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地 山 謙
(序卦伝)大有なる者は以て盈つ可からず。故に之を受くるに謙を以てす。
(卦辞)謙は亨る。君子、終有り。
(大象)地中に山有るは謙なり。君子以て多きを裒らし、寡きを益し、物を稱り施を平かにす。
天道は盈るものを虧いて謙なるもに益し、地道は盈を変じて謙に流し、鬼神は盈を害して謙に福し、人道は盈を悪んで謙を好む。謙は尊くして光り、卑くしてしかも踰えることはできない。君子の終である。
徳川家茂1846〜1866
公武合体にみる地山謙。
安政5年大老・井伊直弼の独断的決定により家定を継いで将軍に就任する。わずか13歳。日米友好通商条約の締結と将軍継嗣問題に関して幕府と朝廷の間に対立が生まれた。融和策として打ち出されたのが公武合体策である。幕府は孝明天皇の異母妹である和宮を家茂への降嫁を申し出る。文久2年(1862)結婚は成立した。
翌年、3代将軍・家光以来の上洛、幕府の権威を内外に知らしめるつもりであったが、孝明天皇から攘夷を押し付けられる。攘夷祈願を行う天皇に随い賀茂神社に向かう。天皇が祈願しているあいだ家茂は雨に濡れながら群衆の見守る中庭に坐していた。
大阪へ行き、幕府軍艦・順動丸に乗り摂津近海を巡視する。このとき勝海舟より海防のため海軍の必要性を聞く。「ただちに実行せよ。」と諸役に命ずる。海舟は家茂の英断に舌を巻いた。これをきっかけに海舟は軍艦奉行、安房守にまで出世する。
慶應2年(1866)第2次征長のため大阪に出兵。幕府軍が敗北し苦境に立たされまま身を削る多忙とストレスのため大阪城にて急死した。21歳の若さだった。
地山謙は謙虚の徳用
謙の卦は全体に吉、利、利しからざるなしであり悪い爻は一つもない。危うい爻とされる九三が主爻であるが「君子労謙す。有終、吉。」である。
九三に比し、応ずる六二と上六には鳴謙とある。謙が外にあらわれ名声となる程である。
六五に「侵伐するに利し。」とある。謙虚なる君主に従わぬものは武力を用い討伐するのも止むを得ない。利しからざるなしである。
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