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「知致」11月号の特集は「一念、道を拓く」である。今回はこの特集についての知致出版社・代表の藤尾英昭氏の挨拶文を照会したい。明治維新で活躍した松下村塾出身の天野清三郎と日本のヘレン・ケラーと言われた中村久子さんの「一念、道を拓く」の話に感動させられた。
一念、道を拓く
天野清三郎。1843〜1939
天野清三郎は15歳で松下村塾に入塾した。4つ年上の先輩に高杉晋作がいた。高杉の天才的行動力はとても真似が出来なかった。悩んだ清三郎は松陰先生から聞いた言葉に「黒船を打ち負かすような軍艦を造らなければ日本は守れない。」を思い出した。
「そうだ、自分は船造りをしよう。」24歳で脱藩し、イギリスに密航する。造船所で働きながら夜間学校に通うことになるが、造船を学ぶには先ず数学や物理学を学ばなくてはいけない。英語すら全く解らない清三郎は途方にくれた。3年間を過ごしたが、殆ど身に着けることが出来なかった。
今度はアメリカに渡り、又造船所で働きながら夜間学校に学ぶ。今度は少しづつ解ってきた。一心不乱に働き、そして学んだ。31歳で帰国、長崎造船所の初代所長になり、日本の造船業の基礎を造った。
中村久子。1897〜1968
中村久子は3歳のとき、突発性脱疽(だっそ)という難病に罹った。間もなく左手が手首からもげ落ちる。その後、手術により両腕と両足を肘と膝の関節から切り落とされた。ダルマ娘と言われた。7歳で父が死亡する。それまで舐めるように可愛がっていた母が一変する。猛烈な訓練を始める。
手足のない少女に着物を与え、「ほどいてみよ」「針に糸を通してみよ」「鋏の使い方を考えてみよ」できないとご飯を食べさせない。肘から先がない腕に挟んだ針に口で糸を通す。小刀を口にくわえて鉛筆を削る。口で字を書く。少女は縫い物も出来るようになった。母のこの一念がその後の少女の人生を拓く。
ところが、母が再婚した義父により久子は「ダルマ娘」として見世物小屋に身売りさせられた。それでも久子は誰も怨まず「一人で生きていく」と懸命に働いた。久子41歳、昭和12年、来日した「奇跡の人」ヘレン・ケラーに自分で縫った日本人形を贈った。見えないヘレンは手足のない久子の身体に触れて感動した。「あなたこそ奇跡の人。私より偉大な人です。」
「歎異抄」を学び、与えられた人生全てに感謝する生き方を実践した。「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない。」全国を講演して身障者たちに希望を届けた。
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