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五合庵のある国上山
良寛は黒衣をまとう僧ではあったが、寺の住職でもなく、人前で経を読むこともせず、葬式もしない。それでも次第に土地の人に愛されていた訳は何故だろうか。それは自己にはきびしい修行者であったが、他者には損得抜きの純粋無垢な愛情を注いでいたからに他ならない。
とかく孤独な印象を与えるが、良寛は人と共に生きた。親しい友達もいて、その家族ごと愛情を注いでいる。昔からの学友である医師の原田鵲斎(じゃくさい)との交友ではいかに良寛の情が深かったかを物語る。原田家で二人の幼子が亡くなったときに送った手紙にこんな歌が残っている。
人の子の 遊ぶを見れば にはたづみ 流るる涙 とどめかねつも
5歳年下の学友であった三輪左一とも深い交友を窺わせる。三輪左一は与板の豪商・回船問屋大阪屋三輪家の人であるが、純粋に良寛を尊敬して師事していた。禅僧仲間では20歳年上の円通庵の住職である有願(うがん)がいる。有願は詩、歌、書、画に優れてお互いに庵を訪ねては酒を酌み交わした。デブの有願と痩身の良寛が仲よく一緒に歩く姿は滑稽に見えたという。
良寛、51歳の時、長く付き合っていた二人が相次いで亡くなる。とくに自分より若い弟子・佐一の死はショックだった。寂寥に耐えきれずホトトギスの鳴く山の中を「佐一、佐一」と泣きながら歩き回った挙句、病に倒れてしまった。
佐一我をすてて何処にかゆける/有願相次いで黄泉に帰す/空牀ただ一枕を余してあり/遍界寥々知音まれなり
庄屋で酒造業を営む20歳年下の阿部定珍(さだよし)とも親しく交わっている。定珍は教養ある文化人であり良寛とは歌のやりとりが楽しみで、酒を携えては五合庵を訪ねている。こうして良寛は相手の身分などお構いなく、気を許した相手とは喜んでお付き合いをしている。
又、托鉢先で知り合った子供たちとも遊び、貧しい農家の年寄りとも、縁側で喜んで酒を酌み交わしてもいる。人の見ない所で修行と勉強は怠ることはなかったが、誰とでも気軽に交わった。ただ、仏教や修行の話をせず、人に説教をすることは無かった。そこが良寛の良寛たるところである。
******** 上卦は風
******** 従順、謙虚、へりくだる
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******** 下卦も風
********
*** ***
「巽為風」の卦。巽(そん)は巽徳という言葉があり、謙遜、へりくだる、譲るという徳である。巽は入るという意味もあり、どんな隙間でも入ることである。君子は信念を持ちながらも常に謙虚に事を行うのである。
良寛は祖師・道元のように生死を超越出来る境地には生涯達することはなかった。親しい人を失ったときは、人一倍涙を流した。葬儀をしない僧ではあったが、それ以上に涙で死者を弔った。派手な葬儀より、良寛の涙の方が逝くものにとっては、どんなにか有難かったことだろう。
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猶興さま
良寛の交友
心温まる素晴らしいものですね
心を同じうして共に集う
そこには、志光なる文化が有るのですね
生きている喜びがほとばしりますね、、
2013/5/28(火) 午後 3:00 [ nina ]
kazeさん、有り難うございます。
良寛は孤独に生きたイメージがありますが、決して孤独ではありませんでした。
心の豊かな人は自然に人と共に生きるものなのでしょう。(猶興)
2013/5/29(水) 午前 10:30