平安時代末期、波乱の人生を歩んだ美女、常盤御前(1138〜1190?)
「平治物語」によれば、近衛天皇の中宮九条院が雑仕女を募集しようとしたところ、
都中から約1000人が集まってきたので、10人を選び、さらにその中で最も美しい
常盤を採用したという。
美人の誉れ高い常盤は都中の噂となり、当時の権力者で源氏の棟梁である源義朝は
無理やりに、九条院に掛け合い愛妾とした。
二人の間には、今若、乙若、牛若、の3人の子が出来る。
ところが、義朝は平治の乱にライバルの平家、平清盛に敗れる。
常盤は3人の幼子を連れて、大和国の山中に逃げ自害しようとした。
しかし清盛に母が捕らえられたと知り、清盛の住む六波羅に願い出た。
「どうか、私の命と引き換えに、母と子供をお助け下さい。」
戦国の世に勝敗は時の運である。負けた家族の悲惨さは武家であれば知らぬ筈は無い。
身につまされた清盛の母、池禅尼は清盛に「この親子を助けて」と、泣いて頼んだ。
平家一族の人情味を覗かせる場面である。
清盛も常盤の美しさに男の心を動かされたのであろう。
母と子を助け、常盤を愛妾とする。清盛との間にも、1女をもうけた。
その後、清盛は常盤を家来の一条長成に嫁がせた。長成の間にも1男をもうけた。
権力のあるものに随った常盤を易学では、「天沢履」の卦と見る。上の有為に対して、下、柔和に随う象であり、上下の志を実践してゆく規範を表している。又、一面より見れば柔よく剛を制する象でもある。
美女ゆえに時代と権力者の間で、翻弄された、一女性の人生である。
全盛を誇った平家の時代も、終焉し、清盛に救われた3人の子供たちは、
乱世のなかで、今若は謀反の疑いをかけられ殺され、乙若は墨俣川の戦いで討ち死。
牛若丸こと義経は平家を滅亡に追い込み、次に鎌倉の兄頼朝に追われ、
奥州平泉で壮絶な最後を遂げます。
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平泉をおもって詠んだ芭蕉の句を書いてみました。ご覧いただければ、さいわいです。 http://blogs.yahoo.co.jp/hm5771/23336158.html
2006/12/13(水) 午後 7:38
義経も死を前にしては、きっと優しかった母を思ったことでしょう。 (猶興)
2006/12/13(水) 午後 9:56