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実美の長い失脚中に長州を舞台に時代は180度の急展開。
長州藩は八月十八日の政変により京より追放される。翌年、巻き返しに出た禁門の変が起こると、朝廷は長州を朝敵とし、幕府に対して長州征討の勅命を下す。
以後長州にとっては悪夢のような時代に投入する。英、仏、蘭、米の四国連合艦隊との下関戦争に敗北しそこへ幕府軍を迎える。
長州は禁門の変の責任者である三家老(国司信濃・益田右衛門介・福原越後)を切腹させ、山口城を破却し、幕府への恭順を決定する。
長州の倒幕派は窮地に立つが、1865年(慶応元年)、高杉晋作らが馬関で挙兵して保守派を打倒するクーデターを起し、倒幕派政権を成立させる(元治の内乱)。
14代将軍・徳川家茂は大坂城へ入り再び長州征討を決定する。
ところが、この第2次長州征討で思いがけない歴史の転換が起こる。
坂本龍馬を仲介とした薩長盟約で密かに長州と結びついた薩摩軍が出兵を拒否したのだ。薩摩抜きでは形勢がガラリと変わる。
その上、将軍・家茂が大阪にて急死。長州軍はあちこちで幕府軍を敗走させた。事実上、長州が幕府軍を破ったのである。
朝廷ではかつて実美が追放した岩倉具視が復権し、薩長と倒幕そして新政府樹立の計画が進んでいた。
ついに実美は慶応3年(1867)の王政復古で表舞台に復帰、成立した新政府で議定となる。
翌・慶応4年には副総裁。戊辰戦争においては関東観察使として江戸へ赴く。
明治2年(1869)には右大臣、同4年には最高位・太政大臣となった。
「火地晋」の卦。朝日が地上に出る象である。身を起こさば天下とともに大道を行かんことを願うべし。
お公家さんというと現実を知らない無力者と思いがちであるが、
骨のある公家もいるのだと改めて知らされる。
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