さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

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萩の粗末な松下村塾から日本の近代化が始まったが、これは日本史史上奇跡的革命である。

吉田松陰が松下村塾を主宰したのは、野山獄から自宅預かりとされた僅か3年間である。しかし、この間の松陰の燃焼度は目を見張るものがある。

松陰の勉強は質量ともにものすごい。3年間で1500冊の読書。その間、45編の著述を完成させ、野山獄にて囚人を相手に始めた「講孟剳記」を皮切りに、内外の時局問題を講義している。

松陰は全国各地を遍歴し、佐久間象山始め一流の人物との交流もあり、アメリカ密航という大胆な体験もあり長州の若者達にはカリスマ教祖的存在であった。

松下村塾は、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れたので萩城下に知れ渡り、萩だけでなく、長州藩全体から才能ある若者達が集うようになり、やがて革命集団を形成していった。

松陰門下の四天王と言われた高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江杉蔵を始め、新政府で活躍した桂小五郎、品川弥二郎、前原一誠、総理大臣になった伊藤博文、山縣有朋もいた。

迫り来る外国勢の脅威に対する幕府や各藩の無策ぶりを弾劾する松陰の熱情は若い塾生達を奮い立たさない訳はなかった。日本を救うために「狂夫となれ」松陰は解き自ら狂夫となった。

幕府では井伊大老が日米通商条約に調印し、将軍継嗣を強引に家茂に決めた。反対派の大名や尊皇攘夷派達が一斉に動き出す。大老は弾圧にかかる。

松陰の尊王精神は絶対である。幕府の老中・間部詮勝が朝廷を厳しく取り締まろうとしていると聞き、松陰は激怒。間部要撃計画を実行しようと塾生に声をかけ要撃隊をつくり、藩には武器・弾薬の提供を願い出た。藩が驚いたのは言うまでもない。

藩にとって松陰は危険なものとされ、松下村塾も閉鎖に追い込まれる。松陰は再度、野山獄に入れられた。その後、ついに幕府から松陰を江戸に送るようにとの命令が届く。その理由は、安政の大獄で獄死した梅田雲浜(小浜藩士・京で活躍した尊皇攘夷の志士)が萩で松陰に会った事を話したためである。

江戸の評定所は松陰の主張を受け入れた。しかし、松陰は幕府に自分の意見を言う絶好の機会だと捉え、「間部老中・要撃計画」をも告白してしまう。人間を絶対的に信用し、国家のための誠心誠意の思いは必ず届くはずだと信じた松陰の告白であった。世間はそんなに甘くは無い。幕府評定所の役人は予想もしなかった老中暗殺計画に驚愕した。

この時、松陰の命運は決まった。衰退した幕府の再建を目論む井伊大老は反対するものことごとく抹殺する考えであった。

「今、我れ岸獄に投じ、諸友は半ば難に及ぶ。松下陋村なりといえども、誓って神国の幹たらん。」
松陰が若者達の行動に火をつけたのは、自ら命を投げ出して範を示したからである。

江戸、伝馬町の獄にて処刑される前日の松陰は門下生のため「留魂録」を書き上げた。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置し(とどめおかまし) 大和魂」

革命を表すのは「沢火革(たくかかく)の卦」革命、革新、変革の革であり、古いものを変えて新しいものを創り出す過程である。

松陰の幕府への告白は考えられないほど甘い。これは、脱藩の時も密航失敗の時も助けられた経験から、至誠を尽くせば必ず天が味方すると信じていたためだ。しかし、松陰の死は何百倍の力となって長州の若者たちを立ち上がらせた。

閉じる コメント(8)

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吉田松陰は純粋過ぎたのでしょうか・・・。わずか3年間の間によくもあれだけの傑物たちを育て上げられたと思います。想像を絶するパワーです。

2008/11/2(日) 午前 0:35 [ tokiwaokina ]

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tokiwaokina さん、有り難うございます。
純粋そのものですね。政治的かけひきは全くありません。弟子たちもその一途さには付いていけないところがありました。しかし、志半ばに刑死したことにより、弟子たちの心に火が付きました。まるで、処刑されたキリストの弟子たちのようでもあります。そんな弟子たちによって奇跡の維新が成し遂げられたのです、(猶興)

2008/11/2(日) 午後 5:02 kan*u*uuk*u

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吉田松陰の若すぎる死を残念に思っていましたがこんな効果があったとは・・・・。
純粋なことは羨ましいですがかなり甘いとも思えます。
この人が居て明治維新が成功したのでしょう。偉大な人です。

2008/11/7(金) 午前 1:23 [ pin*ey*e*t ]

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pinkeynext さん、有り難うございます。
その通りです。何百年と続いた幕藩体制から次の一歩を切り開くということはとてつもないエネルギーが必要だろうと思うのです。そのエネルギーに火を付けたのが、この松陰だろうと考えています。私には神に近い人のように思えます。(猶興)

2008/11/7(金) 午前 10:34 kan*u*uuk*u

渾身の吉田松陰像、素晴らしいです!
松蔭という人物は、安政の大獄を断行した井伊直弼と対極にありながら時代を変革する天命という意味でとても近い人物だと思ったことがあります。
ただ、皇国史観で楠木正成公同様、神様に祀り上げられたのは残念です。松蔭が最も嫌う扱いだと思うからです。

2008/11/11(火) 午前 2:35 ゆーくんままま

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ゆうくんママさん、有り難うございます。
成る程、そんな見方も出来るかも知れませんね。井伊直弼も幕府を守るという立場で、妥協を許さず敢然と身に迫る問題に真っ向勝負した人でした。松陰と直弼は直接会ったことはないと思いますが、一度対決させたらどんな会見になったことでしょう。興味が涌きますね。(猶興)

2008/11/11(火) 午前 10:01 kan*u*uuk*u

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はじめまして、先月松陰神社に行きましたので松陰に興味が湧き この記事を
読ませて頂きました。
しかし、まだ1−3を読んでいません、時間を作ってまたお伺いさせて頂きたく
トラックバックして行きますので宜しくお願い致します。

2008/11/23(日) 午前 8:23 虹の引き出し

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虹の引き出しさん、有り難うございます。
萩には一度行きたいと思っています。松蔭に興味を持たれたのは幸いです。知れば知るほど感動されると思います。また、感想をお知らせ頂けたら嬉しいです。(猶興)

2008/11/23(日) 午後 4:40 kan*u*uuk*u

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