さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

名曲はこうして生まれた

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ジャネット・サーバー夫人。1852〜1946
 
「スラブ舞曲集」の大ヒット以来、ドヴォルザークの名はヨーロッパ中にとどろき演奏依頼が舞い込むようになる。40代になるとロンドンからの招きに応じ演奏会を行うと熱狂的な歓迎を受けた。それをきっかけに生涯に9回の渡英を重ね、交響曲第7番、第8番などの大作を作曲した。47歳の時にプラハを訪れたチャイコフスキーと親交を結び、49歳の時にはその招きでモスクワとサンクトペテルブルグを訪問する。ブラームスからはウィーンに移り住むよう勧められたがチェコから離れたくないドヴォルザークは断る。
 
50歳になるとプラハ音楽院の教授に就任。生涯を祖国の音楽教育に捧げようと決心した。そこに思いもかけないビッグな話が舞い込む。その頃、日の出の勢いで発展を遂げていた新興国アメリカから、新設するニューヨーク・ナショナル音楽院の院長にという白羽の矢が飛んできた。依頼主は大富豪のジャネット・サーバー夫人。もと音楽教師の彼女にはヨーロッパ音楽に負けない「アメリカ国民音楽」を打ち立てたいという大野望があった。その夢をかなえてくれる大物作曲家を院長に迎えたかったのである。
 
もともとチェコから離れたくないドヴォルザーク。教授に就任したばかりでもあり、その申し出は断った。ところがサーバー夫人は諦めない。報酬はプラハ音楽院教授の10倍、年間4か月の休暇をとってもいいと言ってきた。ドヴォルザークは迷った挙句、翌年9月からの2年契約を承諾した。妻と2人の子供を連れてニューヨークに旅立つ。見知らぬ土地での新たなる挑戦が始まった。
 
世界中の人が知る「交響曲第9番(新世界より)」はその翌年5月に完成し、12月にカーネギーホールにて現在のニューヨーク・フィルハーモニーによって初演された。満席のホールは万雷の拍手喝采に包まれ、公演は大成功をおさめた。「新世界より」はドヴォルザークにとっても作曲家としての円熟期であり、アメリカの大自然が故郷ボヘミアの郷愁と重なり、インスピレーションが喚起したものだった。2年半という短い期間だったが才能をフルに発揮したドヴォルザークはサーバー夫人の期待にも応え、アメリカ音楽にも大きな足跡を残すことになった。
 
2期目の滞在はわずか半年で契約を反故にした。ボヘミアへの強烈なホームシックに苛まれたからである。愛する家族に囲まれ、大好きな蒸気機関車を眺めて、飼っている鳩に餌をやり、近所を散歩する日常に帰ってきた。生まれ育った故郷こそドヴォルザークの落ち着ける場所だった。
 
******** 上卦は風
******** 従順、へりくだる、長女
***  ***
******** 下卦は火
***  *** 文化、才能、中女
********
 
「風火家人」の卦。家人とは家庭、家族。夫婦がそれぞれ役割を果たし家庭がしっかり治まっていることである。とくに主婦の存在が大きい。良妻賢母の主婦がいると自然に家庭は安定する。家庭の不和は往々にして女同士のいさかいから起る。
 
ドヴォルザークは妻アンナとともに愛情に満ちた家庭を築いた。アンナについての詳しい記述はないのだが、最初の3人の子を亡くした後、6人の子供を生み立派に育てている。悲しさを乗り越え平凡ではあるが、夫を愛し子供を愛し、親類や近所の人たちにも気をつかい、笑顔の絶えない女性であったのだろう。ドヴォルザークの名曲の陰には妻アンナがいたのだ。

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