さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

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日本の近代化に多大の足跡を残して永久追放されたシーボルトには娘がいた。

シーボルトと遊女・楠本滝との間にイネは生まれた。両親の限りない愛を受けて育った
イネだったが、不幸なことに2歳7ヶ月の時、シーボルト事件が起こり、父は国外に永
久追放となる。最愛の親子は離れ離れとなる。

父は最も信頼する弟子の二宮敬作に娘の将来を多額の教育費とともに託した。イネは再
婚した母のもとで暮らしたが、父の血を引いたせいか、混血の身では並みの結婚は望め
ないと考えたものか学問に情熱を抱く少女であった。

14歳の時、伊予宇和島藩主に仕える医師・二宮敬作の勧めに従い敬作のもとで医学を
学ぶ。18歳の時、敬作はイネには産科の道が相応しいと考え同じシーボルト門下であ
る備前岡山の石井宗謙に預けることにした。

6年間、医術の修得に励むイネであったが、こともあろうに宗謙は暴力でイネを犯した。
傷心のイネは長崎に帰るが、そこで自分の妊娠を知ることになり、娘・高子を生んだ。

敬作は再び、宇和島に呼び寄せ、助手として手伝わせことになる。そのとき、藩主に招
かれ蘭学教授をしていた大村益次郎と知り合い蘭学を学ぶとともに二人は愛し合い一時
同居もする。(益次郎は倒幕に活躍した戦術家であり、後に大阪で刺客に襲われ、重傷
を負った時、死を看取ったのはイネである。)

ペリー来航後、幕府は開国しシーボルトの入国が許されると、日本への思い絶ち難いシ
ーボルトは14歳の息子を連れて30年ぶりに来日した。敬作とともに長崎に帰郷して
いたイネは思いもかけず、母ともども父との再会を果たす。イネ32歳の時である。

シーボルトの世話でオランダ海軍軍医らの指導を受けることができた。3年後、シーボ
ルトは息子のアレクサンダーを残して長崎を去り、71才で、ドイツで病死する。
母・滝も世を去り、父親代わりの敬作もシーボルトが日本を去った年に他界した。
 
明治3年、東京築地で、女医としては日本初の産科医を開業した。その後、一時長崎に
戻るが再び上京し、高子とその家族と住む。
 
明治36年(1903)、77才の生涯を閉じるが、幕末から明治にかけての動乱の中、
「混血児」という不利な境遇を乗り越え、未婚の母という重荷を背負いながらもイネの
一生は、偉大な父シーボルトの名に恥じないものであった。

イネが医師への志を立てて以来、苦節20年は掛かかったであろうか。挫折しかかったこともあったであろう。「水沢節」の卦。節を守ってこそ真の幸福がある。「節」は悦んで危難を受け入れ、自己の立場を守って節度を保ち、中正な行いによって発展していく。

晩年のイネは娘の高子とともに、琴や三味線を楽しんだという。

いい人生を送った、いい女が明治の東京に居たということです。(画像・左イネ、右高子)

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明治時代の混血児ですから、今のように「ハーフ」といわれて羨ましがられることは皆無でしょう。その中で、自分を見失わず、自己実現できたイネも偉大です。
1年間、たくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございました!

2007/12/28(金) 午後 11:44 [ tokiwaokina ]

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シーボルトが遊女と遊んで遊女の楠本滝を愛し子を作ったのは知っていましたが、その子も結局は学業に専念するも(母親の職業のせいか
舐められたんか??)イネさん犯されたんですね。女性にとっては一生の心の傷になったはずですよ。そんな出来事で出来た子を産むのも辛かったと思います。育てても複雑な思いも時折あったかと。男性は考えなしだけど、女性はこんなに涙をこらえて人生生きて苦労したんだなと胸が痛くなりますね。

2007/12/29(土) 午後 9:50 おかみ

はじめまして。
12/29〜31日 大村益次郎の足跡をたどって
大阪・京都を探訪しました。
ちなみに私は長州人です。

2008/1/1(火) 午後 10:28 長州人のんた

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tokiwaokina さん、有り難うございます。
その通りです。今では「ハーフ」と呼ばれて格好いいと言われるかも知れませんが幕末明治の時代では奇異な目で見られるだけで世間の理解など無かったでしょう。助けてくれるのは自分の意思だけです。強く無ければ生きられませんよね。(猶興)

2008/1/2(水) 午後 0:12 kan*u*uuk*u

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おかみさん、有り難うございます。
それでなくとも一人立ちして生きていくのは並大抵ではないのに、石井宗謙はひどい男ですね。恩義ある先生の娘でもあるのに「何と言う恩知らず」とも思います。その後のイネには頭が下がるだけです。(猶興)

2008/1/2(水) 午後 0:25 kan*u*uuk*u

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紫よよさん、有り難うございます。
訪問大歓迎です
大村益次郎の足跡を訪ねて大阪京都ですか。羨ましいですね。
長州からは幕末には多数の傑物を世に出しましたね。
また訪問下さい。(猶興)

2008/1/2(水) 午後 0:42 kan*u*uuk*u

イネはね、やはり当時の日本で生きてゆくには
大変だったろうと思うんですね。
日本人の好奇心がイネの生活にまとわりついて、
辛かったと思います。蔵六のこだわらない大らかさに
イネは惹かれていただろうと思うんですね。
シーボルトの偉大さも日本で生きてゆくイネにとっては
時には負担だったかもしれない。
でも母の母国で行きたいというイネの心情は
よくわかります。立派な女性でした。(^^♪

2008/1/3(木) 午後 8:07 [ #&%$ ]

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O〜MAさん、有り難うございます。
確かに当時の感覚では混血児のイネとこだわらずにに付き合える程度量の大きい男はいなかったでしょう。坂本龍馬か大村益次郎くらいの人物でなければイネにはふさわしく無かったでしょう。よくぞがんばったものです。(猶興)

2008/1/4(金) 午後 1:00 kan*u*uuk*u

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大村益次郎は地元でありながら名前しか知りませんでした。
ドラマを見てイネという人物を知りました。
切なくも美しい関係でしたね^^

2008/1/23(水) 午後 11:29 puni

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PUNIさん、有り難うございます。
大村益次郎は貴方の住んでおられる地元出身でしたか。
益次郎だけでなく、長州からはきら星の如く俊秀が出ましたね。
また、お寄り下さい。(猶興)

2008/1/24(木) 午後 5:06 kan*u*uuk*u

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「イネ」さんは日本で最初の女医さんだそうです。
わが隣町の歯医者さんは、シーボルトの血を引く6代目だそうです。

2008/12/14(日) 午前 11:12 [ - ]

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おやじさん、有り難うございます。
隣町の歯医者さんにシーボルトに感謝している日本人が大勢いることをお伝え下さい。(猶興)

2008/12/14(日) 午後 6:20 kan*u*uuk*u


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