さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

幕末の外国人

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幕府の巻き返しに賭けたフランス公使・レオン・ロッシュ(1809〜1901)

オールコックとパークスの両公使により日本外交の大勢は大きくイギリスに依存しつつあった。
しかしイギリスを最大のライバルとするフランスのナポレオン三世は市場拡大を図る為、何として
も日本との貿易を勝ち取りたかった。

そこで抜擢し送り込んだのが、公使・レオン・ロッシュである。ロッシュは情報を集め、イギリス
は新勢力としての薩摩、長州に肩入れしていたので、主導権を奪う方策としては幕府に肩入れして
幕府の軍事力を強化することに勝機を見出す。当然のことながら、英仏の対立は一層エスカレート
していく。

かくして薩長に接近しようとするイギリスを公然と非難・中傷して日本の主権者は幕府であること
を明確にしてフランスの立場を築き始めた。イギリスはますます薩長に肩入れする。

ロッシュは幕府に対し気前よく援助を申し入れた。カノン砲16門を原価で提供、武器製造のため
に横須賀に製鉄所さらに造船所建設(写真)には本国から技師を呼び指導に当たる。次第に幕府内
には勘定奉行・小栗忠順など親仏派グループも生まれてきた。

しかし、第2次征長ではイギリスのグラバーから大量の武器を買い付けた長州が幕府軍を破った。
その後、将軍・家茂は急死、慶喜が将軍に就く。慶喜はロッシュを幕府の軍事顧問として軍制改革
に着手、フランスから呼んだ18名の軍事教官のもとに激しい軍事訓練を行った。

慶喜自身もフランスを後ろ盾にした幕政改革をすすめ、幕府の新生に賭けたのでみるみる改革の
成果が現れてきた。

しかし、熱海で静養中のロッシュに届いたニュースは将軍の「大政奉還」であった。

ロッシュも慶喜もこれは体制立て直しの手段と捉えていたが、薩長と王政復古を唱える公家達の
エネルギーはこのチャンスを逃さず、一気に新天皇による大号令にまでクーデターを成立させた。

ロッシュは最後まで諦めることはなかったが、ついに本国フランスはロッシュと幕府に見切りをつけ、新政府に加担する道を選んだ。ロッシュの外交官としての生命は尽きた。

ライバル関係を表すのは「火沢睽(けい)」の卦。睽はそむく、いがみ合うという意味であるが「睽は小事に吉」何か小さなことに相手の良さを見つけることが大切である。人と人とが和合しないのは多くは誤解から生じている。近く相接して充分に話し合えばたいていは和合できるのである。

パークスがいなければ明治維新はなかった。

ロッシュがいなければ横須賀造船所という国家的事業は成し得なかった。

勝れた外交官の足跡は偉大なものである。

閉じる コメント(8)

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ルーター故障のため来れませんでした。明治維新時代の英・仏からの外交官がいなければ、文明開化もなかったかもしれないのですね。なんだか大きな歴史の流れを感じます。

2007/10/10(水) 午後 10:13 [ tokiwaokina ]

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tokiwaokinaさん、有り難うございます。
現在の外交を論じるのは難しいのですが、150年前の外交は結果が出ていますので良く理解出来ますね。こうして見ると幕末維新の時代は危機一髪のところで、封建から近代へ変身を果たしたことが解かります。それにしても日本人のいざという時のパワーはたいしたものですね。(猶興)

2007/10/11(木) 午前 9:55 kan*u*uuk*u

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当時の外国人から見た維新の小説とかがあったら面白い視点で書けそうな気がしますね。

2007/10/14(日) 午後 1:03 しん 信

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信さん、有り難うございます。
私も読んだことはありませんが、そんな小説があったら面白そうですね。アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」は読みたいと思っています。(猶興)

2007/10/14(日) 午後 4:18 kan*u*uuk*u

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フランスが援助を続けていたらそして慶喜が頑張ったら朝鮮のように南北に分かれたかもしれませんね。それから私は大政奉還と王政復古の違いがよく分かっていません。

2008/5/11(日) 午前 6:47 三郎

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SABUROさん、有り難うございます。
フランスが出遅れたということもありますが、それより感心するのはイギリスの状況判断の的確さです。わずかな時間に幕府の力、薩摩藩や長州藩の力を見抜いて今後日本がどう変わるかを見抜いていたようです。その外交力のすごさには驚くばかりです。
大政奉還と王政復古の違いについては、私も細かくは知りませんが大政とはその国の統治権と考えその大政は幕府に委任されていた。その大政を奉還をすれば、統治権は朝廷のものとなり、国の支配はもとの朝廷のものとなる。名実ともに天皇の支配にもどすことを王政復古というのではないでしょうか。(猶興)

2008/5/11(日) 午後 7:24 kan*u*uuk*u

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解説ありがとうございます。つまり大政奉還は即ち王政復古になりますよね。慶喜は単にそこまで考えてなかったのでしょうかね。慶喜君の人生も興味あります。

2008/5/12(月) 午前 7:55 三郎

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SABUROさん、有り難うございます。
慶喜は大政奉還しても幕府、領地、領民、城、などは返す心算はなかったようです。甘かったとしか、言いようがありません。慶喜については後でまとめて「幕末の将軍」として記事にする予定です。(猶興)

2008/5/12(月) 午前 10:52 kan*u*uuk*u


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