さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

名僧たちが求めたもの

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良寛の恋

イメージ 1
貞心尼。1798〜1872
 
60代の良寛は五合庵を出て、乙子神社の草庵に移り、さらに69歳からは三島郡島崎の能登屋・木村家の邸内に作られた庵に移り住んだ。地元の豪農たちが病気がちの良寛を案じたからである。
 
70歳の秋のことである。出かけていた良寛が庵に帰ってくると、一通の手紙が小さな手毬と共に置いてあった。そこには「これぞこの ほとけのみちに あそびつつ つきやつきせぬ みのりなるらむ」と一首の歌が添えてある。歌を教えて欲しいということである。伸びやかな素直さを感じさせる美しい字に良寛の心は動かされた。
 
すぐに良寛は筆を手にした。「つきて見よ ひふみよいむなや ここのとを とをとをさめて またはじまるを」歌の修行も、仏道の修行も始めて見ないかと記した。手紙の主は30歳の貞心尼。やがてその人は喜び感激してやってきた。色白で黒衣が似合う、清楚だが凛とした聡明さを秘めた美しい女性だった。良寛は歌を見た時以上に少年の様なときめきを覚えた。
 
貞心は初めて会った良寛を見て
君にかく あひ見ることの うれしさも まださめやらぬ 夢かとぞおもふ
お返しに良寛は
夢の世に かつまどろみて 夢をまた かたるも夢も それがまにまに
話し込むうちに時を忘れて、月が中天高く昇っていく
むかひゐて 千代も八千代も 見てしがな 空ゆく月の こととはずとも
貞心が詠めば良寛も返す
心さえ かはらざりせば はふたつの たえずむかはむ 千代も八千代も
いよいよ別れて帰るというとき
たちかへり またもとひこむ たまほこの 道の柴草 たどりたどりに
貞心が詠めば良寛は返す
またもこよ 柴のいほりを いとはずば すすき尾花の 露をわけわけ
 
貞心は長岡藩士の子として生まれ、18歳で医師に嫁いだが5年後に夫と死別。親の反対を押し切り柏崎の尼僧・眠龍、心龍の姉妹に師事して尼僧の修行に入る。苦しい修行の末、27歳ころ長岡市福島の閻魔堂に住む。修行時代は美人尼と噂がたち、托鉢に出ると絶えず監視の目に遭う。必ず後ろに婆さんが2,3人ついて来てお布施を取り上げられたという。良寛との歌のやりとりは「はちすの露」として貞心がまとめた。貞心にとっても最も充実した女の盛りでもあった。
 
***  *** 上卦は沢
******** 喜ぶ、はじける、若い女
********
******** 下卦は山
***  *** 勤勉、動かない、若い男
***  ***
 
「沢山咸」の卦。咸は感動、感激の感と同意。心のふれあいである。心のふれあいがあるから人間が人間でいられる。社会の成り立ちも心の触れ合いを大切にしなくては成り立たない。
 
良寛が人生の最後に貞心尼と巡り合う。ここに人生の最大のドラマがある。名も利も捨てた何も持たない良寛が最後に得たものは、この世で最も美しいもの、最も尊いもの、それは素敵な恋人だった。
 
 
 

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それは素敵な恋人だった

良寛の恋は、何と浪漫に満ち溢れているのでしょう

聡明な歌の遣り取りは、うっとりとする薫りですね

2013/6/4(火) 午後 5:09 [ nina ]

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kaze さん、有り難うございます。

物質的なものを何も求めず、心の世界だけを求めた良寛の生涯に、貞心が現れたことは神からのプレゼントでしょう。貞心の勇気にも感動します。(猶興)

2013/6/5(水) 午前 10:06 kan*u*uuk*u


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