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中曽根康弘。1918〜
中曽根は田中角栄と同じ歳、政治家になったのも同じ年。昭和50年代、長期政権だった佐藤内閣の後継者として、「三角大福中」と呼ばれたが、最後に総理になったのが中曽根である。少数派閥であったので風見鶏と言われながら臥薪嘗胆の年月を過ごした。急がば回れ、最も輝いた時代に大輪の花を咲かせた。
世界経済は2度に渡る石油ショックの見舞われ不況が続いた。しかし、いち早く不況から立ち直ったのは日本。日本は持ち前の技術力で省エネ製品を生み出し、輸出は好調、正に世界の垂涎の的となった。アメリカをはじめ世界各国は日本の輸出抑制のために円高を求めてきた。
1985年(昭和60年)ニューヨークのプラザホテルで米、英、仏、西独、日の先進5か国で会議が行われた。日本の円は安すぎる、1ドル230円を2倍の120円位にしろというものだ。もの凄いハードルを押し付けられたのが「プラザ合意」である。
好景気を背景に中曽根内閣は、「行革の鬼」と言われた土光敏夫を中心に行革を断行した。懸案であった国鉄、電電公社、日本専売公社の三公社を一気に民営化させた。中でも20兆円の累積赤字の国鉄は難題だったが、昭和62年、七社による分割民営化に成功した。JRの誕生は中曽根内閣の功績である。赤字は減少し、サービスも向上した。
一方で円高による経済は混乱も生じたが、原油価格は安くなり、輸入品は大幅値下げ、ワインブームが起き、ブランド品も安く買える。海外旅行も国内旅行並みになった。それでも大方の日本人は買い物には走らず、財テクを始めた。土地は上がり、株が上がった。証券業界と不動産業界はお祭り騒ぎの活況。土地獲得のために暴力団を使い地主を追い立てる「地上げ」まで横行する。
財テクブームで土地、マンション、株、ゴルフ会員権、何もかもが上がり続けた。夜の繁華街は連日人であふれ日本中が浮かれ騒いだ。正に昭和の打ち上げ花火。しかし、数年後にはバブルの崩壊が始まり、分譲マンションを投資目的に買った人たち、退職金を株につぎ込んだ人たち、みんな真っ青になった。
*** *** 上卦は雷。
*** *** 活動。進む。
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******** 下卦は火。
*** *** 文化、文明。
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「雷火豊」の卦。盛大豊満なること。月で言えば満月の状態。しかし、月も満ちれば欠ける。盛んなれば必ず衰える。盛運にあるものは必ず警告音に耳を傾けねばならない。
バブル景気は花火のように一瞬輝いて消えた。激動の昭和時代も過去へと消えていった。その後に来たものは長いトンネルである。私たちは未だに先が見えないトンネルの中にいる。
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