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離 為 火
(序卦伝)坎とは陥るなり。陥れば必ず麗く所有り。故に之を受くるに離を以てす。離とは麗くなり。
(卦辞)離は貞しきに利し。亨る。牝牛を畜へば吉。
(大象)明両たび作るは離なり。大人以て明を継ぎて四方を照らす。
離は火であり、明であり、付くであり、太陽である。理性、教養、才能、文明、文化を表す。
「牝牛を畜へば吉」は牝牛のように従順の徳を養うのが吉である。中陰、中虚にして始めて能く明であることを表すものである。
理性はあくまでも正に就くものであり、正しいほど知は明らかであり、天下を化成して、四方を照らすことができる。
離為火は理性の原則
上下の離は新しい文化について説く。下は大衆、上は為政者と考える。
初九、六二、上九は朝、昼、夕に置き換えて、新人、中堅、晩年での新文化にどう取り組むのかを表している。初九では戸惑うこともあるが、慎重に取り組むので咎はない。六二は「黄離、元吉」末永く新文化を受け入れ申し分なし。九三は晩年の層、新文化を楽しもうにも残りわずかな人生を嘆く。
上の爻はすべて位置を得ていないのですんなりと行かない。九四は突如の変化に驚き慌てるので危ない。六五は世の中の変化に只哀しみを感じている。上九はしたたかな君子、どさくさの中にも地位を確保している。
福沢諭吉。1834〜1901
文明開化に見る離為火
英語を学んだ福沢諭吉は勝海舟の咸臨丸に乗ってアメリカに渡るチャンスを得た。西洋文明を体験したことが諭吉にも日本にも大きな変化をもたらした。その2年後には、遣欧使節団の通訳としてヨーロッパ各国、ロシアのペテルブルグを歴訪。その後再び渡米しているので、明治を迎えた日本においては最高の外国通となっていた。
慶応3年には外国文化を日本に広めるため、洋学塾を始める。諭吉は日本人を啓蒙することを自分の仕事にした。これが「慶応義塾」の基になった。「学問のすすめ」は明治4年に郷里・中津(大分県)に出来た学校を祝うつもりで「中津の旧友に贈る」と題して書いた論文が評判になり、明治5年に諭吉が書き改め発売された。明治の若者たちは「学問のすすめ」により、大きな志を立てたものである。
富国強兵を目指す日本にとって、なにより急務であるのは日本人のエリートを育てることである。そこで明治政府は高官並みの待遇で各方面に優秀な外国人を招請した。彼らは「お雇い外国人」と呼ばれたが、中には日本という国をこよなく愛してくれた。エルヴィン・フォン・ベルツは明治9年にドイツから医学の教師として現在の東京大学医学部に招かれ、以来27年にわたって日本の医学会の発展に尽くしてくれた。
彼の編集した「ベルツの日記」は当時の西洋人から見た日本と日本人が実によく描写されていて感銘を深くする。その一部を読むと。「日本人はたった10年前までヨーロッパの中世騎士時代の文化状態にあったのに、一気に500年の時間を飛び越えて全ての成果を自分のものにしようとしている。」とある。 |

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