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沢風大過
(序卦伝)頤とは養うなり。養わざれば則ち動く可からず。故に之を受くるに大過を以てす。
(卦辞)大過は棟撓む。往く攸有るに利し。亨る。
(大象)澤、木を滅するは大過なり。君子以て独立して懼れず、世を遯れて悶ゆる无し。
大なるものが過ぎる卦である。大のつく卦は4つある。火天大有、山天大畜、沢風大過、雷天大壮でなり、すべて大は陽をさすなり。
大いに養うときは大いに動くことができ、大いに動くときは、とかく大いに行き過ぎることになる。社会に例えれば下層と上層の階級とが弱っており、中部の階層があまりに勢いが強く盛んなのである。中部階層とは権臣、外戚の一族、軍閥等が考えられる。
氾濫の憂を示すもの。時代の激流滔々として衆人を危からしめる時、毅然として正義を執り、独立して懼れず、或は又、世俗を遯れて、澄然として悶えない道徳をも教えるものである。
沢風大過は大事と耐忍
九二から九五まで陽爻が並ぶ。初六は慎重に対処するので咎はない。九二は意気盛んなれど中庸を知るので利し。
特に主爻の九三と九四の陽が強い。九三は「棟撓む。凶。」力山を抜き、気は世を覆う。責任のすべてを負わんとして行き過ぎる。九四は陽に過ぎるも、陰位にあり行き過ぎを抑えることが出来る。
九五は大過の時代に勢力を盛り返すことが出来る。上六は危険な激流をようやく渉ることが出来咎なきを得る。
大久保利通。1830〜1878
征韓論争に見る沢風大過
西洋諸国を見聞し岩倉一行より一足早く、明治6年5月に帰朝した大久保に待ったをかける大きな壁が立ち塞がっていた。西郷らの留守舞台政府により朝鮮への特使派遣が決定していたのだ。ここまで進んだ政府案に異を唱えることは竹馬の友・西郷を敵に回すことになる。西郷を敵に回すことは薩摩をはじめ旧士族全体を敵に回すことである。
9月、帰朝した岩倉も驚き、大久保を呼んで対策を練る。大久保は公家出身の岩倉、三条の二人に「絶対に変節しない」との一書を書かせて参議を引き受け閣議に望む。10月12日、特使派遣の具体案を練るための閣議が開かれると、大久保は満身に闘志をみなぎらせて出席した。岩倉が「内治先決、特使反対」を主張すると、西郷は「既に閣議にて決定していること」と抗弁した。
そこで立ち上がった大久保は「国家の基礎も固まっていないとき、外戦など起せば不慮の事態が起こるであろう。今でさえ赤字財政なのに、莫大な戦費を費やせば国民は塗炭の苦に陥り、ようやく進みつつある富国強兵の事業も半途にして廃絶するであろう。さらにまた、輸出産業の沈滞が外債を増し、逆に軍需品の輸入増で財政はたちまち崩壊する。こうなれば、大債権国であるイギリスの内政干渉がはじまり、ロシアがどう動くか解らない。まさに、民族独立の危機ではないか」火を吹くような演説だった。
西郷も一歩も退かない。「何を言う。俺は戦争をするとは言っとらんぞ。一兵も連れずに特使にいくのだぞ」会議は連日つづいた。議長の三条は疲労困憊し、精神錯乱して倒れた。明治天皇は岩倉に太政大臣代理を命じると岩倉は使節団反対を奏上し、天皇はこれを裁下した。大久保の工作が成功した。西郷、板垣退助以下5人の参議は辞表を提出、桐野利秋以下多数の西郷系近衛将校が後を追って辞職した。
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