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スターリン。1878〜1953 1937年(昭和12年)より日中戦争に突入することになる。しかし天皇を始め政府首脳は戦争には反対しており、何故戦争になったのかは昭和史最大の謎とされている。その謎を解くためには中国と中国を取り巻く大国の関係を知る必要がある。
中国では孫文の後を継いだ蒋介石率いる国民政府と毛沢東率いる中国共産党が対立していた。国民政府にはアメリカ、共産党にはソ連が後ろに控え、いづれも満州を手にした日本を転覆せんものと虎視眈々である。
ソ連のスターリンは1935年のコミンテルン大会で幹部たちに言った。「ドイツと日本を暴走させよ。しかし、その矛先をロシアに向けさせてはならぬ。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国へ向けさせよ。」「そして戦力の消耗したドイツと日本の前にアメリカを立ちはだからせよ。日本とドイツの敗北は必至である。」
そして日独砕氷船理論をぶちまける。「ドイツと日本が荒らしまわって荒廃した地域、つまり、日独砕氷船が割って歩いた後と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営にいただくのだ。」世界中を共産主義にする計画だ。
なんとも恐ろしい話ではあるが、その後10年の歴史はこのスターリンの計画通りに進んでいく。1936年(昭和11年)あたかもスターリンの思惑通りの事件が起こる。
張学良(張作霖の子)は満州を追われて国民政府軍の傘下にいたが、共産党と気脈を通じ、蒋介石を裏切る。張学良にとっては反共より反日である。西安にて蒋介石を監禁したのだ。毛沢東たちは直ちに処刑しようとしたが、それを知ったスターリンは「殺すな!蒋介石はこれから役に立つ!」と処刑中止を命じた。
スターリンの戦略とは国民政府軍に日本と戦争をさせる。中国共産党はその後方を守る。戦争は出来るだけ長引かせる。勝てる相手ではないから負け続けろ。犠牲は大きければ大きいほど良い。そうすると必ずアメリカが出てくる。そうすれば日本は負ける。その時疲弊した国民党を一気に攻撃し中国を共産党にするのだ。
翌1937年(昭和12年)盧溝橋事件を皮切りに日本軍を戦争の泥沼に引きずり込む。全て漁夫の利を得ようとするスターリンの陰謀である。
******** 上卦は風。
******** 陰謀を巡らす者。
*** ***
*** *** 下卦は地。
*** *** 民、大衆を表す。
*** ***
「風地観」の卦。観は観察する。奥底まで見抜くことである。この卦はものの見方を説く。ものは高く広い見地から観なければ本当の姿は見えない。
日本が侵略国であったかどうかの議論がある。
それは世界の中の日本がどんな状況にあったかを良く知る必要がある。
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日本が侵略国であったかどうかの議論がある
現代の日本人はこのことを真剣に考える必要があると思います。
欧米の植民地はどのような物だったのか、日本はどうだったのか〜
多くの日本軍人は大和魂、武士道に恥じることはしていないと思います。
話がそれますが沖縄は返還されました。北方領土は・・・・暗黙の中
返還は難しいと感じています。
2011/9/21(水) 午前 11:47 [ pinkey ]
pinkeyさん、有り難うございます。
領土のやり取りは必ず戦争直後のどさくさの中で行われるものです。
ですから取られた方は必ず納得がいかないものです。
北方領土に関してはソ連崩壊のときがチャンスだったのに、時の政治家がグズグズしているうちにチャンスもなくなってしまいました。
まことに残念なことをしてしまいました。(猶興)
2011/9/22(木) 午前 10:46
そもそも日本軍が南京に侵攻したのは、一九三六年、張学良が蒋介石を西安で拉致監禁した西安事件をきっかけに、コミンテルンの指導で第二次国共合作が成立したことで、国民党政府軍は中国共産党への攻撃をやめ、国民党政府軍に共産党勢力が入り込み、日本軍を挑発して、日本を戦争へ引きずり込んでいったことが背景にある。
一九三七年七月七日、中国盧溝橋付近で北京議定書に基づき合法的に駐留していた日本軍の軍事演習中に、日本軍とその近くにいた国民党政府軍の双方に対して実弾が発射されたことをきっかけに、戦闘状態になった(盧溝橋事件)。
この双方への発砲は、後に中国共産党国家主席となった劉少奇(りゅうしょうき)が指示したものであることを、彼自身が告白している。事件不拡大を望んだ日本軍は、その四日後には停戦協定を結んでいる。
apaから引用
2017/2/26(日) 午前 7:18 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]