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ニコライ2世(1868〜1918)
ロシアは露土戦争に勝利し、念願の地中海への不凍港建設を目前にしながらも、ベルリン会議により阻止された。そこでロシアはフランスの資金援助を受けてシベリア鉄道を建設していた。不凍港を中国遼東半島に築くためである。ところがそこに日本という邪魔者が入ってきた。1895年に起きた日清戦争の結果、遼東半島は日本への割譲が決まる。
早速、フランス、ドイツと組んでその条約を破棄させ、賠償金を2倍にさせた(三国干渉)。目的は財政難の清国に借款させ見返りに遼東半島の旅順・大連を租借、まんまと絶好の不凍港を手に入れた。後は満州を縦断する東清鉄道を完成させるだけだ。
高宗(1852〜1919)
朝鮮は日清戦争の結果、清国からの冊封体制から離脱し大韓帝国として独立していた。しかし政治を知らない高宗がロシアの高官に懐柔され、鉱山採掘権や森林伐採権を売り渡す体たらくで日本政府が慌てて買い戻したりしていた。
そんな時に起こったのが義和団事件だった。出兵したロシア軍は事件解決後もまるで植民地にしたかのように満州に居座り着々と鉄道建設を進めていた。フランスとドイツはロシアが東に向かうことには賛成だったが、清国での権益を守りたいイギリスとこれから権益を得ようとするアメリカはロシアの南下政策には反対だった。イギリスは義和団事件での規律正しい日本軍を信頼し、1902年に「日英同盟」を結んだ。
桂太郎(1852〜1919)
ロシア進出の危機に日本政府内では外相・小林寿太郎、首相・桂太郎、参謀総長・山懸有朋らの主戦論派と元首相・伊藤博文、元大蔵大臣・井上馨らの戦争回避派との間で論争が続いていた。ロシアでは財務大臣のセルゲイ・ヴィッテが反対したが、ニコライ2世を始め主戦論が大半だった。強国ロシアが日本との戦争を恐れる理由は何もない。
朝鮮半島だけでも守りたい日本は満州についてはロシアの管轄とし、朝鮮は日本の管轄としようと提案した。しかし朝鮮半島も支配下にしたいロシアは無視する。1904年2月、ついに日露は国交を断絶、旅順港にいたロシア旅順艦隊に対して日本海軍駆逐艦は奇襲攻撃を行い開戦した。
高橋是清(1854〜1936)
戦争は始まった。ところが戦争には膨大な物資が必要であり、巨額の戦費がかかる。頼りの綱は日英同盟である。桂首相の要請で外貨調達のため、イギリスに向かったのは日銀副総裁の高橋是清だった。日英同盟があるからと言って英国政府が資金提供する訳ではない。外国公債を投資家に買ってもらうのだ。ところが世界中の投資家は日本の敗北を予想して全く手を出そうともしない。高橋は困った。
「日本は過去の外債発行で一度も利払いを遅延したことはない。」「そもそもこの戦争は英露の代理戦争である。」「日本は万世一系の皇室の下、国民は最後の一人まで闘う覚悟なのだ。」高橋は投資家への説得に毎日歩いた。そのかいもあり半分の500万ポンドの外債が売れた。そこにアメリカのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフが現れ、ユダヤ人を迫害するロシアと戦う日本に投資しようと、残りの500万ポンドを引き受けてくれた。
旗艦・三笠で指揮を執る東郷平八郎
戦闘は激しく両軍とも死力を尽くした激戦だった。ステッセル将軍が守る旅順要塞は堅牢であり、日本軍の戦死者を増やすばかりだった。司令官は乃木希典大将だったが自分の息子2人も戦死し壮絶を極めた。ロシア軍の拠点・奉天へ向けた大作戦でも日本軍の猛攻にクロパトキン大将は撤退を指示した。しかし日本軍の消耗激しく弾薬も底をついた。
ロシア軍は戦局不利と見て海戦で勝負を付けるためバルト海を守るバルチック艦隊に賭ける。7か月かけて日本海に到着したバルチック艦隊だったが、1905年5月27日、雌雄を決する日本海海戦で艦艇のほとんどを失う壊滅的敗北を喫した。予想もつかない海戦の結果は列強を驚かせ、白人国家の植民地支配に甘んじていたアジア、アフリカ各国の民衆を熱狂させ、各地で独立運動が起るきっかけになった。
ポーツマス講和会議
日露戦争の結果は世界中に影響を及ぼした。ロシアは不凍港を再びバルカン半島に求め、ロシアを中心とする汎スラブ主義とドイツを中心にする汎ゲルマン主義の対立を招き、第1次世界大戦の引き金になる。また、国民生活の窮乏によりロシア革命の動きが始まった。イギリスは仮想敵国をロシアからドイツに切り替え、建艦競争を拡大させる。ドイツのヴィルヘルム2世は「黄禍論」を提唱、日本への警戒感を露わにし、ドイツ軍に「日本軍隊に習え!」と訓示した。
アメリカはポーツマス条約の仲介により日米共同で満州の権益・東清鉄道を開発するつもりだったが、思惑が外れ中国権益から締め出される。急激に勢力を拡大しようとする日本に警戒感とともに敵愾心を抱くようになる。清国にとってはもう踏んだり蹴ったりだ。誰も許可した覚えもないのにロシアにより東清鉄道やハルピンなど植民都市まで造られた。自国の領土で他国同士の戦争により国土を荒らされ、戦後はロシア人に替わり日本人が満州にやってきた。
〜〜さわやか易の見方〜〜
******** 上卦は天
******** 陽、大、剛
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*** *** 下卦は雷
*** *** 活動、動き出す、志
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「天雷无妄」の卦。无は無、妄は望。无妄(むぼう)とは思いもかけぬことが起きる。晴天の霹靂。天の下にいきなり雷が成る象である。予想もしないことが現実に起る。成功もあれば失敗もある。成功に舞い上がったり、有頂天になってはいけない。失敗に落ち込んだり失望してはいけない。良かれ悪しかれ、しっかりと受け止めることが大切である。
列強は日露戦争の結果に驚くとともに、冷静に日本軍の分析を行っている。イギリスでは日本人のバックボーンには「教育勅語」があるとして、ケンブリッジ大学で学び文部大臣を務めた菊地大麓(だいろく)博士に講演を依頼している。アメリカではルーズベルト大統領が日本人の精神には武士道があるとして、新渡戸稲造の「武士道」を陸海軍の教科書にしたという。明治時代にはあった日本精神。大正、昭和、平成、今はどうだろうか。
黄色人種であり、アジアの島国である日本がこの戦争後、一躍世界の檜舞台に立つことになった。本当にその実力があったのだろうか。経済的には歳入2、6億円の日本が外債13億円の借金を背負った。ロシアから賠償金は一銭も取れなかったので、全て国民の税金から払い続けることになった。時代は帝国主義時代、戦争に勝っただけでは大国にはなれない。
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