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「致知」5月号のテーマは「その位に素して行う」である。毎回私が最初に読んでいるのは、渡部昇一先生の「歴史の教訓」である。今回も先生の記述が最も印象に残ったので照会することにした。
蒋介石は、毛沢東は、南京事件をどう言ったか、ないものは言うことができないのだ。
私に文献的にはっきり示してくれたのは、立命館大学の北村稔氏が文春新書で出した「南京事件の探求・その実像をもとめて」だったと言える。その内容は。
南京事件なるものが初めて世に出たのは1938年(昭和13年)である。ヨーロッパで一冊の本が出版された。書名は「戦争とは何か・中国における日本の暴虐」著者はティンパーリ。オーストリア出身でマンチェスター・ガーデアン紙特派員を務めたジャーナリストである。ティンパーリは蒋介石の国民党中央宣伝部国際宣伝処顧問だった。彼は蒋介石から金をもらってデマをばらまき謀略を仕掛けるスパイだったのである。
亜細亜大学教授の東中野修道氏とそのグループの研究が南京事件はなかったことを完全に証明した。台湾の国民党政府が資料を開示し、ティンパーリが所属した国際宣伝処の工作概要を入手している。そこにはティンパーリをはじめ蒋介石が雇ったスパイの動向が、支払われた報酬も含め余すところなき記されている。
そればかりではない。南京事件の吹き込みにヨーロッパでは成功したから、今度はアメリカにどう吹き込んで支援をより多く引き出すか、を仲間に相談するティンパーリの手紙も見つかっている。
南京事件がなかったことは紛れもない。だが、中国では国民をまとめる手段として反日を鼓吹し、虐殺記念館まで建てている。三十万虐殺を事実と信じ、疑うこともしなくなっている状態がある。
もう一つ重要なことがる。南京戦以後、蒋介石は外国人記者と実に三百回以上の記者会見を行っている。蒋介石が南京事件について発言したことは一度も、一言もないのだ。
もう一方の旗頭である毛沢東も同じである。毛沢東は講話、講演を何度も行い、膨大な著作を発表している。だが、南京事件にはまったく触れていない。
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やはりそうでしたか〜。
事実とは全く父違うことで責められ続けていたのですね。
歴史を正しく見つめ直すことは日本でもやらなくては〜!
平和ボケではすまされないと実感しています。
この貴重な記事は子供にも読まさせて頂きます。感謝凸
2012/5/18(金) 午前 9:30 [ pinkey ]
pinkeyさん、有り難うございます。
この件は本当に由々しき問題です。最も恐れなくてはいけないのは、このまま放置していくと、いつの間にかそれが歴史になってしまうのです。
安部元総理が教育改革をしようとしましたが、残念ながら病気で倒れてしまいました。しっかりした歴史観をもった総理大臣が出て、思い切って左翼の砦である教育界を改善してもらいたいものです。(猶興)
2012/5/21(月) 午前 11:14
3.日本軍が南京を占領する約一カ月前、昭和十二年十一月より翌年の九月迄、蒋介石率いる国民党は、ほぼ毎日の様に、欧米のマスコミ関係者を集めて、記者会見を開き、日本軍に対するイメージダウンの目的で、日本軍の不法行為等について嘘八百の発表、宣伝工作を続けていた。
そして、その回数は延べ三〇〇回にも及んだという。処が、当時、国民党は「南京大虐殺」などという事を一度も言ったことが無かったという。
何故か?それは、その様な事は全く起きていなかったから言わなかっただけである。
仮に、当時、南京で「大虐殺」が起きていたならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかったであろう。
2017/2/25(土) 午後 6:22 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]
【1937年 毛沢東】
「力の70%は勢力拡大、20%は妥協、10%は日本と戦うこと」という指令を発している。
なお毛がまとめた『持久戦論』では日本軍の戦略を「包囲は多いが殲滅が少ない」と批判している。
毛沢東は延安で、日本軍が南京を陥落させたニュースを聞いて大喜びし、祝杯をあげ大酒を飲んだ。
2017/12/29(金) 午後 10:13 [ 闇に光を ]