュージカル『RENT』の作品概要である。


 1989年12月24日からちょうど一年間のニューヨークのイーストヴィレッジが舞台。元ロックミュージシャンのロジャーと、ルームメイトで自称映像作家のマークは、スクウォッターハウス化した倉庫ビルでボヘミアン的な日々を送っているが、ビルのオーナーのベニーから滞納している家賃 (レント) を払うか退去するよう求められる。

 彼らを中心に、ゴーゴーダンサーのミミ、大学講師でハッカーのコリンズ、ストリートドラマーでドラァグクイーンのエンジェル、アングラパフォーマーのモーリーン、ハーバード大卒エリート弁護士のジョアンらが、貧困と病魔に苛まれる日々の生活の中にも愛と生きることの喜びを見いだしていく。彼らの中にはゲイやレズビアン、ヘロイン中毒、そしてHIV陽性の者もおり、こうした登場人物たちによって、1980年代終わりのニューヨークの世相と、今では失われた「ボヘミアン イーストヴィレッジ」の世界が鮮やかに描かれていく。


(*レント (ミュージカル) in Wikipdia, 「ストーリー」より。)


 この作品概要を俯瞰しても分かるように、現代アメリカが抱える相当に複雑な社会問題、あるいは、その中でも、今を生きようとするたくましい世相を見事に反映しているように思える。


愛は、あるいは、生は、ただ何もかも満たされているだけでは、それが如何に素晴らしいものかは気付くことはできないだろう。愛は、あるいは、生は、限りあるものであるから、そして得がたいものであるからこそ、それが如何に素晴らしいものであるのかが分かるのだ!だから、今を生きよう!昨日でもなく、明日でもなく、今を生きよう!

 こう言うメッセージが聴こえてきそうである...


 ところで、この『RENT』、映画版では、主要登場人物8名となっているらしいが、内容、構成共にほぼ原作をカメラ内で忠実に再現したものであると言う。主人公達が歌う歌も、そしてその順番も、ほぼ全て原作の通りとなっているが、一曲だけ例外がある。それが、ブログの冒頭で抜粋引用した歌"Seasons of love"である。
 この歌、原作のミュージカルでは、26曲目に初めて登場し、出演者全員で歌うと言うものだが、映画版では、冒頭にいきなりもってきて、しかも、主演8人のみで、横に並んで歌う形式となっている。

 僕が拝読した、映画『RENT』を紹介したブログの書き手によると、この形式は、「ジョナサン・ラーソンの突然の訃報を受け、プレビュー初日のみ、通常の公演ではなく、舞台に椅子を並べる形で幕を開け、キャストは歌い紡いでいった」と言う件をある程度、再現したものだと言う。そのエピソードを知っただけに、この冒頭の歌は、いっそう感慨深く、深く深く心を打つものがある。


 なお、この'Seasons of love'の歌を大雑把に訳すと、以下のようになるだろう。


1年は、525600分。
この525600分をどうやって数えようか?
この1年をどうやって数えようか?

昼の光の数で?それとも、朝日の数で?
真夜中の数で?あるいは、飲んだコーヒーの数で?
…
1年は525600分。
人生の中で、この1年をどうやって数えようか?

愛でってのはどう?
愛でってのはどう?
愛でってのはどう?
そうだ、愛で数えよう!

1年は愛の日々。
いつでも愛の日々。
…

(*訳: トリマルキオ。)


愛を高らかに謳おう!そして、愛と共に生きよう!
僕等の生は限られているのだから、せめて、愛と共に生きよう!
そして、愛を高らかに謳おう!


 一見すると、どこまでも、ポジティブ・シンキングなこの歌、そして、数々の笑いで満たされているこの『RENT』と言う作品の背景には、実は、深刻な社会問題、エスニック・マイノリティやセクシャル・マイノリティ、そして、ドラッグやエイズと言った様々な要素が複雑に入り組んでいることに気付かされる時、この笑いや喜び、あるいは光に満ちた作品が内包する深い悲しみや、やるせない想い、生を生きることの難しさ、「ノーマル」であることを押し付ける社会の不合理と不条理(*しかし、「ノーマル」とは何だ?)...その中で、本当の自分の人生、自分に正直な人生を生きようとする人々の「生き様」に共感できる部分や、教えられることもあるのではないかと思う。


 人生とは、本来、平凡なものであろう。どんなきらびやかな人生を生きているように見えても、実際には、日々に忙殺されて、いつしか機械のように生きている自分に気付かされることがある。人生そのものは何も華やかなものはないのである。だから、人生をどう輝かせるかは、結局は、一人ひとりの「生き様」にかかってくる。如何なる人の人生であれ、その人次第で、人生をドラマに変えることもできる。瞬間瞬間を生きることで、どんな人の人生もその人だけの色で彩ることもできる。

 
だから、今を生きよう!世間に負けることなく、自分の限りある生を生きよう!
そして、どうせ生きるのならば、できれば、愛と共に生きよう!


No day but TODAY !


 これが、『RENT』と言う作品にこめられたメッセージだと思う...



追伸


この『RENT』と言う作品を紹介してくれたある人に感謝を!
また、一つ大切なことを知ることもできた...
 …Nobody grows old merely by a number of years.  
  We grow old by deserting our ideals.

 …歳を重ねただけでは人は老いない。
  理想を失うとき初めて老いる。

(Samuel Ullman, 'Youth'(「青春」より。)


 ここ最近は、暇な時間は読書を重点的に行っている。ジャンルは、どちらかと言えば、ビジネス関連のものや伝記に関するものが多い。

 最近読んだ書籍の中で特に印象深いものがあった。

ジョン・P・コッター教授の『幸之助論』(ダイヤモンド社)である。


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ジョン・P・コッター『幸之助論』(ダイヤモンド社、2008年。)


 HBSのコッター教授による「経営の神様」松下幸之助の生涯から観る「リーダーシップ論」だが、松下翁の伝記的な意味合いも強く、随所に心を熱くさせるエピソードも盛り込まれている。

 コッター教授による松下翁の分析から見える人物像は、一言で言えば、「理想高き凡人」と言うことではないかと思う。

 松下翁を「凡人」と言ってしまうと、「ふざけるな!」とお叱りを受けるかもしれないが、個人的には「凡人」であるが故に、松下翁を「リーダーシップの模範」、いや、それ以上に「人生のロールモデル」としての意義があるのではないかと思う。

 実際、松下翁(1894-1989)は人並みはずれた理系的な脳の持ち主であったわけではない。若い頃は病弱で、度々病の床に臥すこともあったと言う。
 実家は慎ましい地主の家系ではあったものの、父の新規事業の失敗により、幼少期より極貧生活に追い遣られていった。結果として、彼は9歳に大阪の小さな商店に丁稚奉公することとなった。

 16歳からは丁稚奉公先に暇をもらい、小さな電燈会社の見習い工となるが、2年後に働きながら通った高校夜学部では、成績が満足に振るわず、結局、卒業証書を断念し中退したと言う。

 電燈会社ではそこそこ出世をしていたが、22歳になると、自分で改良した電灯「ソケット」の採用を巡り、上司と口論となり、結局、自分から辞表を提出する形で独り立ちすることとなった。

 …それが、現在の某大手電機メーカー(*横文字に社名変更した。)の始まりである。


 この企業(*尤も、設立当初は超弱小企業であった。)の設立以降、松下翁は自らの子とも言える企業、そして彼を慕う従業員と共に何度も困難に直面しながらも、松下翁の優れた経営手腕によって成長を続けてゆく。

 実際、1929年、ウォール街より始まった「世界恐慌」の最中にあって、その荒波に呑み込まれることなく、寧ろ積極的な攻めの姿勢に出て、事業規模を拡大し、新規事業へ参入していったことは注目に値する。
 無論、「世界恐慌」の発生当初は、既に300人程度の従業員を抱えていたこの企業も、売上が半分以下にまで落ち込み、尚且つ倉庫には在庫で溢れ返っていたと言う。
(*通常なら、遅くとも1,2年以内に確実に経営破綻してしまうところだろう。)

 この時、多くの企業では大幅な従業員解雇を余儀なくされていたが、松下翁のとった行動はまるで逆の発想で、当時としては非常にドラスティックなものであった。

 彼が経営陣に発した実に興味深い命令が残されており、『幸之助論』の中で紹介されている。

 …今から生産を半分に切り詰めるんだ。しかし一人も解雇してはならない。労働者を解雇して支出を減らすのではなく、工場での労働時間を半日にして減らすんだ。そして今と同じ賃金を払うが、休日はいっさいなくすことにしよう。従業員には全員で力を合わせて在庫を売ってもらおうではないか。

(『幸之助論』、108頁。)

 コッター教授は、松下翁のこの方針を、戦後日本における「終身雇用」の先駆けとして評価しているが、現在の雇用問題を考える上でも再評価されて良いのではないだろうか(…と個人的には思う所もある)。


 あまり延々と書いていっても仕方がないので、『幸之助論』に沿った松下翁の伝記はこれまでにさせて頂くが、個人的にこの『幸之助論』から得た教訓を挙げてみたい。

 既に挙げたように、松下幸之助と言う人物は「理想高き凡人」である、と言う点である。実際、当時の松下翁をよく知る義弟(周知の通り、この義弟自身も、優れた経営者として名を馳せる。)では、次のようなことを述べているほどである。

 …若い頃の松下が傑出した人物だとか、非常に才能のある男だとか思ったことはない。ただ働く熱意だけは人並み外れていた。

 松下翁が、人並みはずれた頭脳の持ち主でもなく、あるいは、富裕層や社会的エリート層の出自でもなく、寧ろ、幼少期には困窮した生活を余儀なくされ、青少年期を通じて苦労し続けた、と言う事実。そこから這い上がる為の地道な努力、如何なる時でも奢ることなく「人」(*従業員、顧客。)を大切にすることを忘れない経営方針。(*例えば、上述の「従業員を大切にする雇用方針」や、あるいは、「顧客満足度を第一に考えた営業活動」。)
 何よりも、経営者として成功し始めた頃に、自ら掲げた「理想」に対して真摯に向き合い、成長することを決して止めようとしなかった向上心は、個人的に強く印象に残った。

 総じて言えば、松下翁は、若い頃は貧困から脱却する為、経営者としての自覚が芽生えてからは理想を追求する為、ただ人並み以上の熱い熱意を持って、「変化」することを恐れることなく、絶えざる努力をし続けてきただけなのである。
(*無論、この成長志向を維持し続けること自体が並大抵のことではないが...)
 松下翁には出自においても「利点」があったわけではない。寧ろ、貧困と言う大きなハンデを背負っていたほどである。例えば開発者や技術者として傑出した才能を持ち合わせていたわけでもない。だからこそ、松下翁の経営者としての成功の物語は注目に値するのではないか。

 
 我々は、つい社会環境を理由に、自己の能力を高める努力を放棄する癖がある。けれども、『幸之助論』を通じて松下翁の一生を追っていく時、人の一生は生まれた時から決まっているわけではないことに改めて気付かされる。自ら「変化」を求める姿勢、あるいは、「変化」の中で適応していく姿勢。その姿勢を保ち続ける限り、人は変われるのかもしれない。

 コッター教授は、『幸之助論』を締め括るに当たり、以下のような興味深い指摘をしている。

 …家柄が良いとか、東京大学出身(あるいはハーバードでもオックスフォードでもいい)であることはすばらしいことだが、それはなんら本質的なことではない。これと同じことは抜群の知性、優れた容姿、豊かな個性についても当てはまる。この種の要素より重要なことは、信念と、それを支える理想なのだ。
 彼(松下翁)は繰り返し人々に説いた。謙虚で素直な心があれば、人はどんな経験からも、どんな年齢でも学べると。人道的な大きな理想を抱けば、成功も失敗も克服し、そのどちらからも学び、成長し続けることができると。…

(『幸之助論』、278−279頁。)

 コッター教授の『幸之助論』は、「経営の神様」松下翁を決して「神格化」することなく、誰にでも「模倣可能」な「経営者のモデル」、すなわち「凡人」として論じている。
(*尤も、コッター教授自身は、本書の中で決して松下翁を「凡人」などと述べてはいないが...)
 凡人が天才を模倣することは出来ないが、凡人が「凡人」を模倣することは出来る。松下翁に見る「リーダーシップ」は、まさにその例証である、と言うことなのだろう。


 ところで、少し話が逸れるが、「凡人」であることと自認することは、二つの意味で重要だと思う。

1)自分は「凡人」であると自覚することで奢らない謙虚な姿勢を保ち続けること。
2)「凡人」であるが故に、自分は学び続けねばならないのだと問い続けること。

 僕個人の「松下幸之助」に対する評価は、「理想高き凡人」であると言うことである。それは、松下翁を不当に貶めることではなく、言わば、今後、自分が社会の中で成長していく為の「ロールモデル」として見做すのに最適な「師」である、と言う想いを篭めているからである。
 コッター教授の『幸之助論』は、「リーダーシップ論」として書き下ろされたものであるが、個人的には、寧ろ、「松下幸之助」と言う「人生の師」を発見した点で非常に貴重であった。


 最後に、詩人サミュエル・ウルマンの「青春」の詩句を改めて引用してみたいと思う。尚、松下翁は、この詩を非常に好んでいたと言う。


 …歳を重ねただけでは人は老いない。
  理想を失うとき初めて老いる。



以上。



追記

 文章としてはまとまりがないが、何れ、改めて書き直したいと思う。 
'Aqui'

Me vine aqui a contar las campanas
que viven en el mar,
que suenan en el mar,
dentro del mar.

Por eso vivo aqui.


(邦訳)

   「ここに」


僕はここにやって来た、鐘を数える為、
海に生きる鐘、
海で鳴り響く鐘、
海の中の鐘を。

これゆえ、僕はここで生きているのだ。


Pablo Neruda, in "El mar y las campanas"
訳:トリマルキオ


 詩人パブロ・ネルーダを知っている人、あるいは、何らかの形でその名を耳にした人は多いことだろう。20世紀にチリが生んだ至高の詩人である。そして、sinistra(*1)でもある。スペインの詩人ロルカなどとも親交があり、亡命生活を余儀なくされた経験も有する。その為、彼の詩には、しばしば深い苦悩が表れる一方、世界に絶望することなく、友情や愛を強く信じ続け、そして謳い続けた。その最期は、世界を信じ続けた彼にとっては、あまりにも苛酷なものとなってしまったけれども...

 この詩人については、イタリア映画でフィクショナルな題材(*2)として取り上げられたこともあるので、もし、まだ観たことのない方がいれば、一度、ご覧になるのも良いかもしれない。


イメージ 1

『イル・ポスティーノ』のDVDジャケ


 この映画は、ナポリにも近いプローチダ島と言う小さく長閑な島であり、カプリ島やイスキア島とともに、風光明媚な島として知られる場所を舞台に撮影された物語である。プローチダ島の丘からの眺めや浜辺の美しさ、と言った景観美を愉しむことができると共に、南伊が恒常的に抱える貧困と、その中でも逞しくヴィータを生き続ける人々と、亡命詩人との暖かく、そしてラストへと向かう甘酸っぱく、少し物悲しい交流と人間模様を描いたストーリー性、更に、主人公役だった俳優の撮影後間もなくの病死、と言う何とも言いがたいエピソードも相俟って、多くの人を感動させてくれる映画とも言えるだろう。


 話を本題に戻す。


 ネルーダの詩は、決して世界に絶望することなく、友情や愛、そして、生きることを強く訴えた力強く、また勇気付けられるものも多い。詩人の軽妙な「メタファー」もあって、その詩は、美しく、そして、それ故、読み手の心を揺り動かさないではいられない不思議な「力」がある。

 ところで、詩が、真に人の心を揺り動かすのは、「怒り」を歌う時である、と言う表現を文学評論家の加藤周一氏が用いていたのを思い出す。フランスの抵抗詩人達、ルイ・アラゴンやポール・エリュアールが、単なるシュールレアリストとしてではなく、真の意味で、フランス国民の希望の星、絶望の中の一筋の光となり、レジスタンス活動の賛歌となり得たのは、彼等の詩に、「怒れるフランス人」を見出し得たからだと...(*3)
 その意味で言えば、おそらくネルーダの詩にも、チリ国民を、そして、世界をも(*4)揺り動かす「怒り」が存在していたとも言えるのかもしれない。
 とは言え、詩とは「メタファー(*隠喩)」の世界でもある。そして、メタファーは受け手の時々の情況によって、如何様にも再解釈され得るものであるし、しばしば詩人もそう願う(*必ずしも、ではないが...)。

 ネルーダの詩には、mar(*「海」)と、campanas(*「鐘」)と言う「メタファー」がしばしば現われてくる。無論、この2つの用語は、「メタファー」であると同時に、実在そのものでもあろうが。
 詩人が、「鐘」と言ったり、「鐘の音」と言う時、それは、「悲しみ」のことであり、「喜び」のことである。あるいは、「人」であり、その人の「人生」のことである場合もあるだろう。

 だから、

鐘を数える為、僕はここにやって来た。

と言う時、それは、「僕は人々の悲しみを知る為に、今、生きている。」と解釈することもできるかもしれない。あるいは、その鐘は、「僕は今、こんなに幸福を味わっているんだ。」と言うことを意味することもあるかもしれない。

 詩人が、「海」と言う時、それは、「世界」のことを意味するかもしれない。そして、それは、人間が住む「大地」との「対立項」で捉えられた、もう一つの「世界」を意味しているのかもしれない。もし、「大地」が、戦乱や圧制の恐怖で満ち満ちているのであれば、詩人にとって、「海」は、そうしたこの世の苦しみを一切拒否する「自由な世界」を意味するかもしれない。あるいは、「海」は万人を拒むことなく「ただ」受け入れるものでもあり(*5)、また、正反対に、人知の及び得ない、全てを拒む「超然とした世界」そのものを意味することもあるかもしれない。

 何れにせよ、詩は、詩人のものであると同時に、読み手のものでもある。詩によって生命を吹き込まれた「メタファー」は、読み手一人ひとりのその時々の情況によって、何度もこだまを返すだろう。その時、「メタファー」は、文字通り、「言葉」そのものとなる。つまり、読み手一人ひとりの日々の生活になくてはならない「生きる糧」とも「生きる希望」ともなるのだろう...


'Inicial'

Hora por hora no es el dia,
es dolor por dolor :
el tiempo no se arruga,
no se gasta :
mar, dce el mar,
sin tregua,
tierra, dice la tierra :
el hombre espera.
Y solo
su campana
alli esta entre las otras
guardando en su vacio
un silencio implacable
que se repartira cuando levante
su lengua de metal ola tras ola.

De tantas cosas que tuve,
andando de rodillas por el mundo,
aqui, desundo,
no tengo mas que el duro mediodia
del mar, y una campana.

Me dan ellos su voz para sufrir
y su advertencia para detenerme.

Esto sucede para todo el mundo :

continua el espacio.

Y vive el mar.

Existen las campanas.


(邦訳)

   「序文」



一時一時が、一日なのではない。
一日とは、悲しみに次ぐ悲しみなのだ。
時は、しわくちゃとはならず、
擦り切れたりなどしない。
海は海と言う、間断なく。
大地は、大地と言う。
人が待っている。
ただ、鐘が
そこかしこにある、
虚しさの最中、
沈黙を押し留める術はなく、
広がっていくだろう、波が、波が、
金属の言葉を生み出すなら直ぐにでも。

世界の中、跪きながらも、
多くのものを持っていた僕が、
ここでは、裸一つであり、
僕は何も持ち合わせてはいない、
海の苛酷な正午と、鐘以外には。

それらの声は僕に苦しみを与え、
それらの警告が僕に止まれ、と言う。

これは全ての者に起っていることなのだ。

その領域はますます広がってゆく。

生きているのは海だ。

息づいているのは鐘だ。


Pablo Neruda, in "El mar y las campanas"
訳:トリマルキオ(*駄訳...)


 時は、意味もなく過ぎ去ったりはしない。それは、常に、悲しみに彩られている。人はその生の中、なす術もなく、茫然自失としながら、ただ待ち侘びるのである、海から響き渡る鐘の音を!鐘は、やがて、全ての者に高らかに響き渡り始めるだろう!悲しみにあっても、なお、「生きよ!」と警告するだろう!

 詩人にとって、「海」の中で鳴り響く「鐘」は、「生」への希求、渇望に他ならない。そして、同時に、「希望」でもある。世界は悲しい。何故なら、彼の生きている時代、あまりにも多くの戦乱や圧制が、彼の周りの世界に吹き荒れていたから。だが、それでも、人は、生き続けなければならない。鐘の音を、響かせ続けなければならない!それが、「生きる」ことであり、「生きる」意味そのものだから。


 パブロ・ネルーダ!

 貴方もまた、いつまでも歌い継がれる「大いなる感動」の詩人なのだろう...


Muchas gracias, y hasta la vista !


追伸


詩集"El mar y las campanas"(*『海と鐘』)の最後の詩'Final'は、
最愛の婦人マチルデに捧げられた詩である。

「マチルデ、…僕はこんなにも美しい日々を生きてきたのだ、君が生きてきたその日々を!」


詩人の最期は、信じ続けたものが踏みにじられた、あまりにも無残な結末だったと言う。
再び、チリで独裁政権が息を吹き返し、詩人の願い続けた未来は、詩人と共に息絶えた、と言う...



*1:ちなみに、僕はそんなことはないので!無論、destraでもないが...
*2:ネルーダが一時期、イタリアに滞在していたのは事実であるが...
*3:加藤周一 エッセイ「途絶えざる歌」より。
*4:と言うのも、彼は、ノーベル文学賞を受賞してるから!
*5:by アルベール・カミュ

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